虚無僧といえば、天蓋と尺八と、「明暗」と書いた「偈箱
(げばこ)」の3点セットを持っているのが定番だ。ところが、
不思議なことに、江戸時代の錦絵や浮世絵には、「明暗」と
書いた偈箱は存在しない。
たしかに、明治23年、虚無僧尺八愛好家によって、京都
東福寺の塔頭善慧院内に「明暗教会」が設立され、戦前の
虚無僧谷狂竹は偈箱に「大本山東福寺 明暗教会」と書いて
いた。今でも、京都明暗寺の明暗教会会員はそう書いている
人もいる。ところが谷狂竹の後を継ぐ西村虚空の門下は、
現在明暗教会には所属していない。その流れの青木虚波夢氏は
「不生不滅」と書いている。
高橋空山門下の、私の慶応の先輩 藤由越山氏は、偈箱に
「桐の紋所」を描いている。高橋空山が「皇室の裏紋である
桐紋が正しい」と称しているが、根拠は不明。浮世絵では
出てこない。
さて、「明暗」とだけ書くようになったのは、どうやら映画の
中でのようだ。「邦楽ジャーナル」に連載している神田歌遊氏は
S25(1950)年の 『虚無僧屋敷』からというが、それ以前、
S18(1943)年の 羅門光三郎主演の『虚無僧系図』で、すでに
「明暗」は 使われている。スチール写真では偈箱を提げていない
のだが、中で登場してくる。
柴田聖山こと菊水湖風が、「自分が『明暗』を提案した」と
言っていたそうだが、菊水湖風が協力した映画は、S30(1955)年の
『虚無僧系図』(市川歌右衛門)。この映画では明暗寺奉賛会の
会員85人が、エキストラ出演し、菊水湖風編曲の『虚空』を
吹いているそうな。背景のその他大勢の虚無僧は偈箱を提げて
いるが、主役の市川右太衛門は提げていない。
私の師の堀井小二朗も、菊水湖風氏とともに関わっていたようで、
「映画監督から相談を受けて、自分が『明暗』を提唱した」と
言っていた。その時、参考として提供した堀井小二朗師の
虚無僧姿の写真では「明暗教会」となっている。
「明暗」は、普化禅師の偈「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」に
由来するはずだが、江戸時代には認識されていなかったとは意外。
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