現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

おそるべし「3Dプリンター」

2013-05-27 09:06:25 | 社会問題
3Dプリンター(プリンティング)」とやらが 今 話題沸騰。
なにせ、立体物がなんでもカンタンに?成型できてしまう。

アニメキャラクターのフィギュア(人形)やオモチャ、彫刻品、
人体の模型、本人そっくりの人形、建物や橋などの模型、歯列、
ブァイオリンやギター、フルートと、立体物ならなんでも
できてしまう。

今や3万円台でリースできる安価なものも出回り、個人でも
カンタンに作れるとの触れ込みだが、テレビで紹介されて
いるような例は 何億円もする高価な設備で長時間かけて
作られたものとのこと。まだまだコストは高い。

問題は、コインを偽造したり、鍵穴をスキャンして合鍵が
作られたり、ナイフや銛(モリ)、銃などをプラスチックで作れば、
金属探知機で発見されない・・・など、悪用される恐れがあること。

さて、これで、尺八などはカンタンに作れる。よく鳴る「名器」を
3Dカメラでスキャンして、そっくり同じものが作れるのだ。

こうなったら、もう製管師は要らない。すごい時代になったもんだ。


NK細胞の活性化で免疫力アップ

2013-05-26 23:15:22 | 心の問題
ウイルス性疾患の予防メカニズムを知る -- 日常生活でできる対策は?(インターネットコム) - goo ニュース

健康な人でも 体内では 毎日 約 5,000個程度のガン細胞が
生まれているのだが、NK細胞がこれらをすぐに摘み取ることで、
健康を維持していると言われている。

加齢や過労、病気などによりこの NK細胞の働きが低下すると、
身体を守る力=免疫力が低下し、ウイルス感染やガン発生などの
リスクが高くなる。つまり、NK細胞を活性化することは
免疫力の向上に繋がり、ウイルス感染やガン発生などの
リスクを抑える効果がある。

●免疫力を高めるための生活習慣

では、このNK細胞を活性化させるためには、どう
すればいいのか。

順天堂大学医学部特任教授の奥村康氏監修の「免疫年齢
チェックリスト」によると、NK細胞を活性化させるために
必要な生活習慣とは。

①ムリのない適度な運動をする
②薬を乱用しない
③適度の飲酒を心がける
④質の良い睡眠をとる
⑤十分な休養でストレスをためない
⑥笑う

以上、十分に身体をリフレッシュさせることが挙げられている。
心身ともに過剰なストレスを「掛けすぎない」ということが
重要なポイントだそうな。

なんだ、そんなことなら全部合格!さあ寝よう。

「八重の桜」 神保修理の切腹

2013-05-26 20:47:14 | 「八重の桜」
5/26 「八重の桜」第21回

戊辰戦争 第1の悲劇「神保修理の切腹」。
慶喜と容保が藩士を置き去りにして江戸に逃げ帰ったことの
責任を負わされて 詰め腹を切らされる。

「会津はあくまで徳川に忠節を尽くし、徳川に殉じた」などと
一般に言われているがトンでもない。会津藩としては、もっとも
恨むべきは、薩長よりも「徳川慶喜」なのだ。

司馬遼太郎の「王城の護衛者」では「なんすれぞ大樹、連枝を
投げ打つ」と容保の思いを語ってくれている。
「大樹」とは「徳川宗家」のこと。徳川宗家に捨てられたという
怒りが、「神保修理」に向けられてしまった。このへんがよく
解らない。歴史の闇。

「八重の桜」では、容保が直々に面談して「切腹せよ」と命じ、
その裏では、秋月に逃がすよう指図していたことになっている。

Wikipediaでは、容保との面会を許されず、激高した藩士達から
「殿の命令」と、詰め腹を切らされたとされる。

そして悲劇は、妻「雪子」にも降り注ぐ。夫の自刃後、雪子は
8月の会津戦争で薙刀を手に敵陣に向かい、大垣藩兵に捕らえられて、
自ら命を絶つ。

「雪子」は甲賀町郭門脇の牧原邸の隣人「井上丘隅」の娘。
1986年の日本テレビ「年末時代劇・白虎隊」では、「井上丘隅」を
「森繁久弥」が、「雪子」は「池上季実子」が演じた。
「白虎隊」では「井上丘隅」は最期まで生き残るが、事実は
8月23日、牧原一郎とともに郭門を守備し、討ち死にする。

