13日㈭、11時から議会運営委員会に出席するために京都へ。12時半からの団会議を経て、2月議会が開会。今日から3月19日の閉会まで、平日は京都へ行く日が多くなり、綾部を不在にすることが増える。
予算特別委員会もあるが、副委員長は発言できないので、他の議員の発言を「忍」の一字でじっと聴いていることになる。
2月議案に上程された議案のうち、新型コロナウィルスへの対応のため、一部の予算案については、すぐに予算特別委員会の分科会を開催し、予算特別委員会全体会を経て、本会議で議決した。
本会議終了後、宇治茶振興議連(藤山裕紀子会長)の役員会に出席し、事務局長として議事を進行した。
夜は自民党三期会に参加。
14日㈮、議会は休会。代表質問の質問原稿のチェックやげんたろう新聞の製作など。
夜は綾部恵比須神社奉賛会に会長として出席。今年の吉兆の売上は例年よりも良かったそうだ。
一方、時代の流れもあるのか、参拝客は減少しており、今後、どうやって賑わいを創り出すのか、二次会では副会長の田所卓さん、武田董さんと相談した。来年に向けて、一度、どこかで話し合いの機会を持ちましょうということになった。
15日㈯、11時に正暦寺へ。先々代住職であった大槻実雄上人の33回忌法要に、前総代、現総代が出席した。大槻実雄上人は昭和63年に94歳で亡くなられた。
私も小さい頃に「老僧」として、檀信徒の尊敬を受けておられた、その姿を覚えている。
歴代住職のお墓にもお参りした。墓地の一角にあるのを初めて知った。
お寺の裏側で最近、座禅体験などをしている竹林を玉川弘信住職に案内してもらった。お寺の裏にもほとんど行くことがないが、樹齢800年とも言われる大きなケヤキの木がある。
竹林の中にお墓が一基あり、「あれは誰のお墓ですか?」と聞くと、綾部藩主・九鬼家のどなたかがお寺に僧侶として入られて、その方のものではないかとのことだった。
「一空」と彫られており、その下には「九鬼弥右エ門季政」と書いてある。「九鬼季政」という名前は調べてみても、九鬼家の中に出てこない。初代綾部藩主が「九鬼隆季」であり、代々の藩主は「隆」の字がついているが、「季政」は「季」の方をもらっておられる。どういう方なのだろうか?
法要の後は、現長にて、住職と前住職、新旧の総代で食事をした。
16日㈰、10時から歓喜稲荷神社の大祭に参拝。並松町自治会(高崎忍会長)で護持しており、毎年2月に大祭が行われている。
大本の出口王仁三郎聖師によって「歓喜稲荷」と名付けられたとされており、毎年、大本から神官に来ていただき、甘酒もいただいている。
昔は芸者さん達の参拝も多かったという。