現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

インド音楽を尺八で、ティム・ホッフマン つづき

2018-07-19 19:55:09 | 地球人類の問題

ホフマンは、群馬県の下仁田に住んでいる。帰りは

中央高速バス。夜11時、名古屋発。それまでの2時間、

夕食を共にすることとなった。宿泊先のホテルの前に

「インド料理」の店があったので、そこにはいる。

店は50席もあるだろうか。 広いが、客はゼロ。 最近

インド・ネパール料理の店があちこちにオープンしている。

だが、名古屋人は まず入らない。どこもガラ空きで気の毒。

他に客が居ないのを幸い、,ネパール人の店長に了解を得て、

尺八を取り出して、ホフマンからインド音楽を習う。

電子機器で、シタールやタブラの演奏を伴奏に、尺八を吹く。

リズムも テンポも ラーガ(音階)も自由に変えられるから便利。

とにかく、メリ、カリばかり。そして、首振りは絶対ダメ。

2ヘルツの狂いも許されない。ホフマンは絶対音程を持って

いるから厳しく、何度も注意される。リズムも 7、15、16拍子と、

チンプンカンプン。

彼は、タブラで「千鳥の曲」も演奏できる。タブラは鼓のように

音程が作れるのだ。「千鳥の曲」に タブラを入れたら、掛け合いの

所など面白いのに、日本人は、それを許さない。それを必要としない。

かくて、彼のすばらしい才能は、日本では全く受け入れられない。

だが、「インドやタイでは、20日間の滞在で 21公演も行ってきた」

とのこと。 日本人の閉鎖性を 彼は 嘆くばかり。

 


インド音楽を尺八で、ティム・ホッフマン

2018-07-19 19:53:34 | 地球人類の問題

アメリカ人の尺八家「 T.M.Hoffman 」が 今夏もまた
名古屋にみえた。OO大学での講師を勤めるため。

ホッフマンは、インド音楽を 筝と尺八で演奏する。
インドと日本楽器の融和を通して、インド人と日本人の
考え方の相違を論じて、慶応の国際コミュニケーション
学科の講師でもある。

「楽器をコップに例えると、中に入っているものが音楽。
日本人は、このコップには水しか入らないと思っている」
と。

なるほど、日本では、レストランなどで、水、ジュース、
ミルク、コーヒー、紅茶、緑茶を注文すれば、それぞれ
みな入れ物が違う。

「インド人は、一つのコップに、何でも入れて飲む。
ただし、コーヒーに牛乳は合うが、牛乳とオレンジ
ジュースは合わない。合うものと合わないものを
見分ける目と耳を持っている。

「インド人は、ヴァイオリンやコントラバスなど
洋楽器もすぐインド音楽に取り入れた。尺八や筝は、
あらゆる音を出すことが可能で、「インド音楽を
演奏するのに最もふさわしい」とインド音楽の権威も
認めた。
ところが、「日本人は、尺八の代わりにヴァイオリンで
弾くのは『春の海』だけ。ヴァイオリンで地歌や尺八の
古典本曲は決して弾かない。『インド音楽を学びたい。
シタールを習いたい』と私のところに来る。『シタールより
箏の方が学びやすい。箏で教えよう』というと、『イヤ』と
拒否する」。

「インド人はできなくても“できる、できる”と言う。
『尺八?いいね、貸してみろ、(自分は)吹ける、吹ける』
と、まず吹いてみようとする。日本の尺八家は『インド音楽?、
だめだめ、吹けない』と拒絶する」。

「インド人と日本人は“火”と“氷”。全く考え方が違う」と
ホッフマンは言う。

その“火”と“氷”のインド人と日本人の間をとりもつのが
ホッフマンの役目。国際コミュニケーション学科とは、双方
の考え方の違いを顕わにして、その上でどう理解しあえるか
考える学科なのだそうな。尺八でインド音楽、そしてコミュニ
ケーション学科の慶応大学の講師。おそれいりました。


祇園祭はユダヤの祭り?

