現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

別れは突然に

2014-06-03 22:28:17 | 虚無僧日記
たまたまかけていたラジオから、短編ドラマが聞こえてきた。
西田敏行と竹下景子が出ている。NHK「新日曜名作座」。
「奥田英朗 家族小説短編集から」。

結婚して8年、何か歯車が噛み合わなくなって、双方合意の上で
別居することになった。妻は家財道具全部、カーペットも
カーテンも箪笥も全部持って出て行った。

(これはありえない)と思うのは私だけ?ごく常識的には
出て行く方が、新居で、なにもかも新しく買い替えて、
新しい生活をすると思うのだが。

ま、そのまま聞いていると、独り残された男は、自分の趣味に
あったカーテン、カーペット、オーディオセットを新しく買い
求めて、自分の城を築いてご満悦。

出て行った妻は、しばらくして、こっそり様子を見にきて、
ショックを受ける。てっきり、散らかし放題、荒れ放題で
「やっぱり おまえが 居なければ」と泣きついてくると
思ったからだ。


ふむふむ。ようするに、

『マイホーム建てたは いいが、主(あるじ)は妻で、
 オレの居場所が無い』

ようやくマイホームを手にしたものの、家具一式、妻の好みに
塗りたくられて、生活態度もあれこれ云われ、寝転ぶことも、
もちろん煙草も許されない。マイホームがサラリーマンの
癒しの場になっていないという現実。

そんな価値観のすれ違いが、積もり積もって、ある日突然
どちらから云うともなく「もう別れましょ」となる。
あぁあぁ せつないのォ。


直木賞作家原作のユーモラスでどこか切ない現代の家族の肖像
【ラジオ第1】2014年5月4日~6月1日 毎週日曜 午後7時20分~
午後7時50分
【出演者】西田敏行 竹下景子

「竹竹の会」 伊那の「かんてんパパ」で

2014-06-03 13:35:46 | 虚無僧日記
長野県内の尺八愛好家が毎年集う「竹竹の会」。
「竹だけ」というのは、箏や三弦など他の楽器は無しの
尺八だけの演奏会。独奏の他、二重奏、四重奏もOK。

今年で21回目。チラシには虚無僧の写真が載り、
副題に「現代の虚無僧」と書かれているが、虚無僧の
古典本曲だけではない。琴古流、都山流の本曲もあり、
山本邦山、牧野由多可、杵屋正邦、野村峰山、吉松隆の
作品、さらには、「グリーン・スリーブス」の四重奏や
演歌・ポビュラーのアレンジもあって、飽きさせず、
聴き応えのある内容だった。

以前は、尺八は 琴・三弦の伴奏、“無くてもいい刺身の
つま”のような存在だったが、近年、堂々とソロ楽器
としての存在を主張している。

みなさん、すばらしく上手い。若い人の技量には圧倒された。
紅一点の若い女性Mさんも、難波竹山の二重奏曲を 
みごとに吹きこなした。
そしてイギリス人のオコナーさんは、古典本曲の『手向』。
日本人以上に“日本の心”を見につけている。

こんな すごいメンバーの中で、私は『竹頼五章』に
挑んだ。はたして、反応はどうだったのだろう。


「かんてんパパ」で 尺八の会 つづき

2014-06-03 13:35:22 | 虚無僧日記
ところで、何ゆえに「かんてんパパ」で?
「かんてんパパ」で知られる「伊那食品工業(株)」は
今、注目度ナンバー1の会社。就職希望者も殺到で
話題になっている。「従業員を大切にする会社」そして、
二宮尊徳の「道徳なき経済は犯罪、経済なき道徳は
寝言である」を経営理念に掲げる。

工場の敷地全体がテーマパークになっていて、多くの
観光客を引き寄せていることだ。その詳細はこちらのブログで。 

その「かんてんパパ」に勤める若いT君が、なんと
尺八を吹く。それも山本邦山の『掛合』をみごとに
吹いた。尺八もすばらしいし、さすが「かんてんパパ」の
社員。あついあつい“おもてなし”を受けた。

そして、翌朝。伊那の「朝起会」に参加。演談で、
「かんてんパパ」での尺八のことを話すと、なんと
会場に「かんてんパパ」で働いている方がおられ、
T君のことでイッキに話しが盛り上がった。

また、今回企画された「Kさんは、同じ町内」という
方もおられ、初めての土地でも、すぐさま親しく
うちとける。尺八のとりもつ縁、そして、全国どこにでも
ある「朝起会」のすばらしさである。

