現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

狂言 「楽阿弥」考 1

2018-05-07 18:54:50 | 虚無僧日記

狂言に『楽阿弥』というのがある。

狂言の中で最も古く「南北朝頃の作か」と言われて
いるが、いろいろ疑問点がある。

1.「宇治の朗庵主の頌にも『手づから両頭を切断して
より後、尺八寸中古今に通ず』」という台詞が出てくる。
これは1511年頃の『体源抄』に一休作として載っている
もの。また「文明丁酉(1477)年祥啓筆」と記載のある
『朗庵像』には「宇治の朗庵」の作となっている。


2. 「われらも持ちたる尺八を、袖の下より取り出だし」
は、1518年成立の『閑吟集』にある。

狂言『楽阿弥』が『体源抄』や『朗庵像』に影響を与えた
とすると、1477年以前の作となる。逆に『体源集』や
『閑吟集』から転用したと考えると、1520年以降の作と
なる。




狂言 「楽阿弥」  再考 

2018-05-07 18:51:07 | 虚無僧日記

以前にも書いたが、狂言に『楽阿弥』というのがある。
いずれ、私のリサイタルで演じたいと思っている。

そのDVDを入手したが、ごく一部のみの「素謡」と
「素踊」だった。衣装とか、小道具が登場せず、
がっかり。

さて『楽阿弥』の内容は、

「その昔、楽阿弥という たいそう尺八狂いの
男がいて、時と所をかまわず、尺八を吹くもの
だから、村人に嫌われて、殺されてしまった」
という話。

狂言だが、楽阿弥の霊が現れて、旅の僧に最期の
様子を語るという「夢幻能」の形式になっている。

能の様式の一つ「夢幻能」の形であることから、
狂言の中で最も古く「南北朝頃の作か」と言われて
いるが、いろいろ疑問点がある。

「大尺八、小尺八、四笛、半笛」が登場するのだ。

旅の僧が、懐から取り出して吹く尺八を、「僧正」に
引っ掛けて「双調切り」と言っている。「双調」は
音程の和名でG(ソ)を基音とする尺八のこと。その
長さは1尺2~3寸前後。(管の太さで異なる)。袖に
はいるサイズだ。

楽阿弥は「双調切を われが吹くと かしましい
(うるさい)ので」と、「大尺八」を取り出して吹く。

幕末の1820年に出された『狂言不審紙』という解説本
には「大尺八は2尺5寸、小尺八1尺2寸、これ半笛
という」とある。

長さが半分になれば1オクターブ高くなることが理解
されていたのだ。しかし、2尺5寸の尺八が室町時代に
存在していたとは思えないのだ。史料や実物が現存して
いない。

室町時代の尺八は1尺1寸ほどの「一節切り(ひとよぎり」
だった。江戸時代になって1尺8寸が標準となり、
一節切りを「小尺八」、1尺8寸を「大尺八」と区別した
のではないかと思うのだが、『狂言不審紙』の作者は
何を根拠に「大尺八を2尺5寸」としたのだろうか。
謎なのである。