現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

尺八漫談 練ったネタ

2017-03-20 05:40:47 | 虚無僧日記

只今 お彼岸中。あるお寺さんに招かれて講演してきました。

三日三晩 寝ないで いえ、寝て考えたネタです。よく練ったネタです。

練(寝)れてます。

「お坊さん、お坊さん。地獄ってホントにあるの? 天国ってあるの?

地獄ってどんなとこ? 天国ってどんなとこ? 」

「なに、天国も地獄もおんなじじゃ」

「えっ! 同じ?」

「あぁ、地獄も極楽も一言で云えば」

「ひとことでぇ? 」「そうじゃ、よく聞け。 “あのよォ” !」

 ?????

「そうじゃ あの世」

「なんだ、虚仮(こけ)にすんでねぇ」 ポカ ボカボカ!

「いててて、ああこれが地獄じゃ」

そこへ、一休さんを見知った人が通りかかった。

「これはこれは 一休どの どうなされた? 」

「いやぁ、今 地獄を教えとったところじゃ」

「なに、この方が あの有名な一休さん!? これは大変失礼いたしました。

さぁ、わが家へ きてください。おもてなしを」

そしてたんまり御馳走になった一休さん。

「あぁ これが極楽じゃ」

 

「もちっと判りやすく云うならば、『あれ、かわいい猫』というじゃろ。

猫がかわいいんじゃない。あなたにとって その猫は “かわいい” と

思えたかもしれんが、猫嫌いな人にとっては かわいくもない。

可愛いか、可愛いくないかは あなたの心が決めること。

天国があるか、ないかも あなたの心次第。

 


フーテンの寅さんの口上

2017-03-20 05:34:41 | 虚無僧日記

虚無僧は唐代の禅僧「普化」を祖師と仰ぐ「普化宗」。                                        普化は奇行が多く「瘋癲(ふーてん)」と呼ばれた。                                         そう「フーテンの寅さん」の元祖。ならば、寅さんの                                        口上に学ぶべい。

フーテンの寅さんの名セリフ


「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、
人呼んでフーテンの寅と発します」。

「労働者諸君!稼ぐに追いつく貧乏なし か?
結構、結構、結構毛だらけ、ネコ灰だらけ
尻(しり)の周りはクソだらけ」


がまの油売り 口上

2017-03-20 05:29:31 | 虚無僧日記

サアーサアーお立合 ご用とお急ぎのない方は ゆっくりと聞いておいで、

山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴ると言いども、童児来たって鐘に撞木を当てざれば

鐘が鳴るのが撞木が鳴るのか、とんとその音色が分からない。

サテお立合 手前ここに取りいだしたる筑波山名物ガマの油

ガマと申してもただのガマとガマが違う、これより北、北は筑波山のふもとは、

おんばこと云う露草をくろうて育った四六のガマ、四六五六はどこで見分ける。

前足の指が四本、後足の指が六本合せて四六のガマ、山中深く分け入って

捕いましたるこのガマを四面鏡ばかりの箱に入れときは、ガマはおのが

姿の鏡に映るを見て驚き、タラーリタラーリと油汗を流す、これをすきとり

柳の小枝にて、三七 二十一日間、トローリトローリと煮つめましたるが

このガマの油。

このガマの油の効能は、ひびにあかぎれ、しもやけの妙薬、まだある大の男の

七転八起する虫歯の痛みもぴたりと止まる。まだあるいぼ、はしり

はれもの一切、そればかりか刃物の切味も止める。

取り出したるは夏なほ寒き氷の刃、一枚の紙が二枚 二枚が四枚 四枚が八枚 

八枚が十六枚 十六枚が三十と二枚 三十二枚が六十四枚 六十四枚が一束と

二十八枚 ほれこの通り、ふっと散らせば比良の暮雪は落花の吹雪とござい。

これなる名刀も一たびこのガマの油をつける時はたちまち切味が止まる。

おしてもひいても切れはせぬ。と云うてもなまくらになったのではない、

このようにきれいにふきとるときは元の切味となる。

サーテお立合。このようにガマの油の効能が分かったら遠慮は無用だ、

どしどし買ってきな。


ロの音10年

2017-03-15 09:16:44 | 虚無僧日記

「首振り3年、コロ8年」の先がある。「ロの音10年」。

豊橋のMさん、岡山の国際尺八研修館での「国際尺八
フェスティバル」に参加して、アメリカ人の尺八家、ジョン・
海山・ネプチューンの「尺八の練習方法」という講習を受け
てきた。今や、外国人に尺八を習う時代なのだ。

