四国松山でお会いしたマドンナ「宴乃桜」様から、ステキな
コメントをいただいた。公開させていただこうかな。
「一路先生は穏やかで自然と一体化された、風のような御方
という印象を持っております。山にあれば山の一部、お寺に
あれば境内の一部、町並みにあってもその一部、川にあっても
谷や吊り橋や海や松原、田畑、どこにいらしても風景に一体と
なり、掛け軸の絵のようになられると思います。
柳のようにしなやかに流れに逆らわず、しかし折れない、
といったような…。それは四国に見えてからでしょうか?
元々そういう御方でいらっしゃるのでは…?と私は思います…。」
なんてステキな文章を書かれる方だろう。
「明にあれば明に、暗にあれば暗に、行雲流水の如く」が
虚無僧のめざす到達点だが、それを見事に表現していただいた。
私の尺八は、正に、その場 その場に溶け込む音を目指している。
名古屋に帰ったら名古屋の音しか出ないが、四国で響いたあの
清らかな音が なつかしい。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
コメントをいただいた。公開させていただこうかな。
「一路先生は穏やかで自然と一体化された、風のような御方
という印象を持っております。山にあれば山の一部、お寺に
あれば境内の一部、町並みにあってもその一部、川にあっても
谷や吊り橋や海や松原、田畑、どこにいらしても風景に一体と
なり、掛け軸の絵のようになられると思います。
柳のようにしなやかに流れに逆らわず、しかし折れない、
といったような…。それは四国に見えてからでしょうか?
元々そういう御方でいらっしゃるのでは…?と私は思います…。」
なんてステキな文章を書かれる方だろう。
「明にあれば明に、暗にあれば暗に、行雲流水の如く」が
虚無僧のめざす到達点だが、それを見事に表現していただいた。
私の尺八は、正に、その場 その場に溶け込む音を目指している。
名古屋に帰ったら名古屋の音しか出ないが、四国で響いたあの
清らかな音が なつかしい。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。