31日㈬、市議選が終わり、数日が過ぎた。挨拶や情報交換、世間話に入れ替わり、立ち替わり来客がある。選挙中、対応できていなかった京都府関係者からの報告や相談等もある。
あやべ市民新聞社の社長が書いておられたようで、ある方から「市長推薦」について意見を求められたので、自分の考えをここに書いておきたい。
「市長推薦」と「市長の推薦」は違う
記事は少し正確性を欠いている。
もし、今回の選挙で「市長推薦」がなされていたのなら、それは公職の地位利用で公職選挙法に違反する可能性がある。
今回の選挙での「市長の推薦」は、あくまで「市長である山崎善也氏の個人としての推薦」である。市長という公職は肩書きとして利用しているだけで、この肩書き利用は「地位利用には当たらない」と公職選挙法で認められている。
民生委員の選挙活動もいろいろ言われることがあるが、民生委員も同様で、肩書き利用はできるが、地位利用はできない。民生委員のままで立候補も可能なので、たとえ民生委員であっても、基本的人権である個人としての選挙活動や政治活動の自由は保障されている。これについては基本的人権に制限をかけるような誤った発言が役所などから聞こえてくることがあり、気になっている。
市議会と市長は二元代表制でうんぬん、というのはまさにその通りで、議会は行政の追認機関ではなく、互いに緊張感を保つ関係であるべきだ。
推薦を受けると緊張感がなくなるかどうかはそれぞれの意識や資質の問題だ。市長選では逆に議員が市長を応援しており、議員が一方的に市長に借りを作っているわけではない。
選択権は有権者にある
市長が提案する一般会計当初予算には必ず反対してきた共産党の議員もいれば、それには全て賛成してきたという議員もいるが、それは考え方の違いであり、共に間違ってはいない。共産党議員は市長と対立することを明確にして、それが支持され当選したのであって、公約に忠実なのだと思う。
どちらが良いか、選択権は有権者にある。選択する有権者からすれば、市長の推薦の有る無しはハッキリ見えている方が選択しやすいのではないかと思う。
私は最初の府議選では知事の推薦をもらって落選し、2度目の選挙は現職がおられて推薦をもらえなかったが当選した。知事の推薦の有無では、結果として推薦がもらえなかった時に初当選した。3回目以降は知事の推薦をもらって勝たせていただいている。
議員と首長の信頼関係は重要なポイント
議員には「行政(首長)のチェックという役割」もあるが、「地域要望を行政に反映させる」という役割もある。その場合は互いの信頼関係がある方が話を通しやすい。
今後は、議員が地域や団体の声を取りまとめて「まちづくりのリーダーとなる」という役割がさらに必要とされてくるだろうと私は考えている。その場合にも議員と首長の互いの信頼関係があるに越したことはなく、「首長の推薦」の有無は、選挙で訴えていることを「どれだけ本当に実現できるのか」をアピールする上で、結構重要なポイントだと思う。
それを「信頼関係」と言うか、「馴れ合い」と思うか、判断するのは有権者である。
市長を応援しておられる市民からすれば、市議選で自分が投票する候補には市長と仲良くしてほしいと思っている方もたくさんあるだろうし、そういった思いも市民の素直な気持ちだと思う。今回の選挙結果は、市長の推薦を受けた13名の候補者が全員当選された。この多数の市民の意思表示に対しても選挙を論評するなら言及すべきであり、自分が誰を支援したのかという個人の心情的な部分が拭いきれていない記事だと感じた。
あやべ市民新聞も社長が書いておられるように、自らもジャーナリズムとしての襟を正し、綾部市に対しても、しっかりとチェック機能を働かせた報道をされることを期待する。議員も「権力」だが、マスコミも「権力」である。
【追記】記事には「市長推薦を受ける候補者が20年前の約2倍」と書いてあり、「何かおかしいな?」と思って調べてみたところ、20年前、平成14年8月の市議選で当時の市長が推薦していた候補者は18人(22議席で立候補者は25人)でした。今回は18議席に19人が立候補し、そのうち13人を推薦。何が何の約2倍?なのか?しっかりしてください。