現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

市川猿翁「私の履歴書」

2014-02-03 21:42:55 | テレビ・映画・芸能人
日経新聞 2/1 文化欄「私の履歴書」に
「二代目 市川猿翁」が登場。

「猿翁」は本名「喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)」。
1939年(昭和14年)生まれ。49年間にわたって「三代目
市川 猿之助」として活躍。

1968年(昭和43年)『義経千本桜』「四ノ切」で披露した
「宙乗り」を皮切りに、“ケレン”の演出を試み、注目を
集めたが、他の歌舞伎役者や評論家たちからは、相手に
されないほどの酷評を受けた。

二代目尾上松緑に至っては、猿之助歌舞伎のことを「喜熨斗
サーカス」とまで言い、揶揄している。木下大サーカスと
猿之助の本名の「喜熨斗」(きのし)にひっかけたもの。

さて、その「猿翁」。日経新聞で次のように書いている。

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23歳で「三代目猿之助」を襲名した直後、祖父・初代
市川猿翁(二代目市川猿之助)と 父・三代目市川段四郎が
相次いで亡くなった。肉親の後ろ盾を失うと、役がつかなくなり、
芸を教わることもままならない。しかし、屈してなるものか。
闘いは、私の生き方そのものとなった。

「宙乗り」や「早替わり」で観客をあっと言わせる私の演出は、
“ケレン”“邪道”とみなされたが、歌舞伎は本来そういうもの
だったのだ。

観客は驚き、興行は大当たり。が、先輩たちは容赦ない言葉を
浴びせた。「サーカスみたい」だとか「猿の犬かき」だとか。
しかし、逆境になればなるほど燃えるのが私の性分。

天を飛び、地にもぐり、生きかわり死にかわるケレンの輝きを
取り戻したい。“異端児”と評された私は、正統の“かぶき者”
だと思っている。

こんなふうに歌舞伎を客観的に見られるのは、普通の人と同じ
ように学校に行ったからだろう。歌舞伎役者で大学に進んだのは
私が初めてだった。

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拍手

「猿翁」は、慶応の先輩。慶応中等部では、特別授業で
「歌舞伎鑑賞会」があり、「猿之助」の芝居を観に行った。
その前に国語の授業で解説があり、また、幕間に「猿之助」
から後輩の私たちへの挨拶もあった。世話物では「綱町の
長兵衛、あれも(で)エッチ(丁稚)」というアドリブが
あり、多いに笑わせてくれた。「綱町」は中等部の所在地。
そして「長兵衛」は 国語の先生のアダ名だった。(慶応では
「○○先生」などとは呼ばない。先生もあだ名で呼んでいた)。

「猿翁」の弟の「四代目・段四郎」は、慶応の1年先輩。
慶応高校で、私が「歌舞伎研究会」を立ち上げた時、
お世話になった。

さて、私も反骨精神旺盛。「虚無僧尺八界の異端児だが、
私こそ“正統”の虚無僧」だと自負している。

葛飾応為 『三曲合奏図』

2014-02-03 20:32:38 | 筝尺八演奏家
日経新聞 1/31 文化欄「日本美術に聴く音楽」で、
東京藝術大学准教授「古田亮」氏が、ボストン美術館
所蔵「葛飾応為」の浮世絵『三曲合奏図』を紹介していた。

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「葛飾応為」は「葛飾北斎」の娘。「三曲」とは、地歌三味線、
筝、胡弓の三種の楽器による合奏のこと。その演奏の様を
描いたものだが、「見るからにただ事ではない」と評論。

三味線を弾く女性は、まるでロックのギタリストが高音を
響かせる時のキメのポーズ。背を向けて箏を弾く女性の
細い長い指のアクロバティックな動き。胡弓を弾く町娘の
思い切り首をひねらせるパフォーマンス。

三人の美人は、皆 まるで舞い踊っているかのような曲線的な
動きをみせ、それぞれが持つ楽器の幾何学的なムーブメントと
融けあっている。構図、色彩、描線、すべてがひとつになって
全体として音楽的な画面をつくっているのである。

