虚無僧本曲の人気No.1『阿字観』。虚無僧で吹いていて
「“アジカン”お願いします」と言われたことが何回かある。
ハワイ大学での公演でもリクエストされた。
「阿字観」は、大正期に宮川如山が「サシ」を変曲したもの。
宮川如山は、激しく揺りを入れて4分弱で吹いたというので、
「ねりさし」に近いものだったと思える。それが、谷狂竹が
2尺5寸の長管で、ゆったりと静かに吹いたので、その弟子の
西村虚空の録音では9分もの長い曲になっているそうな。
「アジ」「サシ」とは?。梵字の「阿字」と「薩字」の意味
だった。「ア」は、梵字の第一音だから、物事の根源の意味。
「サ」は観音菩薩の種字とか。真言宗に「阿字観」という
修行法があるそうな。難しい解釈はわからん。虚無僧本曲に
は元々深い意味など無いのではと、私は思う。
(「18歳の虚無僧体験」の続き)
村から逃げるように、山の上へ上へと登って行った。
急な斜面の上にも藁葺き屋根の農家があった。こんな
高地でも人が住んでいるのだと感動して、軒先で尺八
を吹く。すると斜面の下の方から、おばあさんが駈け
登ってくる。炎天下だ。おばあさんは、手ぬぐいを
とって、私に頭を下げ、裏口から家の中に入っていった。
そしてしばらくしてお盆の上に白米を山盛り乗せて出て
こられたのだ。
しばし私は躊躇した。白米を偈箱にそのまま流し込む
わけにはいかない。今のようにポリ袋なんて無い時代だ。
いただいても、炊いて食べることもできない。そんな
ことより、「自分は尺八が好きだから吹いているだけ。
この炎天下、汗水たらして作ったお米をいただくのは
申し訳ない」という思いにかられて、「いだだけません」
と断って、また逃げるように山を降りてしまった。
このことが一生の後悔となっている。おばあさんの
志を無にしてしまったのだ。どんなに傷つけたことか。
あれから30年経って、今から12年ほど前だが、思い
出の地を車で回ってみた。ダムができ、磐越道もできて、
村々の様子はすっかり変わっていた。あの山の上の
一軒家も探すことはできなかった。