沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

復帰38周年と米軍基地

2010-05-15 | 戦跡・沖縄戦・米軍

今日は、沖縄の本土復帰記念日です。
1972年5月15日の沖縄返還から、38年。
1945年3月26日の慶良間諸島(4月1日の沖縄本島)への米軍上陸から、65年。

沖縄に存在し続ける米軍基地。
その面積は23,681ヘクタールで、沖縄県の県土面積の約11%を占めています。
全国にある米軍専用施設面積の75%が沖縄に集中し、4万5千人の軍関係者が居住しています(沖縄県HP)。

沖縄県の面積は227,432ヘクタール。東京都210,239ヘクタール、大阪府189,376ヘクタールと同じくらいの大きさです。地図を並べて比較してみます。

もし、沖縄と同じように、東京都の面積の1割が米軍基地だったら…。
鉄道・道路などの交通網、住宅地・商業地など土地利用や都市活動が制約され、今の姿はなかったでしょう。墜落や騒音問題だけでない大きな問題です。(沖縄には鉄道がありません。)

東京には今でも横田飛行場(713ヘクタール)など米軍基地が8か所ありますが、戦後13か所が返還されました。
最も大きいものは立川飛行場(572ヘクタールで)、返還後は跡地利用計画が策定され、国の施設、病院、道路、モノレール、年間300万人が利用する国営昭和記念公園などが整備されて街が発展し、立川駅の乗車人数は1日平均16万人と23区以外では最多となっています。
人口140万人(観光客は570万人)の沖縄でも、那覇市天久の米軍基地192ヘクタールが1987年に返還され、跡地に道路、超高層ビル、県立博物館・美術館、合同庁舎、大型商業施設、大規模公園などが立地する那覇新都心に生まれ変わったのは記憶に新しい。
沖縄の基地が返還されれば、美しくて、しかも台風などの高波から海岸を守ってくれるサンゴ礁の海を埋め立てるような都市開発は不要になるでしょう。

最近、ある知事が、沖縄の負担を緩和するために、米軍訓練の一部を関西国際空港で受け入れることを検討すると発言しました。
素晴らしい発言ですが、大阪周辺の高密度な土地利用、加えて、訓練は空や海域で行うことから、大阪湾や瀬戸内海を頻繁に行き来する飛行機や船の存在を思うと、どんな米軍活動が展開可能と判断したのでしょうか。

沖縄に近づく旅客機は、米軍機の運用に支障を来さないよう、海面スレスレを飛んでいます。
那覇空港は自衛隊等も使用しているため、夕方は混雑し、旅客機の18時台の発着回数は17時台の半分になり、19時台よりも減ってしまっています。沖縄の航空機のダイヤに影響を与えており、空港の共用ひとつとってもいろんな問題が出てきます。

全国知事会で沖縄の負担軽減問題が取り上げられ、受け入れる地元も米軍も納得できるような沖縄基地機能の分散が実現するよう希望します。



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4 コメント

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普天間飛行場 (フーミン)
2010-05-16 18:08:42
の移設問題について、沖縄に深い思い
をお持ちであろうforever-green さんは
どんなふうにお考えでいるかしら、と
思っておりました。
私自身は難しいことはわかりませんが、
今のままでよいとは決して思っておりません。
毎日のように爆音にさらされ、墜落するかも
しれない危険にさらされ、米兵による事件や
事故などを思うと、沖縄の方の負担は想像以上
のものでしょう。

全国にある米軍専用施設面積の75%が沖縄にある必要があるのでしょうか?沖縄は戦略上重要な位置にあるからとか、ゆえに沖縄に米軍がいることが抑止力になると言う方もいますが、本当にそうなのでしょうか?

いずれにせよ、forever-greenさんがおっしゃる
とおり、沖縄基地機能の分散が実現するように
なるといいのですが。
返信する
考えますね。 ()
2010-05-18 09:07:03
沖縄返還から38年。深い思いのある年月とともに、38年なの?って気持ちが交差します。
基地移転に関して どのように取り組んでいるのか詳細はわからないけど
ある知事さんの発言には、訓練内容や周辺における空・海状況を御存じなのかしらとも考えましたね。
一度決まると変更などできないことですから
いわれるとおり、お互いが現状を把握し納得できることを望みます。
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フーミンさんへ (forever-green )
2010-05-25 21:35:13
丁寧なコメントをいただきながら、お返事が遅くなり、ごめんなさい。

沖縄のこと、考えていただき、嬉しいです。
フーミンさんのように、多くの国民が考えていただき、少しでも負担の軽減につながるのならいいのですが。

本土決戦に備えた軍の時間稼ぎ作戦のために住民が巻き込まれ、12万人以上の県民が死亡し、県民の4人に1人が亡くなったという事実。

そうした県民の姿を見届けて、「沖縄県民かく戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と海軍次官あてに打電して自決した大田少将。

特別の御高配どころか、65年経っても解決できない基地問題。温厚な方々が多い沖縄で、県民大会にこれだけ多くの人が集まるのは、重い歴史を背負っていて、譲れない部分があるからだと感じています。

政治が解決できなくて、誰が解決できるのでしょう。
もちろん相手のある話ですから思い通りにならないこともあります。
でも、言葉で約束したことをどれだけ努力し行動したのか、伝わってこなければ、納得できるどころか、期待を寄せた分がそのまま裏返しに、失望感・不信感に置き換わると思います。

期限が来たからと安易にあきらめないで、「職を賭して」努力を続けてほしい。
できもしないことを軽々しく、これ以上言わないでほしい。
残念な思いの日々です。
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杏さんへ  (forever-green )
2010-05-25 21:58:05
コメントをいただきながら、返事が遅くなり、ごめんなさい。

沖縄の主権は返還されて38年だけど、県土面積の2割を占める基地は米軍の拠点の位置づけのまま、65年経っても返還されていない。

杏さんが言われるように、基地移転に関して、政府がどのように取り組んだのか、十分な説明をしてほしいですね。

短時間の知事訪問だけで説明できたと考えるのではなく、たとえば、訪問と同時に、これまでの検討結果を詳細に政府報告書として沖縄の新聞で公表するとか、具体的な報告をしてほしかったです。

それがないままの沖縄訪問だったので、十分な検討をしていないまま時間切れになった、試験でいえば、理由を書かずに結論だけ書いて答案を出した印象で、これでは県民も納得できないし、他県の方も、一体何をすれば沖縄の負担軽減に協力できるのかわからない状態です。

杏さんの言われるように、お互いが現状を把握し、対応を検討できるようなテーブルに着ける努力をして、負担軽減を追及してほしいですね。
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