日経新聞 2/3 文化欄「日本美術に聴く」は
またまたビックリ。「彭城貞徳(さかきていとく)」という
明治の洋画家が描いた『和洋合奏之図』。
1906年(明治39)年頃の絵だそうだ。バイオリンと尺八で
合奏練習をしている光景が描かれている。長崎県美術館所蔵で、
ネットで検索すると、平成18年に長崎県美術館で「揺らぐ近代、
洋画と日本画のはざま」というタイトルで企画展を開いており、
その際、パンフレットの表紙に選ばれている。
そこでの取上げ方は「珍妙、困惑」。そうかもしれない。
当時の尺八家のレベルではバイオリンとの合奏は無理
だったと思う。尺八の音程が西洋の平均律12音と異なる
からでもある。
さて、日経新聞「古田亮」氏の解説。
「彭城貞徳」は当時の尺八界の第一人者「吉田一調」に
弟子入りし、後に「一調」の名を継ぐほどの腕前だった。
そしてフランス語も堪能で、海外生活も体験していたから、
バイオリンにも造詣が深かった。
また「静風」氏のホームページでは、
彭城貞徳は、明治12年吉田一調より尺八の奥免許を取得し、
「逸調」(後に「一調」)と号す。長崎の虚無僧寺「松寿軒」の
スケッチを残している。
そういえば、「辻 潤(つじ じゅん、1884年 - 1944年?)」も
尺八とバイオリンの看板を掲げていた。明治は想像以上に
和洋折衷が流行っていたようだ。
またまたビックリ。「彭城貞徳(さかきていとく)」という
明治の洋画家が描いた『和洋合奏之図』。
1906年(明治39)年頃の絵だそうだ。バイオリンと尺八で
合奏練習をしている光景が描かれている。長崎県美術館所蔵で、
ネットで検索すると、平成18年に長崎県美術館で「揺らぐ近代、
洋画と日本画のはざま」というタイトルで企画展を開いており、
その際、パンフレットの表紙に選ばれている。
そこでの取上げ方は「珍妙、困惑」。そうかもしれない。
当時の尺八家のレベルではバイオリンとの合奏は無理
だったと思う。尺八の音程が西洋の平均律12音と異なる
からでもある。
さて、日経新聞「古田亮」氏の解説。
「彭城貞徳」は当時の尺八界の第一人者「吉田一調」に
弟子入りし、後に「一調」の名を継ぐほどの腕前だった。
そしてフランス語も堪能で、海外生活も体験していたから、
バイオリンにも造詣が深かった。
また「静風」氏のホームページでは、
彭城貞徳は、明治12年吉田一調より尺八の奥免許を取得し、
「逸調」(後に「一調」)と号す。長崎の虚無僧寺「松寿軒」の
スケッチを残している。
そういえば、「辻 潤(つじ じゅん、1884年 - 1944年?)」も
尺八とバイオリンの看板を掲げていた。明治は想像以上に
和洋折衷が流行っていたようだ。