世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
自明の理
これまで 東京の感染者の検査の実態は一切知らされていなかった。
この事に気が付かずやり過ごしてきた全ての日本人(もちろん自分も)は反省し 次に取り掛かかる立場にいる。そこに心を合わせる要がある。
人類 世界もまた同じ立場か。
コロナウイルスは自然現象である。人はこの機会に自然との関係を問い直すと良い。 これまで正しく向き合って来たろうか。
人間の都合や欲望を中心に自然と関わって来て それが今日を招いたのではないか。
正すべきは何かは自明であり、自明に返れるかどうかは すでに始まっている。 さて 新聞やテレビはどう伝えているか、どう伝えようと物差しは預け放しにはしないよ もう懲り懲り。
今からでも 先ず検査
2020年3月25日 東京の検査が56件だったことが TBSの番組で明らかになった。
この事実が全てを語っている。
ここに至っても先ずは検査を増やし実態の把握に努めるべきだろう。
対策はその後の話。定数無しの方程式は誰しも解けない。
事態は喜ぶべきか
パンディミックはイタリアやニューヨークが注目されている。
やがて 情報を隠していた日本や東京が 内外の注目を集めることになるだろう。
終始科学性を欠い対応の中心は医療崩壊を名目にして必要な検査をして来なかったことである。
自然の実態を掌握せずに いかなる政治的判断も解決には向かわないのは科学的真理。
科学的真理をないがしろにした祖国の対応は残念だが、世界が真の平和を目指し一つにまとまりつつある道程は 喜ぶべきか。
結局は自然の理
敢えて「戦い」との言葉を使うとパンデミックや温暖化は「大自然と人間の戦い」と言えようか。
人間の身勝手な行いに対する大自然の天罰のような意味合いがあるとすれば、人間の反省なしに天罰が止むとは考え難い。
登校 イベント 経済活動など再開へ向けた動きがあるが、これまでの人間活動の反省と今後の変更を約することなく 便宜的に再開を急いでは もっと大きなリスクを負う。今後ウイルスの感染力や毒性が強まったパンデミックになることは自然の理としても考えられる。
比ゆ的には (自然の理)を人と自然のどちらが手繰り寄せるか? とも言える。 目にする為政者や専門家の人たちは 欲や利己心から抜けられず 全体的に負けそう。
自然だよ
人間の利己的な自然への攻撃が 今日を招いたのではないだろうか。
自然は大いに迷惑を受けた。
大自然が 放っておくだろうか?
そう考えると異常気象もパンデミックも自然かもしれない。
経済がどうのと慌てているが 自分たちのやってることを振り返って
確かめてみたらどうだろう。
エライ人たちはそんなことを考えていないようだから 大勢のエラクない人たちが
考えてあげたら良い。知恵はどの山にあるかは分からないものだ。
パンデミックの世界的意味
国連の事務総長が今回のパンデミックを「戦時」との表現を用いて開発途上国への援助を呼び掛けた。
「戦時」に例えられるような程度のことだろうか? 世界が分かっていないのではないだろうか。
「戦時」は人間同士の争いで話し合いで解決も可能だが コロナとはそれは出来ない。
パンデミックの世界的な意味を認識せずに解決は期待できない。
必要な市民的精査
パンデミックの中心はアメリカに移り拡がりは加速している。
世界経済や国際政治における意味合いは最も大きいと思われる。
軍事を優先したアメリカファーストがどう変化するかが注目される。
やがて北半球は 夏型の自然被害が重なってくる。
いよいよ人類は自らの活動がもたらす安全の如何が問われる。
1つには合理性より合利性を優先した経済活動だが
軍事優先も合理性が問われるのを期待している。
本来は芸術・文化・教育から 庶民一人一人の暮らしや幸福にまたがる 意味や価値観が問われると思う。
特に圧倒的多数の市民の相互精査が 社会的に権力的に求められないだけにより大事だろう。
政治や社会が劣化し機能し難くなっている現在 大多数の市民しか残っていない。 「民主主義」を言うなら これからだろう。重ねて言うが
これは 日本やアメリカや中国に限らず 世界の全ての庶民が問われてる。