「雪子」は父の「井上丘隅」から「夫の後を追え」と実家に
迎え入れられず、城にも入らなかった。実家の女性も全員、
城に入らずに、自刃している。

「八重の桜」では、福島出身の女優「芦名星」が演じている。
諏訪神社の鳥居に石を投げて、乗らなかったという演出が、
夫「修理」の死を予告していた。あの時すでに泣けた。

正月3日、鳥羽伏見の戦、1日目

2013-05-26 18:27:31 | わが家のこと
鳥羽伏見の戦いについて「林・白井両砲兵隊伏水戦争調書」に
林権助大砲奉行の配下として「牧原源蔵」「牧原源五郎」と母方の
「山室清美」、「山室佐武平」の名がありました。

内容は実に詳細で、「八重の桜」はそれを忠実に再現しています。
以下、一部を抜粋して転載。

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明治元年正月三日 卯の上刻、淀より大砲十門を引き、
行軍にて繰出し伏見に至る。町奉行屋敷前に休息す。
同所に関門あり薩土の兵守衛す。(中略)

幕兵の隊長「某」が来て「ここは拙者の持場となり、
貴所は是より東の柵門へ移動せよ」と。また「ここは
敵の本陣と相対する処にて甚だ難所なり」と云うので、
隊長(林権助か?)「武門の習い、難所と承る上は 拙者に
御任せに相成るべし」と掛合われければ、幕兵隊長 去る。

依て厳重に備え立て、弾丸を込るや否や、鳥羽街道の方にて
大砲の音ニ声す。此時隊長柵門に取付き押開ながら指揮するや否、
敵より大砲を発す。

我隊も取敢ず数間を隔て砲戦するに、隊長奮て槍を入るの令を下す、
其声天地に響く。既に接戦に及ぶの時、暫時、敵兵 店に潜み地利を
要め発砲雨の如し。我隊踏阻す。組頭「中澤常左衛門」丸(たま)に
当たって斃れ、引続て手負討死 数多(あまた)に及ぶ。

其時、隊長の命を受け、巨海源八郎と「牧原源蔵」が、他隊に
応援を頼みに行き、まず「生駒隊」に至りて応接を乞う。しかし
生駒が曰く、「陣将の命が無くては、出兵相成らざる」旨を云う。
猶又 苦戦の次第を再三云えども、一向聞かず。しかた無く引返して、
此旨を隊長に告ぐ。隊長憤怒に堪え「それでは 見殺しに致すも
同様なり。潔く死を致し、隊名を汚さず、 名を万代に残せ」と
しきりに発砲の折、再度槍を入るるの令を下す。

一同兵鋒益鋭く進み接戦に及ぶの処、嗚呼残念なる哉、
隊長 銃丸三ヶ処に当たり、膝まずいて なお下知す。(このシーン
「八重の桜」にあり)

引続て手負討死数多に及び、且つ隊長を敵の手にとられんことを恐れ、
新美民弥、柴外三郎、何某三人保護し、ひとまず伏見屋敷に引取る。
其時隊長の曰く「一人も拙者に構わず、追撃致すべし」と。

此時、広川元三郎 駈来て、隊長敵の手にかかるも計り難しと云て、
すぐさま看病として附添矢島七之助、水野万吾、柴外三郎、大蒙謙吾
舟にて大坂に差送る。

残りの隊は元の立場にて初めの如く防戦す。其時敵兵捧火矢を放て
鬨の声を大に振い、煙燃る煙焔天を漲り、此に乗て敵味方互に
一際烈戦するに、追々我隊の退口火の手上る。

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「此日の討死」として、二十名の中に、遠戚の「栃木只三郎、
栃木勘之丞」そして、「手負い、帰営後死す」として「林権助」他、
十数人の名があり。その中に、母方の親戚「山室清見」の名が
ありました。


戊辰戦争では動乱のさ中、戦死者、負傷者の姓名、また交わされた
言葉など実に詳細に記憶され、記録されていることにまず驚きます。

肉食母親に草食息子

2013-05-26 16:05:00 | 虚無僧日記

先日クラス会があった。同級生、男37人中、すでに
5人が亡くなっている。話題は病気のことばかり。
私は いたって健康、一度も入院したことがない。

私の母は90歳。母も50年 医者に行ったことがない。

母の好物は牛肉。毎日食べている。「歯が悪くて噛めないから」と
100g=1,000円以上もする極上肉。ただしほんの一切れだけ。

ギンさんも肉大好きで、野菜は嫌いだったそうな。

「65歳過ぎたら、肉は止め、野菜を多く」という人も
あれば、「長命な人は結構肉を食べている」という声も。

そこで、こんなニュース。
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牛肉や豚肉の摂取量が多い男性は、糖尿病の発症リスクが
4割高まることが、国立がん研究センターなどの調査で
わかった。