彼の話では、「ロの音に50分」という。
全部の孔を閉めて出す筒音は、まず竹が良くなければ鳴らない。
多少悪くても、技術と努力で鳴らす。鳴ってくるまでに、毎日
50分、ロの音ばかり吹く。それからいろいろ練習すべき課題が
あって、ネプチューンは毎日10時間、基礎トレーニングを積ん
だという。日本人顔負けである。それまでの尺八界では、わけ
のわからない地歌、箏曲を吹くだけで、こうした基礎トレーニ
ングを教えるところは無かった。

名古屋駅前は格好の練習場所。日中は、人通りも多く、道行く
人の足も速い。通り過ぎる瞬間に聞いてもらえる音は一音ぐらい
だ。「一音成仏」一音でどれだけ相手の心に届くかの真剣勝負。
ロングトーン、笹吹き、楔吹き、ロの音だけでも十分なのだ。
メロディはかえってうるさく迷惑に響く。ロの音50分の練習が
可能なのだ。


コロ8年

2017-03-15 09:12:55 | 虚無僧日記

「首振り3年」はポピュラーだが、その続きを知っている人は
少ない。いや稀にいるので驚く。

名古屋駅で立っていたら、若い男性が近づいて来て、喜捨を
され、丁寧に手を合わせてから「コロお願いします」と。

講演でこの話が一番うけた。「ころ」というと名古屋では「コロ
うどん=かけうどん」のことだから。

「コロ」とは、尺八の下の方の第1孔と第2孔を交互に開閉して
出す。これが「ころころころ」と転がるように聞こえるように
なるには、熟練を要す。交互に指を開閉するのだが、必ずどちらか
の指がふさがっていなければならない。

さて「尺八習っているのですか?」と問い返すと「以前習って
いたが、コロができなくて止めてしまった」とのこと。
それならばと、実演しておみせしようといきりたったが、しまった
今日は2尺4寸の長管で、スーパー尺八だから、手孔が大きくて
うまくコロができない。試された。ザンネン。


馬衣とは?

2017-03-13 18:53:19 | 虚無僧って?

ネットの辞書で「馬聖(うまひじり)」を検索すると「虚無僧のこと」と                                                                                       ありました。虚無僧が「馬聖」とはどういうこと?

踊り念仏の祖「一向俊聖」が、袈裟を着けず「馬衣(うまぎぬ)」を着けた
ので「馬聖」と呼ばれたとのこと。では「馬衣」とは何?


「馬の革でつくった衣」という説。インドの苦行のひとつに「乞食行」があり、                           「獣衣」をまとった。山伏が毛皮を腰に巻いているのもそれとか。

また「馬の毛で編んだ衣」という説もある。今でこそ、馬の毛で編んだ
ハンドバックは結構高価な物。冠、烏帽子も馬の毛で作られている。

「馬の背中に掛けるような布、貧乏人の象徴」という説が有力。                                     馬の背に大きく家紋を染め抜いた布が掛けられているのをよく見る。                                     室町時代の薦僧は、袖無しの羽織のようなものを肩から掛けている。                                それで、薦僧も「馬聖」の仲間とされていた。

僧侶の袈裟は、元来は「糞掃衣(ふんぞうえ)」と言って、その意味は
「赤ん坊のおしめや雑巾のような使いふるした布切れを縫い合わせた
大きな布を、からだに巻きつける」というものだった。

それが、バラモンと区別するために、お釈迦様が「水田のごとくせよ」と
言われたとかで、五条、七条、九条の筋を入れた縫い合わせになっている。

一向俊聖が、僧侶の袈裟は付けず「馬衣」を着たというのは、五条、七条に
区切らないで、ただ一枚の(馬の背に掛けるような)大きな布をまとって
いたというのではないだろうか。

