現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

阿字観(あじかん)

2018-05-29 20:59:30 | 尺八・一節切

虚無僧本曲の人気No.1『阿字観』。虚無僧で吹いていて
「“アジカン”お願いします」と言われたことが何回かある。
ハワイ大学での公演でもリクエストされた。

「阿字観」は、大正期に宮川如山が「サシ」を変曲したもの。
宮川如山は、激しく揺りを入れて4分弱で吹いたというので、
「ねりさし」に近いものだったと思える。それが、谷狂竹が
2尺5寸の長管で、ゆったりと静かに吹いたので、その弟子の
西村虚空の録音では9分もの長い曲になっているそうな。

「アジ」「サシ」とは?。梵字の「阿字」と「薩字」の意味
だった。「ア」は、梵字の第一音だから、物事の根源の意味。
「サ」は観音菩薩の種字とか。真言宗に「阿字観」という
修行法があるそうな。難しい解釈はわからん。虚無僧本曲に
は元々深い意味など無いのではと、私は思う。


18歳の時の虚無僧体験 2

2018-05-29 20:58:25 | 虚無僧日記

(「18歳の虚無僧体験」の続き)

村から逃げるように、山の上へ上へと登って行った。
急な斜面の上にも藁葺き屋根の農家があった。こんな
高地でも人が住んでいるのだと感動して、軒先で尺八
を吹く。すると斜面の下の方から、おばあさんが駈け
登ってくる。炎天下だ。おばあさんは、手ぬぐいを
とって、私に頭を下げ、裏口から家の中に入っていった。
そしてしばらくしてお盆の上に白米を山盛り乗せて出て
こられたのだ。

しばし私は躊躇した。白米を偈箱にそのまま流し込む
わけにはいかない。今のようにポリ袋なんて無い時代だ。
いただいても、炊いて食べることもできない。そんな
ことより、「自分は尺八が好きだから吹いているだけ。
この炎天下、汗水たらして作ったお米をいただくのは
申し訳ない」という思いにかられて、「いだだけません」
と断って、また逃げるように山を降りてしまった。

このことが一生の後悔となっている。おばあさんの
志を無にしてしまったのだ。どんなに傷つけたことか。
あれから30年経って、今から12年ほど前だが、思い
出の地を車で回ってみた。ダムができ、磐越道もできて、
村々の様子はすっかり変わっていた。あの山の上の
一軒家も探すことはできなかった。