大鹿村の重要文化財「松下家住宅」

2014-06-03 09:37:06 | 虚無僧日記
行き当たりばったりの、無計画な旅をする虚無僧でござる。
大鹿村で「松下家住宅」という標識を見て立ち寄ってみた。

男の人が樹木の手入れをしていた。聞くと、「今は誰も住んで
おらず、管理を委託されている」とのこと。中を案内して
いただいた。

土蔵は「明和9年(1779)」(江戸で大火があった年)。
母(主)屋は「文政3年(1820)」の建築。と云うから
200年以上 経っている。

さて、家のことより「松下家」について、興味が沸いた。
長押(なげし)に薙刀と槍、そして土間に、侍用の馬具の鐙
(あぶみ=足をのせる台)があった。

「松下」といえば、秀吉が日吉丸だった頃、最初に仕えたのが
「松下嘉平治・之網」。「木下藤吉郎」の名は、この「松下
嘉平治」からつけてもらったという。「松下嘉平治」は、代々、
駿府(静岡)の今川氏に仕え、浜松城 (曳馬城)主の旗下として、
頭陀寺城(ずだじじょう)に居住していた。

永禄3年(1560)の「桶狭間の合戦」では、今川義元が討たれて
総崩れとなり、「松下嘉平治」は、「浜松から宮口方面に逃れ
姿を暮らました」と伝えられる。宮口は浜松の北、そこから
秋葉街道を北へ落ち延びれば、大鹿村がある。

年齢的にも、「松下嘉平治」は 天文6年(1537年)の生まれ。
桶狭間の時は23歳。そして、大鹿の初代「松平?(下)伊賀」が
没したのが文禄2年(1593)というから、年代的には符号する。

なにか、小説になりそう。

ただし、松下嘉平治の子「重綱」は、久野(袋井市)、烏山(栃木県)、
二本松(福島県)の城主になり、その子 長綱は、福島県の三春城
3万石の城主になっている。大鹿村に隠棲したのは一族か。





伊那~大鹿~しらびそ峠へ

2014-06-03 09:34:13 | 虚無僧日記
伊那の帰り、会津保科家と縁の深い「高遠」に行き、
そこから152号線を南下して「大鹿村」に行った。

すると、行く先々で、「中央構造線」という標識に出会った。
ウン万年も昔のことには興味のなかった私だが、「ゼロ
磁場の分杭峠」、溝口、北川、安康 の「露頭」を見学し、
壮大な大自然の“気”に触れ、圧倒された。

「中央構造線」は、静岡県水窪から青崩(あおくずれ)峠を
越えて長野県に入り、伊那山地と赤石山脈の間を、
遠山~大鹿~長谷(はせ)村へ北上し、高遠(たかとお)町の
東方から杖突(つえつき)峠を通り、茅野(ちの)市の
諏訪大社前宮付近へ続くとか。

南北に伸びているので、日本列島のど真ん中を縦に二分する
ので「中央」と思っていたが、関東から九州まで1000km
に、横断するものとのこと。


そして、土地の人に勧められ「しらびそ峠」へと向かった。
「しらびそ峠」は、標高1,918m。会津磐梯山(1,819m)より高い。
道は舗装されてはいるが、途中 ところどころ、車一台が
やっとの箇所もあり、カーブが多く、対向車が来たらどうしようと、
緊張。しかし、全く 車に出会わない。延々と、ひたすら山道を登る。

そして 突然「南アルプス」の 3000m級の山々が眼前に現れた。
まだ雪が残る。青い空に白と青の山。その景観は神々しく、
まさに「神々の宿る山」。

日本にも、このような所があるのかと。神と対峙している
ような心になる。ここは“天国か”と思う。

そして帰路、左手は断崖絶壁。千尋の谷。ガードレールもない。
車はころげ落ちるようにスピードが出る。ハンドル操作を
誤ったら、イッキに 1,000m下まで落下。落ちたら最後、
引き揚げるのも不可能。人知れずにあの世行きだ。


途中「御池山・隕石クレーター」の跡というのがあった。
この存在は、平成22年、国際学会誌に論文が掲載され、
「隕石クレーター」として公表されたばかりとのこと。
日本で唯一、国際的に認められている「隕石クレーター」
だそうだ。2~3万年前に 直径45mの隕石が、山腹に激突。
直径 約900mの大穴を開けた。この周辺は、崖が いきりたち、
その岩肌は焼けただれていると。いやはや驚き。
「神がくれぇたぁ」のか。

天国と地獄を味わった一日でござった。走行距離300km。