2018-07-19 19:51:46 | 地球人類の問題

京都の祇園祭は毎年7月1日から1か月間にわたって
行われ、そのハイライトが7月17日の「山鉾巡行」と
「神輿渡御」。

ところで、なぜ「7月17日」なのか。それが、
ユダヤの「謝肉祭」の日と一致するというのが
最近話題になっているようです。

この日は、ノアの箱舟がアララテ山に到着した日で、
「人類の救いの日」であり、「新しい歴史の最初の日」
だったというです。


ノアの箱舟が到着したアララテ山は、現在のアルメニヤ
近郊にある「タガーマ州のハラン」と云われています。
えっエッえ?「たがーらはらん」??。なんと「高天原
(タカマガハラ)」と似ているではないですか。

祇園祭りに登場する山車の中には、ラクダの絵や
古代ヘブライで用いられた織様が多く存在している
のも不思議です。
船型の山車もあります。

旧約聖書の『創世記』の一場面を描いた16世紀末の
タペストリーや、ダビデ王を描いた図も。

しかし、これらは江戸時代以降のものであり、なぜ、
キリシタン禁制の江戸時代にユダヤの旧約聖書の図柄が
公然と飾ることができたのかが謎です。

その他、「神輿(みこし)」は ヘブライの秘宝「契約の
聖櫃(アーク)」と極似している。「アーク(聖櫃)」とは
モーセが神から授かった「十戒石板」(モーぜの十戒)を
保管するための箱で、全体に黄金が貼られており、
上部には二つのケルビムの像が羽を広げて向かいあっている。
日本の神輿も金で覆われていて、神輿の上には鳳凰が
飾られている。アークの下部には二本の棒が貫通しており、
移動するときには肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして
騒ぎ立てた。

そのことから、「モーゼの十戒」を納めた「アーク(聖櫃)」は
日本にまで運ばれてきて、四国の剣山頂付近の洞穴に
隠されているとか・・・・。


縄文人は太平洋を渡った

2018-07-19 19:44:41 | 地球人類の問題

東日本大震災と津波から2年経って、岩手県から流された
小さな小船がアメリカ西海岸に漂着した。その中に
「石ダイ」が5匹生息していたというニュースがありました。
「石ダイ」は日本近海に棲む魚ですから、2年もの間、
小さな舟の中で生き続けていたことになります。

それで思い出すのが、5千年も前に縄文人が大挙して、
丸木舟で南アメリカに渡ったという説です。
それは、エクアドルで発見された土器が縄文土器と
全く同じだったということからの推測です。

震災で流された舟がアメリカに辿りついたということから、
潮流の乗って、丸木舟でも太平洋を横断できることは
解りました。しかし、2年もの間、食料はどうしていたので
しょう。「石ダイ」のように、魚が舟に飛び込んできたので
しょうか。


最近、DNAの検査で、日本人男性の42%が持つ「YAP+」と
いう特殊な塩基配列は、アフリカ、地中海沿いの中東から
イタリア南部、アルタイ、チベット、インド洋のアンダマン諸島、
エスキモー、アメリカのネイティブインディアンに見られる。
しかし、中国、韓国には全く見られないということが解って
きました。日本人と中国、韓国人とは、似て非なる民族という
ことです。

アメリカ大陸のインディアンやインカ帝国を築いたのは、
古代縄文の日本人。

アンデスから発見された2体のミイラからは、稀少なウイルスが
見つかり、これも南西日本とチリの一部の地域でしか存在しない
ものとか。

5千~1万年前に、鹿児島の鬼界ガ島や桜島で大きな火山爆発があり、
その雲が日本国中を覆い、作物がまったく採れなくなり、縄文人が、
大挙してベーリング海峡ルートと、南太平洋ルートでアメリカ大陸に
渡ったと、考えられているようです。
 


日本人は“真に”友好的?

