昨日の朝、終点の“待機場所”で忘れ物チェックをしたら、一本の傘があった。それはピンクの花柄で、見るからに“ちょっと高そう”な傘だった。しかも、まだ取っ手部分と先端部分は透明のフィルムに包まれたまま… 買ったばかりの新品だと思われる。
私は「これは… 多分、学生さんだから、○○停で降りた可能性が高い。ひょっとして… この後、私のバスが○○停へ行くと、待っているかもしれないなぁ~! そして、その学生さんとお友達になって、お姉さんを紹介してもらったりして!?」と思ったのだが… ○○停で待っていたのは、オッサンとお婆さんだけだった。あぁ~、残念!
今日の夕方、終点で忘れ物チェックをしたら、一個の鍵があった。それは、何かと繋がれていたと思われ、ちぎれた紐状のモノが付いていた。また、その鍵は自転車などの鍵ではなく、明らかにドアの鍵… 多分、自宅の鍵だと思われる。
すぐに問い合わせがあるかと思ったが、営業所には電話も何も入っていなかった。上司は「多分、何処で落としたのか分かっていないから、出先か… 電車か… 歩道か… バスか… と、一つずつ順番に考えているんじゃないか? その内に電話が掛かってくるだろう」と言った。
その人が、携帯などを使いこなしている若者ならばいいけれど、携帯も持っていない一人暮らしのお年寄りだとしたら… などと考える時、常に「私の老後は…」と想像してしまう。もらえるかどうか分からない年金… 働いても働いても少ない年収… 何もしなくても増えていく年齢… どうにもならない? 否、幸か不幸か“独身部族”なんだから、どうにでもなる!