国立極地研究所を探検して来ました。
南極で活躍したカラフト犬たちがお出迎えしています。
奥の建物が研究所が入ってるビル。
手前が南極・北極科学館。
館内は、
1) 南極探検という冒険物語。
2) 生き延びたカラフト犬物語。
3) 昭和基地の調査と地球の過去。
4) 北極の研究と地球の未来。
5) オーロラや現地の映像。
これらが、ワンフロアに詰め込まれております。
南極についてですが、
左下に、1912年1月に白瀬探検隊が初上陸。「大和雪原」命名とあります。
右上に、1957年1月に開設された昭和基地は、反対側(アフリカ側)です。
両者の間に、
①45年もの空白があること、
②南極点を挟んだ対岸にあること
が気になります。
目立たないところに、昭和9年の白瀬さんの色紙がありました。
「南極の領土を早く獲得し」とあります。
どういう意味があったのか、調べてみると、
白瀬さんは、当初は北極を目指し、千島やアラスカで過酷な越冬生活で準備。
しかし、1909年米国のピアリーが北極点到達に成功したため、目標を南極へ変更。
(北極点を目指していたノルウエーのアムンセンも、同様に南極に変更)。
1909年11月、白瀬隊は、木造帆漁船を改造し出発。冬になり上陸断念。
1911年12月、アムンセンが南極点到達し帰路に。1ヶ月後に英国のスコットが南極点到達(遭難)。
1912年1月、白瀬隊は上陸後に南緯80度まで進み、「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し帰路につく。
アムンセンは、スキーと犬ぞりで探検家として北極点到達を目標に。
スコットは、王立地理学協会の応援を背景に、科学調査を兼ねて北極点到達を目標に。
白瀬隊は、後援会の募金を得て、領土獲得を目標に。
支援や募金者の意向が目標に反映されるのでしょう。
アムンセンと白瀬さんは、南極探検の借金を返すために、講演活動を続けたそうです。
第二次大戦後、南極の科学調査が国際的に進む中で、敗戦国日本の参加を拒む意見があったようです。
45年前の白瀬隊の実績が認められ参加となり、役割分担で、昭和基地の場所が決まったそうです。
南極大陸の中で、オーロラ観測に最も適している場所だそうです。
小型ですが、オーロラ・シアターもありました。
こちらは、雪上車。実物は、迫力があります。
月の隕石と、火星の隕石です。成分を調べたのでしょうか。
南極は、落下した隕石が、氷のおかげで良好な状態で採集でき約4万8千個もあるそうです。
2億年前には、ゴンドワナ大陸で南極は繋がっていた。
2億年前には、ゴンドワナ大陸で南極は繋がっていた。
ボーリング調査で過去のことが分かり、地球の歴史を知ることができたそうです。
forever-greenさんの文章に引き込まれて興味深く読ませていただきました。ありがとうございました(^.^)
ありがとうございます😭
知っていそうで知らない南極のことがよく分かりましたよ。
以前ウォーキングで見つけられた極地研究所、
科学館が併設されていて見学ができるんですね。
5億年前の地球、興味深かったです。
地球の未来も気になります。
いつも勉強になる情報、ありがとうございます。
よく覚えておられましたね。
中国には本格的な国立の研究所があるのでしょうね。
科学館は映画になったカラフト犬の物語とか探検物語、基地の大変さなどが多くて、研究成果を見せる部分が少なかったです。
地球の未来は北極での地球温暖化の問題提起で、内容は既知のもので予算不足なのか展示が追い付いていない印象でした。