糖尿病やがんなどの病気がない全国の男女約6万4000人を
約5年間追跡し、食肉の摂取量も尋ねた。

その結果、男性では、牛肉、豚肉の摂取量が1日あたり
100グラム以上のグループは、少ないグループに比べて、
糖尿病の発症リスクが1・42倍と高かった。

一方、女性は、食肉の摂取量と糖尿病発症との関連は
みられなかった。

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つまり、女性は多いに肉を食べても大丈夫。男性はダメと
いうこと。

3週間ほど前の血液検査で「糖とコレステロールが高い」と
脅された私。一週間、モーニングのパンと卵とマヨネーズ、
それに甘い菓子類を食べるのをやめたら、再検査の結果、
すべて「正常値」。

「野菜を主に、肉は一週間に2回ほど」を実行している。
炭水化物(ごはん)はほとんど食べない。「豆乳」に
「りんご酢」に「ヨーグルト」など、「良い」と言われるもの
だけを口にしている。人一倍気にしているわけではないのだが、
自然とそうした食事で、60年入院の経験なし。いたって健康。
幸せなことです。


「八重の桜」林権助の死

2013-05-26 14:45:34 | 「八重の桜」
鳥羽伏見で、大砲奉行「林権助」が、敵の方向いて目を
見開いたまま最期を遂げる。(事実は、江戸へ退却する
船の中で息を引き取ったようですが)。享年63歳。

この時、息子の「又三郎」も戦死しているのです。
親子で戦死の悲劇。その「又三郎」には8歳になる子が
いました。祖父と父を同時に失い、8歳で家督を継ぎ、
「権助」を名乗ります。明治以降、困窮して、知人宅を
転々としていたところ、なんと薩摩藩出身の陸軍少佐
「児玉実文」に救われ、その庇護の下、東京帝大を出て、
外交官となり、日露戦争最中の「駐韓公使」を務め、
後に駐英大使と名を馳せたのでした。

この「林権助」の娘さんでしょうか。私の母方の遠縁になり、
祖母の葬儀に見えたそうです。毅然とした立派な婦人だったと、
昨日、母から聞きました。

会津と薩摩、犬猿の仲のようですが、山川大蔵の妹「捨松」は
薩摩の「大山巌」と結婚しており、長州の「前原一誠」なども
会津藩子弟のために尽力してくれているのです。
山本覚馬の父「権八」も弟「三郎」も戦死しますが、
山本覚馬を救ったのは薩摩藩士であり、後に同志社となる
覚馬の屋敷は薩摩藩邸を譲り受けたものでした。

今回の「八重の桜」は、明治以降のそうした怨執を越えた
友好に目を向けていくのでしょうか。だとすればすばらしい!


「八重の桜」 鳥羽伏見開戦 

2013-05-26 13:07:54 | 「八重の桜」
先週「桶狭間」のイベントで見られなかった
「八重の桜」第20回を、東京の実家で、録画で
見ました。

いよいよ鳥羽伏見の開戦です。そこに至る経緯を
脚色をいれず、史実を忠実に描いていることに
うれしい思いです。すべては「岩倉具視」と
「西郷吉之助」の陰謀術数、策略だったのです。
さすが、孝明帝とその皇子(中川親王)の毒殺には
触れませんでしたが。

「徳川慶喜」の苦悩、それに振り回される会津。

「会津はいったい誰を敵にして戦っているんだろう」と
いう田中土佐の言葉がありました。会津の思いをよく
表してくれているものと感心しました。

そして「大政奉還で 徳川幕府は無くなったのだから、
さっさと会津に帰ってくればいい」との西郷頼母の言葉。
なるほど、そんな選択肢もあったかと。

しかし、京都の動乱の渦中にいる者には、そんな意見は
通らないと。「木を見て森を見ず」の誤りが 大火(禍)を
招く結果に。

大砲奉行「林権助」、そして八重の弟の「三郎」も戦死。
新撰組の「斉藤一」は「さすが会津武士」と。

この「八重の桜」では新撰組の近藤や土方はあまり顔を
出さず、「斉藤一」が前面に出ているのも特長です。

斉藤一は、明治以降も松平容保と交流を続けており、
なんと「容保」の仲人で会津藩士の娘を妻に娶っているのです。

墓は会津若松市内の「阿弥陀寺」と知ってびっくり。
阿弥陀寺」は、会津戦争後、埋葬を許されず、翌年まで
野ざらしにされていた会津藩士 1300人の遺骨を集めて
合同埋葬し、墓碑はただ「戦死墓」とのみしか許され
なかったというイワクの墓地です。その傍らに「斉藤一」は
埋葬されることを望んだのでした。


