『八重の桜』の第1回で、会津藩の『家訓(かきん)』も
取り上げられていました。
「一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず」
第1条は、私も小学生の頃から諳んじていたものです。
これは藩祖「保科正之」が定めたもの。「保科正之」は
徳川三代将軍「家光」の弟であり、江戸幕府の大老格で、
幕藩体制を確立した名君と言われます。『天地明察』でも
出てきました。
さて、江戸幕府が、諸侯に訓示した『武家諸法度』では、
第一に「文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムベキ事」とあって、
「武」より「文」が先にきているのですが、会津藩では
「文」は無く、第ニ条が「武備はおこたるべからず」
なのです。
そして「上下の分を乱るべからず」「兄をうやまい、弟を
愛すべし」ですが、第四条に「婦女子の言 一切聞くべからず」と、
現代では とんでもはっぷんな条項がきます。
その後で「主をおもんじ、法を畏るべし」なのです。
これは、保科正之を「女嫌い」にさせた、ある事件が
あったからです。
それは、保科正之の継室「お万の方」が産んだ長女「媛姫」は
米沢上杉に嫁し、側室の生んだ四女「松姫」が、加賀の
前田家に嫁ぐことになった。「お万の方」は、側室の娘が
自分の娘より格上の大名家に嫁ぐことを妬んで、祝言の宴に
「媛姫」と「松姫」を招き、「松姫」を毒殺しようとした。
「松姫」付きの老女がそれを察知して「姉君よりお先に」と
「媛姫」の膳と「松姫」の膳を取替えた。それで「松姫」を
殺すはずが、わが娘「媛姫」を殺してしまったのである。
関係者は処刑され、「お万の方」は死は免じられたものの
一生幽閉されたという事件。
この一件で「保科正之」は「女の業」の深さに、つくづく
イヤ気がさした。そういえば、「正之」自身も、秀忠の
側室の子であり、赤子の時、正室「お江」によって
殺されかけたのでした。
会津藩では、三代「正容」の時にも、側室同士による烈しい
世継ぎ争いが起こります。この時の「側用人」だった、わが
先祖「牧原只右衛門」は、側室の怒りで、嫡子が早世し、
お家断絶の憂き目に遭うのでした。「女は怖い」。
取り上げられていました。
「一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず」
第1条は、私も小学生の頃から諳んじていたものです。
これは藩祖「保科正之」が定めたもの。「保科正之」は
徳川三代将軍「家光」の弟であり、江戸幕府の大老格で、
幕藩体制を確立した名君と言われます。『天地明察』でも
出てきました。
さて、江戸幕府が、諸侯に訓示した『武家諸法度』では、
第一に「文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムベキ事」とあって、
「武」より「文」が先にきているのですが、会津藩では
「文」は無く、第ニ条が「武備はおこたるべからず」
なのです。
そして「上下の分を乱るべからず」「兄をうやまい、弟を
愛すべし」ですが、第四条に「婦女子の言 一切聞くべからず」と、
現代では とんでもはっぷんな条項がきます。
その後で「主をおもんじ、法を畏るべし」なのです。
これは、保科正之を「女嫌い」にさせた、ある事件が
あったからです。
それは、保科正之の継室「お万の方」が産んだ長女「媛姫」は
米沢上杉に嫁し、側室の生んだ四女「松姫」が、加賀の
前田家に嫁ぐことになった。「お万の方」は、側室の娘が
自分の娘より格上の大名家に嫁ぐことを妬んで、祝言の宴に
「媛姫」と「松姫」を招き、「松姫」を毒殺しようとした。
「松姫」付きの老女がそれを察知して「姉君よりお先に」と
「媛姫」の膳と「松姫」の膳を取替えた。それで「松姫」を
殺すはずが、わが娘「媛姫」を殺してしまったのである。
関係者は処刑され、「お万の方」は死は免じられたものの
一生幽閉されたという事件。
この一件で「保科正之」は「女の業」の深さに、つくづく
イヤ気がさした。そういえば、「正之」自身も、秀忠の
側室の子であり、赤子の時、正室「お江」によって
殺されかけたのでした。
会津藩では、三代「正容」の時にも、側室同士による烈しい
世継ぎ争いが起こります。この時の「側用人」だった、わが
先祖「牧原只右衛門」は、側室の怒りで、嫡子が早世し、
お家断絶の憂き目に遭うのでした。「女は怖い」。