現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

白虎隊隊長「日向内記」の名誉回復

2021-08-22 19:36:22 | 「八重の桜」

白虎隊の話は、ただ一人蘇生して生き残った「飯沼貞吉が語った話」というのが元になって、「戸の口原で敵の砲撃を受け、大方が戦死、生き残った者がようやく飯盛山までたどりついたが、城の焼けるのを見て、もはやこれまでと、全員自決した」と、どの本にも書かれているが、私としてはどうも腑に落ちない点があった。白虎隊士の多くが生き残っているから、「全員戦死か自決」というのは嘘であると。

飯沼貞吉の話では、隊長の日向内記食料を取りに行くと言って 強清水まで引き返し、そのまま帰ってこなかった」と。

そのことで、日向内記は、「戦わずに逃亡し、白虎隊士を置き去りにした」と非難され、戦後は姿をくらまさざるを得なかった。子孫も「日向」姓を名乗れずに、長い間消息不明だった。最近になって、日向の子孫が名乗り出、漸く再評価されつつある。



「白虎士中二番隊」は37名いた。23日未明より敵の襲来を受け、3隊に別れて逃走した。

教導役「篠田儀三郎」に従った17人の内、飯沼とともに飯盛山で自刃したのは6名だったようだ。内一人 飯沼貞吉が蘇生。その他の場所で自刃した者3名、合わせて9名。飯沼達が自刃する前に「城へ戻ろう」と飯盛山を下りたところで敵に遭遇し撃たれて死んだ者が4名

半隊長の「原田勝吉」に従った7人と、小隊長の「山内弘人」に従った者が13人、合計20名は無時に帰城しているのだ。



日向内記は、入城できた隊士を再編成して、籠城戦のさなかも隊長として活躍している。

冨田国衛著「会津戊辰戦争 戸ノ口原の戦い 日向内記と白虎隊の真相」

それを考慮してか、『八重の桜』では「日向隊長失踪」の話は登場してこなかった。



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