公園で遊んでいた子供たちが、虚無僧の私を見て、
集まってきた。しゃがみこんで下から顔を覗こう
とする子。ついに、手で天蓋を上げようとする
子まで現われた。江戸時代ならお手打ちだ。
尺八を吹くと、つい首を振るものだから、天蓋が
ゆらゆら揺れるのが面白いらしい。一人の女の
子が、ぐっと尺八の管尻を掴んで
「振らないと吹けないの?」と。
私自身、ビブラートが多すぎるのを気にしていたこと
もあって、管尻を押さえられながら、揺らずに吹いた。
「なんだ、振らなくても吹けるじゃん」
子供に指導された一日だった。
「首振り三年」とは、“メリ”や“ナヤシ”等尺八独特
の手法を習得するのに三年かかるという意味だが、
最近私は、「揺らずに、ストレートに吹けるように
なるのに三年かかる」と解説するようになった。
名古屋駅の交番の前で虚無僧をしていたら、
年配の警察官が交番から出てきて、私の方に
近づいてきた。しばらく、尺八に耳を傾けた後、
「上手ですね、尺八」とやんわり声を掛けてきた。
余計なことは言うまいと無言でいると、
「あなたはお坊さんですか?」と 職務質問?
「虚無僧です」と答えて「明暗教会の会員証」を見せ、
「京都東福寺内の明暗寺から、『会員証』を
いただいています」
「東福寺?、有名な寺ですよね」
「判ったような判らんような顔をされたが、
会員証で納得されたのか、戻っていった。
虚無僧は、本来、肩書も資格も無いのだから、
明暗教会の会員証など要らないのだが、法治国家
である。「会員証」があれば、「これが目にはいらぬか」で すんなり収まる。
何年の前のこと、ある田舎のお寺で尺八の演奏と
講演を行った時のこと。2,30人くらいの観客に
混じって、制服の警察官が座って 聞いている。
ピストルを下げているから、ガードマンでは
ない。勤務中ではないのか? 講演が終わると、
周囲の人たちと談笑して、白いバイクで帰って
いった。平和な村なのだ。
数十年昔の“村の駐在所のお巡りさん”と村人の 麗しい関係が、まだその町では続いているのだ。
(まさか、虚無僧を不審者とみて探りにきたのでは? そういえば、町中いたるところに「不審者を見かけたら 交番に通報を」という看板があった。留守宅が多いので 空き巣被害も多いらしい)。
名古屋駅の通行量は一日170万人とか。20年前の5倍に
増えた。JRの構内は、ビラ配り、勧誘、托鉢行為
は禁止されているので、立ち止まっていると、すぐ
警備員が近づいてくる。でも、駅構内を歩いているだけで私の
私の姿をみて、喜捨してくださる方もいる。昨日も1人。
私の方が戸惑うが、奇特な方もおられるものだ。
一方、名鉄前は規制が緩く、寄付を求める団体やら、
ティッシュ配り、キャッチセールスの若者で賑やかだ。
「アンケートお願いしまーす」の若者たちは、ある宗教
団体への勧誘らしい。もう6年以上も毎日欠かさず続け
ている人達がいる。毎晩9時までだ。収入になるのだろ
うか、生活はどうしているのか。その熱意には感心する。
虚無僧で立っていると、最近喜捨してくださるのは
20代、30代の若い男性が多い。
それもビジネススーツを着た普通の人よりは、
ちょっとはみ出し気味の人が多いか。
まっ黄色のつなぎを着た金髪のあんちゃん。
金きら飾りのついた革ジャンの兄さん。
そういう人が近寄ってこられると、以前は一瞬
身体がこわばったが、今はもう平気。歓迎。
昨晩も、派手なグループが通りかかり、その中の
一人が近づいてきて、財布を取り出して、布施を
されようとする。仲間が「やめとけ」と、袖を引
っ張るが、彼はそれを振りきって、「こういうのには
きちんとしておかないと・・・、俺水子いるしなぁ」
とつぶやく。「供養させていただきます」と『恋慕』
の曲を心こめて吹かせていただいた。
一見怖そうなお兄さんたちにも「仏心」が目覚める。
これが虚無僧の存在意義だ。
「諸悪莫作 衆善奉行」の文字を最近よく見かける
ようになった。「一休の書」でも知られる。
白楽天の故事だ。白楽天が道林禅師に「仏法の大意」
を訊ねると、禅師は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えた。
「悪いことをしない、良い事のみ行い、心をいつも
清浄すること」と。すると白楽天は「なんだ、そんな
事なら3才の子供でもわかる」と云うと、禅師は
「そうさ、3才の子供でもわかるが、80になっても
行うことは難しい」と説いた。
なるほど「人を殺してはいけない」なんて3才の子供
でもわかるが、戦争は無くならない。「悪いことを
してはいけない」と子供の頃から教えられていても、
「ばれなきゃいい」と不正が横行している。
「人は騙せても、天知る、地知る、神様仏様が見て
いる」という“良心”に恥じることが少なくなったから
か、倫理や道徳、宗教が改めて見直されてきている。
虚無僧も「それ一吹は一切の悪を断ぜんが為、二吹は
一切の善を修せんが為」の「行化」なのである。