『名古屋叢書』 第24巻 雑纂編(1)
「紅葉集」2 P.53 諸士刃傷事件
元禄16年 9月
摂州様(高須藩主) 御次小姓「矢部幸左衛門・染之助」
御法に背き、高須を立ち退き候。御領知奉行「平沢只左衛門」
吟味仕り、足軽共を所々方々へ出し、尋ね申し候処。
「矢部幸左衛門」 “こもそう(虚無僧)” に成り、七、八人連(づ)れにて、
大津に止宿仕り候を見出し、代官所へ届け、「平沢只左衛兵門」の
足軽「市左衛門」が 宿へ押し入り、「幸左衛門」を召し取り候。
染之助は松坂にて 延右衛門 が からめ取り、二人共に
斬罪に 仰せ付けられ候。
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「御法に背き」とは脱藩したことか。その理由は不明。
「染之助」は「矢部幸左衛門の息子」か。父子で逐電し、
幸左衛門は大津で、染之助は 伊勢松坂で捕えられ、
二人とも斬罪となった。脱藩が斬罪とは厳しい。
「虚無僧が 七、八人連れだった」というのが面白い。
どこで虚無僧の資格と道具を手に入れたのかが知りたいところ。