現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

一休「婆子焼庵」の公案を解く

2017-10-17 04:57:10 | 一休と虚無僧

「一休」を語るのは“何回”だ?。いや“難解”だ。

一筋縄にはいかない。どう説明しても、一休は“違う
ちがう”と否定してくる。

一休について書いた書物は多いが、すべて、江戸時代に
書かれた「コミック誌」に影響されている。一休を解く
には『狂雲集』しかない。その裏を読まねばならないの
だが、それが見えないから“苦難”する。

『狂雲集』は、ただ彼が作りためた「漢詩」を綴った
ものではない。一休が「生涯、寺も職位も求めない
一介の乞食(托鉢)僧で終わることを志していながら、
最晩年に、意に反して?大徳寺の住持に就任したこと」
の真意を秘めた、壮大な自伝なのだ。

「一休の禅」は「婆子焼庵(ばすしょうあん)」の公案に
込められていると私は見ている。

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●「婆子焼庵」の公案とは

ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、
衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。
そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する
ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が
寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と
言って、娘の誘いをはねのけた。

娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話
してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、
修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。

さて「婆さんの真意はいかに」というもの。

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これについて、一休は 詩を作って答えている。

   老婆心 賊の為に梯(かけはし)を過して、
  清浄の沙門に女妻を与う。
  今夜美人、若(も)し我を約せば、
  枯楊 春老いて、更に稗(新芽)を生ぜしめん。


「老婆」は、「世話焼き ばあさん」「老婆心」の
ことをいう。

つまり、一休は「婆さんは、泥棒に梯子を貸して
やるように、清浄な修行僧に女を与えようとした。
その老婆心を無碍に断るのもなんだ。娘は、青年僧に
惚れていたのかもしれない。その情をはねのければ、
乙女心を傷つける。仏道とは、ただ独り 枯れ木の
ように修行してればいいというものではない。
人の心に添い、衆生を済け導くのが僧の勤め。娘は
「甘露の仏性」であったかもしれない。「枯れた
楊(柳)の木も、陽春を受けて 新芽を生ずるか」と。

もひとつ、漢文学の世界では「美人」は、必ずしも
女性ではない。一休が しばし「美人」と書くときは、
「敬愛する大徳寺の開祖大燈国師」であったりする。

『狂雲集』のみに登場してくる「盲目の女性・森女
(しんにょ)」も、一休が恋い焦がれた“仏心”の
象徴であると、私は考えている。「婆子焼庵」の
公案を解くことは、一休の生涯の課題だったのだ。


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