狂言に『楽阿弥』というのがある。
狂言の中で最も古く「南北朝頃の作か」と言われて
いるが、いろいろ疑問点がある。
1.「宇治の朗庵主の頌にも『手づから両頭を切断して
より後、尺八寸中古今に通ず』」という台詞が出てくる。
これは1511年頃の『体源抄』に一休作として載っている
もの。また「文明丁酉(1477)年祥啓筆」と記載のある
『朗庵像』には「宇治の朗庵」の作となっている。
2. 「われらも持ちたる尺八を、袖の下より取り出だし」
は、1518年成立の『閑吟集』にある。
狂言『楽阿弥』が『体源抄』や『朗庵像』に影響を与えた
とすると、1477年以前の作となる。逆に『体源集』や
『閑吟集』から転用したと考えると、1520年以降の作と
なる。
以前にも書いたが、狂言に『楽阿弥』というのがある。
いずれ、私のリサイタルで演じたいと思っている。
そのDVDを入手したが、ごく一部のみの「素謡」と
「素踊」だった。衣装とか、小道具が登場せず、
がっかり。
さて『楽阿弥』の内容は、
「その昔、楽阿弥という たいそう尺八狂いの
男がいて、時と所をかまわず、尺八を吹くもの
だから、村人に嫌われて、殺されてしまった」
という話。
狂言だが、楽阿弥の霊が現れて、旅の僧に最期の
様子を語るという「夢幻能」の形式になっている。
能の様式の一つ「夢幻能」の形であることから、
狂言の中で最も古く「南北朝頃の作か」と言われて
いるが、いろいろ疑問点がある。
「大尺八、小尺八、四笛、半笛」が登場するのだ。
旅の僧が、懐から取り出して吹く尺八を、「僧正」に
引っ掛けて「双調切り」と言っている。「双調」は
音程の和名でG(ソ)を基音とする尺八のこと。その
長さは1尺2~3寸前後。(管の太さで異なる)。袖に
はいるサイズだ。
楽阿弥は「双調切を われが吹くと かしましい
(うるさい)ので」と、「大尺八」を取り出して吹く。
幕末の1820年に出された『狂言不審紙』という解説本
には「大尺八は2尺5寸、小尺八1尺2寸、これ半笛
という」とある。
長さが半分になれば1オクターブ高くなることが理解
されていたのだ。しかし、2尺5寸の尺八が室町時代に
存在していたとは思えないのだ。史料や実物が現存して
いない。
室町時代の尺八は1尺1寸ほどの「一節切り(ひとよぎり」
だった。江戸時代になって1尺8寸が標準となり、
一節切りを「小尺八」、1尺8寸を「大尺八」と区別した
のではないかと思うのだが、『狂言不審紙』の作者は
何を根拠に「大尺八を2尺5寸」としたのだろうか。
謎なのである。