現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

薦僧の他に

2017-03-09 08:09:19 | 虚無僧って?

室町時代に尺八を吹いていたのは「薦僧」だけではなかった。
鎌倉時代の『教訓抄』(1233年成立)には「今は目闇法師、
猿楽之を吹く」とあり、鎌倉から室町にかけて台頭してきた
盲目の琵琶法師や猿楽、田楽といった芸能集団が尺八を吹いて
いた。

文明17年(1485)「観阿弥の兄宗観が、尺八音曲太鼓など、その妙を
つくす」とある。

その他「徳阿、永阿、久阿、遁阿、菊阿、薫阿」という者が尺八を
吹いたという記録があり、彼らは、「○○阿弥」と名乗る「時宗
(じしゅう)=時衆=念仏宗」の徒であった。


尺八は「」と蔑まれた芸能集団や目闇法師の特技となったが、
一方で、楽人や貴族の中でも尺八を好む者はいた。

『大内氏壁書』と同時期の『お湯殿の上の日記』文明16年(1484)
5月1日の条には、

 「(後土御門帝が) 舞人久時を御小庭に召して、尺八を吹かせ、
  ことふし(筝の節か?)にて『太平楽』いろいろさまめつらしく、
  めでたし。久時に御扇賜う」

とあり、宮廷に使える楽人で尺八を吹く者がいた。また天文6年
(1537)「後奈良帝が景通を召して尺八を観賞し、太刀と扇を賜る」
など、尺八を吹奏するのは特筆すべきこととして記録されている。

尺八はそうカンタンに誰でも吹けるものではないので、尺八が
吹けると「珍しい」と賞賛されるのは現代も同じか。

 


虚無僧は「おこもさん」

2017-03-09 08:00:02 | 虚無僧って?

「虚無僧」の語源は「薦僧(こもそう)」。
「薦を負い、社寺の軒先に野宿する僧」という意味で
しょうか。

戦後、上野あたりには、薦むしろの上に座って『右や
左のだんなさま』と物乞いをする乞食がいた。家々を
廻って物乞いをすることもあり、乞食のことを「お薦
(こも)さん」と呼ぶ人もいた。

30年ほど前、虚無僧で新潟あたりを廻った時、「おこもさん」と
呼び止められたことがありました。その時は「おこもさん」が
乞食のことだとは知りませんでした。


現在は「物乞い」は「軽犯罪法」で禁止されていますので、
ホームレスが「物乞い」をすることはありません。


でも、「乞食行(こつじきぎょう)」は、僧侶の修行の
一つであり、また、「乞食(こじき)」に施しをすることも、
仏道の徳積みと一般に理解されています。


ですから「高野聖」や「放下」「薦(こも)」など、
正式の僧侶でなくとも、「薦僧」「放下僧」「薦僧」と、
広い意味での「仏道修行者=僧」とされていました。

室町時代は「薦僧」だったのが、当て字の好きな江戸時代の
人によって「虚妄僧」「虚無僧」などと漢字が当てられた
ようです。

延宝5年(1677)、江戸幕府から「青目・鈴法寺」と「下総
小金・一月寺」宛てに出された『掟』書きが「虚無僧」と
明記された最古の文書のようです。この時はまだ「普化宗」
という宗派名はありません。






「一所不住の者」

2017-03-09 07:57:24 | 虚無僧日記

「一所不住の者」つまり、「住所不定の者」の中に「虚無僧」も。

「住所不定の者の宗旨を明らかにせよ」というお触れと、

「一夜の宿を貸してはならぬ」つまり「泊めてはいかん」というお達し。

 

「名古屋叢書」第3巻 法制編(2)

p.389 「当町(赤塚町)に罷り在り候 一所不住之者之覚え」 

 万時2年(1659) 

 道心者、 商いをやめ候者、念仏まうし、行人、陰陽師、いんない、

 神子、堂守、猿引き、ことふれ、こも僧(虚無僧) 、謡舞教え候者

 ごぜ、比丘尼、座頭、ささらすり、えた、茶筅つくり、はちひらき

 このほかにも 右の類のもの共、その町の町人と五人組合 仕り

 罷り有り、宗旨の詮議いたし候ものは、その通りにて差し置くべき候。

 常々宗旨の儀 穿鑿(せんさく)仕り、あやしきもの之れ有れば、早速

 可申出候。

 幾里志丹(キリシタン)は申すに及ばず、宗門疑わしき様子の者を

 存じながら、隠し置き、申し出ず、外(ほか)より顕(あらわ)れ候ばは、

 ご詮議の上、その町の町代、組頭、ならびに町人ども 品により

 曲事に仰せ付けらるべく候事。

 

一 右の類の者ども 一夜の宿も一切仕らず候様に可申付候。

   併(しか)し 右の類の内、たしかなる者にて、所に指し置きたき

   仔細これ有らば、その赴き 可申来候事。