そこは、私の母の実家のすぐ近く。子供の頃よくお参りに
行った寺でしたが「斉藤一」の墓があるとは知りませんでした。
改名して「藤田五郎」となっていたのを、新撰組ブームで
近年発見され、史跡めぐりの名所になっているようです。


「八重の桜」が会津藩を中心に描いているので、今まで
サブだった「斉藤一」にスポットを当てているのでしょう。
そんな意図が見えます。

父の墓参り

2013-05-26 12:18:02 | 虚無僧日記
5/24(金)、母と妹夫婦と私の4人で、父の墓参りに行って
きました。

父が亡くなったのは、平成11年5月13日。享年 81歳。

父の墓は、千葉県の長南町。房総半島のド真ん中。
長南町が町の収入源にと、山を切り拓いて広大な墓地を
造成したもので、格安だったために、購入したものです。

東京から車で片道2時間半。名古屋より遠いのですが、
一昨年、この近辺が、母の実家「山室」氏の出身地と
いうことが判ったのです。これも先祖の導きかと、
もうビックリです。

この長南町の北、山武町に「山室城」の遺構があり、
戦国時代、この一帯は「山室」氏の領地でした。

秀吉の小田原北条氏攻めの後、徳川家康の命で、信州
高遠の保科正光によって「山室氏」は攻め滅ぼされます。
保科氏は、その後10年間、この地を支配し、正光の
夫人の館がここ長南町にあり、「長南御前」と呼ばれて
いたようです。

保科氏は、大阪の陣以後、出身地の高遠に戻され、
その後、保科正之の代に 山形へ移封、さらに会津に
転封となります。

山室氏の多くは、落城で討ち死にしましたが、一人
生き残った者が、保科氏に召抱えられ、保科氏に
従って、高遠、山形、そして会津へと移り住んだものと
思われます。

尚、長南町は紅花の産地で、その種が、保科氏に
よって 高遠から山形にもたらされ、山形の名産に
なったとか。紅花は会津の名産でもありました。


自慢話は嫌われる

2013-05-26 11:58:20 | 虚無僧日記
今、私は最高に幸せ。
でも、今日の新聞に「他人の幸せな話、自慢話は聞きたくない。
逆に「不幸な話は、心秘かに面白い。他人の不幸は蜜の味」と。


「人生を変える 折れない自信のつくり方」(潮凪洋介)という
ビジネス書にも

嫌われる「3つの自慢」として、

① 自分のやってきた仕事(武勇伝)自慢
② グチをまじえつつ、仕事の苦労話自慢
③ 長時間労働自慢

自信がない人、不安定な人ほど、自分を大きく見せようとして、
こんな「自慢話」をしてしまう。
こうした話は、「自分を認めてほしい」「自分を見てほしい」と
いう思いからだ。だが、聞き手からは「すごいですねー」
「尊敬します」などと言ってもらえるだろうが、内心は
「早く話が終わらないかな」「うざい……」と思われて
いるものだ。

逆に「人の心をつかむ人」は、

① 自分のダメな部分を笑い飛ばせる
② まわりを楽しませようとする or 場を盛り上げる
③ 仕事以外で感動したこと・楽しかったことを、明るく話せる

と、私も随分 自慢話をしてきた。反省

TVドラマ『スペシャリスト』

2013-05-23 19:51:44 | テレビ・映画・芸能人
5月18日に放送された草なぎ剛主演ドラマ『スペシャリスト』
(テレビ朝日系)が、19.4%の高視聴率を記録した。

SMAPの「草なぎ剛」が演じる刑事「宅間善人」が、
冤罪で10年 刑務所に服役する。その10年の間、宅間は
刑務所の中にいる受刑者の「犯行の手口」や「犯罪に
使う技能、心理」など、全てをデータとして記憶に
焼き付ける。無実が証明されて、刑事として復帰すると、
“犯罪者の心理を知るスペシャリスト”として、次々と
難事件を解決していくというストーリー。

この手の「冤罪もの」は、今までなら『岩窟王』のように
復讐劇になるのだが、このドラマは、「冤罪で服役するのも、
自分には必要あってのこと」と“現実大肯定”。そして
事実、その10年で、さまざまな犯罪の情報を身につけて
事件を解決するという特殊能力を得ることとなった。

すべてを「現実大肯定」で受け止め、それを無駄にせず、
明日に生かせと教えてくれる。東日本大震災の復興にも
力強いメッセージとなっているように思える。