「闘い」か?


 国連が人類的見地に立った 貧困国への援助を世界に呼びかけた。
 パンデミックの肯定的側面である。
 総長の呼びかけで気になったのは人類的な「闘い」意味づけた事である。
 人類にとってのパンデミックへの人類的「闘い」だろうか?
  人類に反省することは無いのだろうか?反省する良いチャンスと言えないか。

 
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合理性を欠いた専門家の対応策


 医療の専門家の言説が心配。

  勿論 医療における職業的な常識はあるだろうが 感染の社会的な関係の
   専門家はいないはずである。なぜなら初めての経験であり それでも専門家の特別な立場を与えるなら これまで何をして来たかの社会的責任が問われることになる。
  そう言う論理的な不合理もさることながら、専門家会議やマスコミに登場する「専門家」の言説の違いや一貫性の無さ 多少とも経験してきた社会的側面かるすると
 社会との不合理や乖離を感じることが少なからずある。
 医療崩壊をPCR検査に先んじた対応は医療の専門的な見地とは言えない。
  何故なら海外の多くの国家は 検査を優先している。
  専門家は同業者として言説を合わせるのではなく 仮説検証を立場として
  議論を深め市民も参加すべきだろう。日本の権力的に抑え込んだ悪い面が出ている。
  期待はしているが 今のところ 不合理な対応が外国より良い結果を生むとは考え難い。


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急ぐ前に考える


 
横柄なトランプさん にんまり顔の習さん 良いかっこうしの安倍さんも浮かぬ顔 それでいい  

    ここに至っても のりのりにファイティングポーズの専門家や芸人 何時撮ったかカラ元気なコマーシャルは もう結構 

 時は春 新しい風が吹くといい

 せっかちな 五輪の延期 経済対策のメニュー

 皆でゆっくり「ここは何所?私は誰?」って問い直してみたっていいじゃないかのか   

      先ずは落ち着いて やるべきことからやる

 

  

  

  

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事実と向き合う

感染源の第一を海外からの帰国者にするなどの言説がリーダーや専門家からも聞え、経過に沿わない言説が罷り通ている。東京に見られるように検査押さえて感染者数を抑え 感染者は巷に溢れたのが実態だろう。

今尚続く この事実から目を逸らす対策が 効を奏するとは考えられない。

先ずは 事実と向き合うことが出来るかどうかが問われてる。

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メディアの無神経さ

世界はパンデミックであたふたし、

 テレビはコマーシャルでぜいたくを 娯楽で笑顔を これでパンデミックの不安が軽減されるだろうか 逆にはならないか。

  自然に対する不遜さがパンデミックの背景にあるとすればパンデミックを煽ることになり メディアの無神経さを感じる。

   

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苦労の効用

ここしばらくは 自然の活動>人間の活動 を多くの人間は経験するだろう。

 その結果 人間の自然観や人間観はどう変わるか。

 少なくても 今よりは 自然を気にして行動するようになるだろうと思う。

 オリンピックの来年への延長も 来年のパンデミックの状態を気にするようになった。 1年前には1年後の自然環境は全く頭に無かった。

 ついでに

   日本の場合 

    これまで「日本の常識 世界の非常識」のコンプレックスがあった。

    今回 世界も日本も共にパンデミックを経験し 常識の壁が薄くなりコンプレックスが減じたのは 今後に良い。

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先ずやることは

 感染のどんな警戒より 適切に検査して実態を知らせることが1番。

 検査をほとんどせず 今になって検査者の約半分が感染者だったことを知らされたのでは 時すでに遅しだが 検査を急ぎ実態の把握が最善であることに変わりない。事実を知らずして 知恵は働かない。

 ここに至っても そんな動きにすらなっていない。

 皆が失敗を認めて心を合わせる他ないだろうに・・・

 事実や失敗を認められないことの方が いかに恥ずかしいことかは 人類的な課題だろう。

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