森田童子が自宅で亡くなって、来月は7回忌だ。
本名・年齢不詳で正体を明かさなかった謎のシンガーソングライター森田童子。
しかし、2020年82歳で亡くなった作家・作詞家なかにし礼(本名 中西禮三)が遺稿「血の歌」を残し、遺族が2021年に出版した。
それは、森田童子の謎を、叔父の立場から明らかにしていくものだった。
私が調べた結果(赤字部分)も併せ、森田童子の謎に迫ってみたい。
森田童子について
本 名 前田(旧姓中西) 美乃生
生 年 1953年1月15日 21時
没 年 2018年4月16日(推定)。享年65
出生地 青森市
死没地 東京都国分寺市(自宅)
家 族 父は中西正一、母は房子。姉と弟。中西禮三(なかにし礼)は、正一の14歳下の弟で、美乃生(森田童子)の叔父。
正一は特攻隊の生き残りで事業で失敗を重ね大借金を作る破天荒な男。なかにし礼が実兄の借金返済に追われた。正一の死後に書いた「兄弟」が直木賞候補になり映画化された。映画で北野たけしが兄の役を演じた。
名前・出生と死亡について
「血の歌」(執筆1995年)では、「美納子みのこ」とされている。
昭和28年1月15日夜9時。極寒の青森市。兄嫁房子の出産に立ち会った禮三が「兄さん、おめでとう。名前はなんてつけるの?」と聞くと、
兄の正一は「巳年に生まれたんだから、みの、でいいんじゃないか」といい、妻にねぎらいの言葉をかけることもなく、麻雀(愛人)のもとへ戻っていった。(血の歌より)
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2020年、沖縄から戻り大きな手術をした私の日課は歩くことだけだった。ふと、ネットにあった一枚の写真を頼りに森田童子が住んでいた国分寺の家を探そうと思い立ち、あてもなく歩き、偶然、見つけることができた。没後2年半が経ち、家は他者により建て替えられていたが、周囲の風景が一致していた。
帰宅して就寝中の午前3時、グーグルのストリートビューでは過去の映像が見られることに気づき目が覚めた。そして、森田童子が生存中の家の表札に「前田」を確認した。
さらに、その土地の住所から公的機関の公開情報を調べ、森田の氏名前田美乃生と死亡年月日2018年4月16日(推定)を確認した(赤字部分)。
森田童子を訪ねて - 沖縄での一人暮らし (goo.ne.jp)
こちらも覚えています。。
森田童子をお若い頃、聴いてことなど読ませていただきました。
ありがとうございます。
その森田童子の正体が明らかになったという展開なのです。意外な発見も。