国立の国文学研究資料館に行って来ました。
「戦国武将が愛した文学」という不思議なタイトルですが、織田信長を思い浮かべた方がいれば、さすがですね。
ーー此時、信長「敦盛の舞」を遊ばし候。「人間(じんかん)五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる。ーー「信長公記」
--このとき、織田信長は、幸若舞(こうわかまい)の演目「敦盛の舞」の一節を謡い舞った。「人の世の50年の歳月は、天上界の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」。法螺貝を吹かせ、具足を付けて、立ったまま食事をして甲を着けて出陣したーー「信長公記は、家臣だった太田牛一が信長の生涯を記録した歴史資料」
写真は、「信長公記」を脚色出版した「信長記(1624年刊)」国立国文学研究資料館所蔵
幸若舞(こうわかまい)って何?
鼓を伴奏に語りをベースにした曲舞で、室町時代に流行したもの。曲舞は、能や歌舞伎の原型となったものだそうです。
「敦盛(あつもり)の舞」って何?
1184年、源氏と平家が戦った「一ノ谷の戦い」で、16歳の平敦盛は退却の際、忘れた笛を取りに戻って船に乗り遅れ、追っ手に捕まってしまう。
源氏の熊谷直実は、捕らえた武将が、戦死した我が子と同じ若さだと知り、討つことをためらう。味方に怪しまれ、討ち取ったものの、このような世を儚んで、後に出家した、という物語。
信長の心境は?
1560年の「桶狭間の戦い」の時、信長は27歳。
2万5千人と多数の今川義元軍に対し、信長軍は3千人。圧倒的に不利な戦いで、死を身近なもの、生ははかないもの、と感じたに違いない。
出陣する際に、「人の世の50年の歳月は天上界の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」という舞曲の一節を謡いたくなる心境は理解できる。
幸若舞は軍記物を題材にした作品が多く、人気を集め、書物に加え、主要場面は絵画、絵巻、屏風絵などに描かれている。
大織冠(たいしょかん) 出典は、上記と同じ。
ーー中国から送られた宝珠が瀬戸内海で竜に奪われたのを残念に思った藤原鎌足(大織冠)が,海女と契ってその女に竜宮の宝珠を取返させるという玉取り伝説。その勇敢な海士こそが、約束を交わした母だった…という王朝物。
などなど、文学や歴史物にさっぱりの私も、楽しめた内容でした。
私は、難しそうだからって行かないかも。
でも、内容がわかると面白いかもって。
楽しまれたとのこと、良い時間を過ごされましたね(*'▽')
無料なので気楽に申し込んだのですが、展示を読めず、場違い感がありました。
帰ってから調べてやっと意味が分かり、楽しくなりました。