現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

大須大道町人祭で「ギリヤーク尼崎」 (つづき)

2010-10-18 09:10:45 | 虚無僧って?
私は、20代の学生の時、偶然通りかかった渋谷の
ハチ公前で、ギリヤーク尼崎を観、強烈な印象を
受けた。津軽三味線の音とともに、狂おしく踊る姿は、
今も目に焼きついている。それは「坊さま」と呼ばれた
津軽三味線弾きや、「ごぜ」の姿だ。
まだ、津軽三味線の高橋竹山も、「ごぜ」の小林ハル
さんも、それほど知られていない時代。むしろ、そう
した古いものが、なぎ倒しに、消えていく時代だった。

私は、子供の頃から、虚無僧や放浪の旅芸人に、強い
憧れを持っていた。そして、今、その“夢”が叶い、
虚無僧として生きている。自分の将来は、旅に暮れ、
のたれ死にすることを望んでいる。
 
「旅に病み、夢は枯野を かけめぐる」芭蕉

今、60の還暦を過ぎ、尺八を吹けるのも、あと10年か
と思っていたが、ギリヤーク尼崎に40年ぶりに会って、
力をもらった。
彼は、心臓にペースメーカーを入れている。ここ(左胸)を
路面に打ち付けないように注意して踊るんです」とか、
「体が動くように、毎日鍛えている」と、芸人魂を語って
いた。

16日の「大須大道町人祭」での演舞は夜7時。最後に
水をかぶり、ずぶぬれになる。夜になれば、結構冷えて
きて、濡れた体では寒いはずだ。後片付けにも時間が
かかる。

その間ずっと、興奮してしゃべりまくっていた。「今日は
良かった、今日の踊りは最高だった、あんな手は、今まで
で無かった、激しくよく(手足)が動いた」と。

彼は意外にも雄弁だった。生きることに必死の執念を見る。
虚無僧は「執着を捨てる」ことを教える。彼は、生きること
への執着を伝えているようだ。「宗教的な“祈り”をこめた
芸」では共通しているのだが、正反対のものを感じる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。