現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

また一人、独居老人が亡くなった。

2014-06-08 19:00:12 | 虚無僧日記
Nさんが 亡くなった。交通事故死。自転車に乗っていて
後ろから跳ねられた。たまたま私の知人の知り合いだった。
彼から聞いた話。

Nさんは、30年前に離婚し、内縁の妻がいる。しかし、
「死亡診断書」「火葬許可」など 葬儀の手続きは「相続人」と
決められているから、内縁の妻では、何もできない。
葬儀社では、「30年前に別れた子供の所在を調べて、
その子に連絡をとる」とのこと。ただし、子供の所在が
判っても、その子が葬儀も相続も拒否すれば、どうしようも
ない。

というわけで、ご遺体は葬儀社の霊安室に置かれたまま、
早 四、五日が経った。どうすりゃいいの!?

ご遺体の保管料、ドライアイス代だけでも相当かかるが、
誰が負担するのか。交通事故の加害者から「保険」の
ことなど聞きたいが、警察に電話しても、加害者のことは
一切教えられないとのこと。その警察官の態度もひどい。
「遊んでいるわけじゃないんだ! 今取り調べ中だから、
教えられるわけないだろッ!」と 怒鳴られたとか。

病院では、「交通事故の被害者の場合、健康保険は使えない
ので、現金で払ってくれ」と。病院に運ばれた時、まだ息は
あったのか、心臓は動いていたのか、すでに心肺停止だった
のか、で保険の請求も異なるのだが、それについても、
「第三者には一切 教えられない」とのこと。

さて、明日はわが身じゃ。私が死んだら、娘たちは来て
くれるのじゃろか。来てくれるように、きちんと親子の
関係を復元しておくべしか。

石は拾ってはいけない?

2014-06-08 19:00:02 | 虚無僧日記
大鹿村から国道152号線を南下し、しらびそ峠を廻って下る途中、
「御池山・隕石クレーター」の跡というのがあった。2~3万年前に
直径45mの隕石が、山腹に激突。直径 約900mの大穴を開けた。
その跡だそうだ。この周辺は、崖が いきりたち、その岩肌は焼けた
だれていると。
実はその焼け爛れた痕跡と思しき岩石を、持ち帰ってきてしまった。
以前、「国立公園法」では、国立公園内の草木も石も一切、絶対に
移動禁止だった。今「国立公園法」は「自然保護法」とやらに
変わったらしい。「しらびそ高原」一体は 国立公園ではないから
ま、いいか。

それに、このあたり落石が多く、道路上にころがっていた岩石
である。車の通行に障害となる。道路上に落ちていたのだから、
罪にはならないか?

そんな 不安を抱えながら、家まで持ち帰った。

さて「河原の石など、持ち帰ってはいけない」とよく言われる。
ネットでも「なぜですか?」という質問コーナーがあった。

「持ち帰ってはいけない」という理由は「石にも神(魂)が宿るから、
吉凶をもたらす」というもの。実際、「石を持ち帰ったら、身体の
具合が悪くなった」とか、「死んでしまった」という事例も多く
紹介されている。

 一方「そんなの迷信。気にすることはない」という意見も。

「気にしない、気にしない、平気平気」で持ち帰ってきた私だが、
実は、その翌日から、身体の調子が悪い。頭がボーッとして重く、
肩にも なにか重いものがおぶさってくる感じ。そう思うと、今も
冷気が走る。やはり石の霊か。隕石の放射線がまだ残ってるのか。

なんか不気味。もう死ぬかも・・・・・。 さいなら。

被爆者に「死に損ない」と暴言

2014-06-08 16:29:48 | 虚無僧日記
修学旅行生、被爆者に「死に損ない」 横浜の中学校謝罪(朝日新聞) - goo ニュース

修学旅行で5月に長崎市を訪れていた横浜市の公立中学校3年の
男子生徒5人が、被爆遺構を案内していた被爆者で語り部の森口貢
(みつぎ)さん(77)に「死に損ない」などと暴言を吐いたり、
やじを飛ばしたりした。森口さんは学校に抗議し、校長が電話で
謝罪したという記事。

ふむふむ。これだけ読むと“今時の子供は、けしからん”となる。
でも、その前に、騒いでる生徒に「聞かないなら出ていけ!」と、
何度か怒鳴ったたそうだ。売り言葉に買い言葉「死に損ない」と
なったらしい。現場に居なかった者が、是非を判断すべきでは
ない。それにしても、被爆者の生き残りが、なんで「死に損ない」
なのか、生徒の意図がわからない。本人もわからずに吐いたか。


会津戦争で生き残った者は、みな「死に損ない!」と暴言を
吐かれ、その屈辱に耐え、身を隠して必死に生きてきた。
「生き恥」を曝(さら)すことは許されないという時代だった。

会津戦争の責任を負って死罪となった家老「萱野長修」の一子
「長正」は、「郡(こおり)」と姓を変え、九州小倉へ留学して
いたが、「死に損ない」と言われて、みごとに割腹して果てた。
16歳だった。現代の価値観からいえば、「死ぬ必要はなかった。
バカな・・・」で片付けられてしまうことだろう。


広島の戦後の「平和教育」に反対するという動きが出てきている
そうな。戦後、広島で行われてきた「平和教育」は「みんな私達
(日本人)がいけなかったのです」という「自虐史観」だった。
もっと堂々と「日本人の誇りと自信」を取り戻す教育をすべき
というもの。彼らが担ぎだしているのが、なんと「東條英機」の
曾孫「東條英利」。(ご本人は、慎重な立場のようですが)。

こうした右翼の台頭で、また日本は「戦争ができる国」に傾き
つつある。そんな流れの中での、「平和を願う 被爆者への暴言」
であったとすると、怖い。