虚無僧の源は、室町時代から戦国時代、一部の浪人が、糊口を得るために尺八を吹いて銭米を乞うた「薦僧」。その薦僧に生きる術を教えたのが一休だったと私は考えます。一休とんち話の「このはし渡るべからず」。ただ「端」と「橋」をかけた言葉遊びではなく、これには深い意味が。つまり「右にも左にも偏らない」「明にも暗にもとらわれない」生き方を説いたものでした。虚無僧は、正に「過去にとらわれない、明日をうれえない」「逆境を嘆かない」喜怒哀楽に一喜一憂しない生き方なのです。
小話10 一路のこむそう部屋 一休さんの母の手紙
浪人の一時しのぎの仮の姿が薦僧。その薦僧に生きる力を与えたの一休さん。一休さんも若い頃、将来を悲観して瀬田川に身を投げようとしたことがあった...
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浪人の一時しのぎの仮の姿が薦僧。その薦僧に生きる力を与えたの一休さん。一休さんも若い頃、将来を悲観して瀬田川に身を投げようとしたことがあった。自殺未遂。一休を救ったのは「母からの手紙」。「一休よ、どこぞの寺の住職などにならなくてもいいではないですか。お釈迦様も達磨さんも、経典も寺も無く、ただ自ら修行を積んで悟りを得た。三万巻もあるという経典を諳んじたところで、お前様が人様の役に立たなければ、くそ虫とおなじこと。釈迦も達磨も僕(しもべ)とするような人物になれば、どこぞの寺の住職なぞにならなくてもいいではないですか」というもの。すごいことを云っているのです。正に一休は「地位も肩書も名誉も求めず、墨染めの衣の一托鉢僧としていきたのです。それなのに今はや一休の名は世界中に知れ渡っており、母の予言通り、一休は釈迦も達磨もしのぐ高名な坊さんになったのです。 この話は虚無僧にどれだけ力を与えたことか。私も多いに励まされました。