明治4年「太政官布」によって「廃仏毀釈」が行われ、虚無僧の
普化宗や山伏の修験道も廃止された。日本の伝統的宗教である
仏教を禁止するという大胆な施策は、どうして出されたのか。
それを提言したのは、なんと、会津藩士の「山本覚馬」。
NHK大河ドラマ『八重の桜』で知られるところとなった、八重の兄
である。
慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見で幕府方が敗れると、京都に
留まっていた山本覚馬は捕らえられ、投獄された。その時、すでに
目は見えなくなっていたが、付き人に口述筆記させて『管見』という
建白書を西郷隆盛に差し出した。新しい世になった時、日本が
改革すべきことを23項目にわたって詳しく論じたものである。
政治、経済から庶民の生活様式にいたるまで、実に細ごまと
具体的に述べている。その中に「仏教の廃止」が盛り込まれている。
「今、日本には45万軒ほどの寺院があり、僧職に就く者が
100万人もいるが、法を弁(わきま)え戒律を守る者は千人に一人。
悪行をせざる者は百人に一人、わずかにあるのみ。
その他の僧侶は皆肉食をなし、婦女を囲い、甚だしきは
寡婦を奪うに至る。物欲は俗人よりも強く、金貸しまでしていて、
世に益無し。これを廃するのが可なるべし。
これよりは、寺はみな学校とし、僧侶には農業、商業の実学を
学ばせ、官許をもって資格を与え、商人には英語、仏語、
算術を、農民には農業を、人に益ある事を教えしむべし。
それがダメな者は、農民、職人に帰属して、社会の富の生産に
従事させるべし。そうすれば、一千万金の益を生むことになる。
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江戸時代なのに、「僧侶が肉食、妻帯」とは驚き。「仏像を擁して
墓を守るのみ」と、現代と全く同じことを言っているのである。
今日の仏教への批判は、すでに江戸時代の庶民も同じで
あったことがわかる。
正規の寺や僧侶でさえ、このように見られていたのだから、
虚無僧などは、無頼漢のなにものでもなかったのである。。