ネットの辞書で「馬聖(うまひじり)」を検索すると「虚無僧のこと」と ありました。虚無僧が「馬聖」とはどういうこと?
踊り念仏の祖「一向俊聖」が、袈裟を着けず「馬衣(うまぎぬ)」を着けた
ので「馬聖」と呼ばれたとのこと。では「馬衣」とは何?
「馬の革でつくった衣」という説。インドの苦行のひとつに「乞食行」があり、 「獣衣」をまとった。山伏が毛皮を腰に巻いているのもそれとか。
また「馬の毛で編んだ衣」という説もある。今でこそ、馬の毛で編んだ
ハンドバックは結構高価な物。冠、烏帽子も馬の毛で作られている。
「馬の背中に掛けるような布、貧乏人の象徴」という説が有力。 馬の背に大きく家紋を染め抜いた布が掛けられているのをよく見る。 室町時代の薦僧は、袖無しの羽織のようなものを肩から掛けている。 それで、薦僧も「馬聖」の仲間とされていた。
僧侶の袈裟は、元来は「糞掃衣(ふんぞうえ)」と言って、その意味は
「赤ん坊のおしめや雑巾のような使いふるした布切れを縫い合わせた
大きな布を、からだに巻きつける」というものだった。
それが、バラモンと区別するために、お釈迦様が「水田のごとくせよ」と
言われたとかで、五条、七条、九条の筋を入れた縫い合わせになっている。
一向俊聖が、僧侶の袈裟は付けず「馬衣」を着たというのは、五条、七条に
区切らないで、ただ一枚の(馬の背に掛けるような)大きな布をまとって
いたというのではないだろうか。
その後の調べで、いろいろ判ってきた。 馬衣は当初(鎌倉時代)は、粗く編んだ網目(あみめ)の布だった。 一向宗の徒は、当初「編んだ衣=編衣」を身にまとっていた。 それと「南阿弥陀」の「阿弥」をかけて「阿弥衣(あみごろも)」と称した。
それが、室町中期から「紙衣」となった。紙とはいっても麻を 漉いた繊維で、コンニャクや柿渋を塗って補強してあるので、 丈夫で風雨もしのげる、旅には便利なもの。
現代では編衣も紙衣も大変高価なもの。先日「職人・匠展」で、 チョッキでも数十万円していた。とても買えない。