その後の調べで、いろいろ判ってきた。                                             馬衣は当初(鎌倉時代)は、粗く編んだ網目(あみめ)の布だった。                                      一向宗の徒は、当初「編んだ衣=編衣」を身にまとっていた。                                   それと「南阿弥陀」の「阿弥」をかけて「阿弥衣(あみごろも)」と称した。

それが、室町中期から「紙衣」となった。紙とはいっても麻を                                    漉いた繊維で、コンニャクや柿渋を塗って補強してあるので、                                   丈夫で風雨もしのげる、旅には便利なもの。

現代では編衣も紙衣も大変高価なもの。先日「職人・匠展」で、                                 チョッキでも数十万円していた。とても買えない。


女虚無僧

2017-03-12 14:39:12 | 虚無僧って?

大津絵に「女虚無僧」がある。女の虚無僧が居たとは
思えない。が物語の世界で、男の理不尽な要求に困り
果てた末、虚無僧に変装して殺されるという話がある。
そのひとつが、ブログに掲載されれていたので、転写
させてもらう。

「ヒカレもののつぶやき」という50代男性のブログ

この唄の歌詞は作者不詳で、曲は山崎ハコが付けた。
舞台は京都の西陣町、兄のモンテンは妹のオキヨに
恋をし、情交を迫る。そこでオキヨは「私には惚れた
虚無僧がおります。その虚無僧を殺したのなら女房に
なりましょう」と約束をし、妹は虚無僧に変装し、兄に
殺されるというという愛憎ストーリーである。

この唄は、1978年発売の山崎ハコのLPアルバム
「人間まがい」に収めれているが、私の記憶を頼りに
書き綴ったので、細かい点で誤りがあるかも知れない。
「きょうだい心中」の歌詞は次のようである。

   故郷は京都の西陣町で
   兄は二十一 その名はモンテン
   妹十九で その名はオキヨ
   兄のモンテン 妹に惚れて

   これさ 兄さは ご病気いかが
   医者を呼ぼうか 介抱しようか 
   そこでモンテン 申すには
   医者もいらなきゃ 介抱もいらぬ

   わしの病気は一夜でなおる 
   二つ枕に三つ布団 
   一夜寝たなら 病気がなおる
   一夜頼むぞ妹のオキヨ

   言われてオキヨは 仰天いたし
   何を言いやんす これ 兄様へ
   わしとあなたは きょうだいの仲
   人に知られりゃ 畜生と言われる

   実はあたしにゃ 男がござる
   歳は十九で 虚無僧なさる
   虚無僧 殺してくれたなら
   一夜 二夜(ふたよ)でも 
   三三夜(さんさんや)でも
   末は女房となりまする

   兄のモンテン 虚無僧殺す
   深い編み笠 その下に
   哀れなるかや 妹のオキヨ
   かねて覚悟の 妹のオキヨ
   兄もモンテン 妹を殺す

   思い込んだる 妹のオキヨ
   妹のオキヨに 騙された
   ここで死ねば きょうだい心中
   兄は京都の 西陣町で
   哀れなるかよ きょうだい心中

この世では禁断の恋と後ろ指さされても、あの世で
添い遂げようとして、妹のオキヨは、兄に自分を
殺させたのであろうか。
オキヨの心情を正確に推し測ることはできない。
いずれにしても、余りにおどろおどろした世界ゆえに、
どんな言葉を駆使しても、決して、誰にでも納得させる
理路整然とした説明ができる世界ではないことだけは
確かである。