2018-07-19 19:42:58 | 地球人類の問題

ティム・ホフマンの話しから

日本に来た時、初めて会う日本人は、みなフレンドリーで
親切だった。時間は守るし、平和で安全、安心できる国と
感じた。ところが、長く居ると、外国人ということで、言い
知れぬ差別を受ける。
「アメリカ人がインド音楽を尺八で吹く」ということに、
興味より嫌悪を感じるようだ。自分は、日本の尺八に惹かれ、
その可能性を広げ、全世界に広めたいのに、そのことに、
日本人はとても冷ややか。

インドに初めて行った時、空港でもタクシーでも、市場でも
金をボラれ、ふんだくられ、物を盗まれ、不快だった。
インド人は知らない人からは、盗ってやろうとする。

でもそれは、「インドに来るならば、いろいろ勉強してこい。
強くならねば この国では生きていけない」ということを
学ぶための“試験”なのだと 後で判った。

長くいると、インド人は、とても友好的、家族的になる。

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これは、また別のアメリカ人の話。

日本人は、初対面では、名刺を交換し、親しげに挨拶を
交わし「また お会いましょう」といってくれる。だが、
その後電話がかかってくることは まず ない。次の
ステップに進まないのだ。

これも、なるほどである。私の名刺入れには1,000枚ほどの
名刺が入っているが、一度きりの人ばかり。一期一会?

そして、長くお付き合いを続けている人の名刺は無い。



不老不死

2018-07-19 19:41:44 | 地球人類の問題

「牧原」で検索をかけたら、「牧原直亮」が出てきた。
私の先祖だ。昌平校に学ぶ仲間たちと日本各地に伝わる
怪談話を集めて『今斉諧』という書を編纂したらしい。

その中のひとつ。
「美濃大垣と越前の堺、根尾野村あり、山に仙女が住む
と言う。朝倉義景の臣下某の娘らしい。朝倉滅亡の後、
山に篭り、女子を産む。その子巌穴に成長して、木の
実を食べて生きながらえ、今二百六十歳に及ぶと言う」。

いかにも、薄墨桜で有名な根尾村らしい伝説だ。

「長寿」で検索すると、この手の話は、結構出てくる。

「徳川時代、超長寿の一家がいた。慶長7年生まれの農夫、
萬平(満平とも)は、天保10年の記録によると 240歳、
妻(後妻)132歳、長男萬吉199歳、その妻、196歳、その
子 萬造152歳、その妻151歳であった。渡辺崋山の門弟が
この3夫婦を描いた一幅が残っている」という。

「人魚の肉を食べて不老不死となり、生き続けなければ
ならなくなった八百比丘尼の伝説」も有名。この話などは、
死ねずに生き続けることの苦しみを語っている。

「人生限りがある」から充実した毎日が過ごせるのだ。


天才と凡人

2018-07-19 19:40:07 | 地球人類の問題

天才と凡人、脳の中身に差はないそうだ。
人間とチンパンジーも、遺伝子は2%しか違いが
無いとか。

爪の細胞は、皮にも髪の毛にもなりうる総ての
遺伝子を持っているが、その中で爪になる遺伝子
が開花すると爪になるという。

その理論から行くと、すべての人間は、あらゆる
能力を持っているのだが、そのほとんどが閉じた
ままの状態にある。

たとえば、赤ん坊がハイハイし、立って歩けるように
なるのは、その能力を開花させたからだ。そのように、
スポーツマンとしての能力を開花させることによって、
その部分の筋力が付き、他人と違う身体になる。
天才も、その部分の能力を開花させたわけで、誰でも
開花できる能力は持っている。開こうという“気”が
無いと凡人のままなのだ。

なるほど、私も「尺八を吹く」という能力を開花させた。
「暗譜はできない」とあきらめていたが、「その能力を
眠らせていただけ」と思うのだが、どうしたら暗譜する能力を
開花できるのかがわからない。