ここから聞こえるのは、女性バンドによるロックであってもいい。
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と、すばらしい解説だ。
ネットで検索すると、何点か出てきた。「葛飾応為」は、父
北斎と性格も似、自由奔放、男勝りの任侠肌。現存する作品は
10点と少ないが、北斎の晩年の作品は「応為」が代筆して
いたのではないかとも言われる。

この「三曲合奏図」は秀逸。正に音楽が聞こえてくる絵。

さて、私が注目するのは、三絃、箏、胡弓を弾く姿。実に
自由奔放。現代では、「三味線の棹は45度」とか、「背筋は
伸ばして」など、姿勢も細かく注意される。こんなポーズで
演奏すれば、師匠から叱られる。

ところが、最近でてきた若い女性の邦楽バンド「結(Yui)」などは
まさに200年前のこの「三曲合奏図」そのもの。
私はこれでいいと思っている。


コロッケ著 『母さんの“あおいくま”』 から

2014-02-03 10:02:55 | テレビ・映画・芸能人
コロッケ著 『母さんの“あおいくま”』 には学ぶことが多い。

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「新人がどんどん出てくることに脅威を覚えませんか」という
質問をされることがあるけれど、とんでもない。力のある新人が
どんどん出てきてほしい。「ものまね」という芸が、すばらしい
エンターテイメントとして、きちんと次の世代へ残っていくことが
僕の夢だから、後輩から質問されれば何でも教えてあげる。
ネタばらしもどんどんする。上手になるコツも教える。


ところが、不思議なことに、僕がいろんなコツを教えても
それを素直に実践してくれる人はいなかった。僕の教え方が
悪いのか、ちょっと寂しく思っていた時に現れたのが「青木隆治」
だった。僕にいろんなことを質問してきては、できるまで
繰り返し練習する。「すみません、この前 教えてもらったことで、
わからないところがあるんですけれど・・・・」
次に会ったときに質問してくることも、深く練習している人しか
陥らない悩みのツボだったりする。


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ところが、その「青木隆治」。ネットで検索したら評判は
すこぶるよろしくない。最近、テレビから干されているそうな。

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「ツートン青木」の親譲りか、“奇跡のモノマネ”と称賛され、
二年前までは 頻繁にテレビに出ていたが、最近は全く見かけなく
なった。そこで、その理由を探るべく、青木に密着した番組が
企画されたのだが。番組名は1月10日放送の『中居正広の金曜日の
スマたちへ』。

青木が所属している芸能事務所は研ナオコの夫が代表を務める。
その縁で、研ナオコも彼のために一肌脱いで協力した。撮影は
課題曲を与えられた青木が、研ナオコの指導を受けて、何度も
何度も歌う練習をするシーン。研ナオコは、「彼の最大の欠点は、
心ではなく技術で歌っている」ところだという。「詩を大事にして」と
研ナオコから厳しい指導を受けた青木は、「もう限界かな」と
弱音を吐き、番組スタッフに「どんだけ(撮影)やりたいんですか?」
「どれくらい欲しいんですか?」と尋ねた。その言葉にスタッフも
研ナオコのキレタ。「本人に頑張りたいという思いが無いなら」と、
この企画はボツ。お蔵入りになってしまったという。

研ナオコは「周りのスタッフに対して、感謝の心がない」と。

青木隆治は、かつて「ものまね番組」に出演した時、他の仲間や
スタッフに挨拶もしなかった。そこで「ものまね界」の大御所
「コロッケ」から、「いくら歌が上手くても、挨拶やお礼も
言えないような人間は相手にされないよ」とアドバイスを
されていたという。

コロッケは「青木隆治」に、そのようなアドバイスをしたと
いうことは、彼の欠点を見抜いていたはずだが、2012年
発売の『母さんの“あおいくま”』で、彼をもちあげている。
すごいことだ。ああそれなのに「青木隆治」に明日はないな。
反面教師。私も心しよう。