日本の歴史をくつがえす。女性優位

2017-03-12 14:37:28 | 社会問題

日本は古来 「男尊女卑・父系社会」と思われているが、

歴史を紐解くと、意外にも女性優位の例はいくらでもある。

「女性天皇」の問題が取りざたされているが、天照大神に

始まり、神宮皇后、卑弥呼、推古天皇、光明皇后と、

古代史には女性がめざしましく登場してくる。

さらには、北条政子、日野富子、そして、お寧々、春日の局と、

戦国時代まで、男性の上を行く女性が、歴史に名をとどめている。

中世、女性の戸主、商売の主、金貸しなどは多くいた。

守護大名の没落は、女性にも平等に相続権があり、土地が

分割されたからといえる。

江戸時代の「三行半(みくだりはん)」は、男性側からの

一方的な離縁状とみられていたが、最近は解釈が

違ってきた。女性から離婚を申し出、仕方なく、しぶしぶ

男が書かされた例も多いとのこと。

幕末をみても、『八重の桜』の「山本八重」に代表される

ように、会津藩の男は皆、意気地無い。負けて逃げること、

死ぬことばかり。女性は実に逞しかった。

そして平成の現代も、女性優位。

昨日乗ったJR東海道線の運転手も車掌も女性でした。

最近、タクシーだけでなく、ダンプやトラックのドライバーも女性。

スポーツ界も 音楽界も、尺八界も:芸大出の女性尺八家がもう20名近い。

「女性にあらずんば尺八の仕事もこない」。

 


薦僧の他に

2017-03-09 08:09:19 | 虚無僧って?

室町時代に尺八を吹いていたのは「薦僧」だけではなかった。
鎌倉時代の『教訓抄』(1233年成立)には「今は目闇法師、
猿楽之を吹く」とあり、鎌倉から室町にかけて台頭してきた
盲目の琵琶法師や猿楽、田楽といった芸能集団が尺八を吹いて
いた。

文明17年(1485)「観阿弥の兄宗観が、尺八音曲太鼓など、その妙を
つくす」とある。

その他「徳阿、永阿、久阿、遁阿、菊阿、薫阿」という者が尺八を
吹いたという記録があり、彼らは、「○○阿弥」と名乗る「時宗
(じしゅう)=時衆=念仏宗」の徒であった。


尺八は「」と蔑まれた芸能集団や目闇法師の特技となったが、
一方で、楽人や貴族の中でも尺八を好む者はいた。

『大内氏壁書』と同時期の『お湯殿の上の日記』文明16年(1484)
5月1日の条には、

 「(後土御門帝が) 舞人久時を御小庭に召して、尺八を吹かせ、
  ことふし(筝の節か?)にて『太平楽』いろいろさまめつらしく、
  めでたし。久時に御扇賜う」

とあり、宮廷に使える楽人で尺八を吹く者がいた。また天文6年
(1537)「後奈良帝が景通を召して尺八を観賞し、太刀と扇を賜る」
など、尺八を吹奏するのは特筆すべきこととして記録されている。

尺八はそうカンタンに誰でも吹けるものではないので、尺八が
吹けると「珍しい」と賞賛されるのは現代も同じか。

 


虚無僧は「おこもさん」

2017-03-09 08:00:02 | 虚無僧って?

「虚無僧」の語源は「薦僧(こもそう)」。
「薦を負い、社寺の軒先に野宿する僧」という意味で
しょうか。

戦後、上野あたりには、薦むしろの上に座って『右や
左のだんなさま』と物乞いをする乞食がいた。家々を
廻って物乞いをすることもあり、乞食のことを「お薦
(こも)さん」と呼ぶ人もいた。

30年ほど前、虚無僧で新潟あたりを廻った時、「おこもさん」と
呼び止められたことがありました。その時は「おこもさん」が
乞食のことだとは知りませんでした。


現在は「物乞い」は「軽犯罪法」で禁止されていますので、
ホームレスが「物乞い」をすることはありません。


でも、「乞食行(こつじきぎょう)」は、僧侶の修行の
一つであり、また、「乞食(こじき)」に施しをすることも、
仏道の徳積みと一般に理解されています。


ですから「高野聖」や「放下」「薦(こも)」など、
正式の僧侶でなくとも、「薦僧」「放下僧」「薦僧」と、
広い意味での「仏道修行者=僧」とされていました。

室町時代は「薦僧」だったのが、当て字の好きな江戸時代の
人によって「虚妄僧」「虚無僧」などと漢字が当てられた
ようです。

延宝5年(1677)、江戸幕府から「青目・鈴法寺」と「下総
小金・一月寺」宛てに出された『掟』書きが「虚無僧」と
明記された最古の文書のようです。この時はまだ「普化宗」
という宗派名はありません。