おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

これからフクシマで起きる悲劇

2012年03月19日 | Weblog

午前9時の気温は、マイナス1度。時おり吹雪いたり、強い降りになったりしておりまする。そんな今朝は6時に起床、そん時の気温はマイナス10度もありましたです。

いまどきのマイナス10度は身体に応えます。で、起き抜けに仕事して、ようやくあれやこれやが決着。

週末は忙しくて、平日月曜日の朝は、ホッとするのがここんところの常ですが、今週は月曜朝までずれ込んで…

それでも、肩の荷が下りて、すっきりしておりまする。昨夜は休肝日だったってこともあると思うけど、今朝は体調もたいした良好じゃ。

先日、15~20年後のフクシマの未来を予感させるドキュメンタリー映画「チェルノブイリ・ハート」を観たと書きした。

映画の終了後、フクシマから札幌へ避難、移住しておる若い女性が、福島県の実情を話しておりましたです。

それによると、福島県では、いまも200万人が何事もなかったように暮らしておるそうな。しかも3.11と原発、放射能はタブーだそうな。

でもって、県外に避難する人に「逃げるな」とか「見捨てるのか」とか、散々らしい。北海道民には考えられませぬ。「行きたい人は行ったら」「出たいけど出れないのよ」というならわかるけど…

県も人口流出にピリピリしておるそうな。おかしな話でござる。

女性同士の会話で、食事をするときは「これ、ベクレてる?」「ベクレてない」などというのだそうな。

つまりは、食事の素材が放射性物質で汚染されたものか、そうでないか、そんな風に表現するのだそうな。

ご本人は、ホールボディーカウンターの検査で1000ベクレル内部被ばくしておるそうだ。放射性物質のないところに住む一般のお方は10ベクレル程度。

福島市に住んでおったこの女性は、一般女性の100倍の内部被ばくでござる。原発事故当時は、鼻血が出たり、喉がヒリヒリする人もいたそうな。

それでも、「疲れているから」「風邪でも引いたのか」程度の認識だったそうな。福島第一原発の事故直後、原発に関心のある方々はトットと逃げた。

国が子どもだけでも疎開させるなどの方策を取らないばかりか、避難もさせなかったために多くの人が内部被ばくしておる。酷いことになってます。

「ただちに健康被害はない」などとのたまった政府を信じ、放射線や放射性物質について無知だった人が県内に残った。出て行きたくても、経済的なことを考えれば出ていくことなどできない人々もごっちゃりいる。

その若い女性、いまはとりあえず、体調の変化などないのだという。しかし、映画チェルノブイリハートを見ておる彼女、将来、結婚して生まれてくるでろう子どものことを危惧しておった。

そりゃそうだ。事故から十数年経って、身体や脳などあちこちに奇形のある子や心臓に穴の開いた子、甲状腺がんの子どもが、いまもどんどん増えておるチェルノブイリ周辺の現状を観れば、さもありなんでござる。

そんなお話を聞いたあと、札幌で開かれた中学校のクラス会に参加しましたです。とある雑誌を出しておる、ある旧友は、事故後何度も福島県に行っておるそうな。

でもって、原発、東電を擁護する。なんのことはない、電力会社がその雑誌の大スポンサーであるからにほかならん。いい歳こいて、金儲け。

だから電力会社の提灯持ちをしておるらしい。本人が何しようと勝手でござるが、「福島県が安全である」などと言ってもらっては困ります。

「福島県の野菜を食べる」のはあなたの自由だし、我々年寄りが福島県に住んでも、野菜を食べても、そりゃぁ、とりあえずは問題ござりませんです。

しかし、若い女性や子どもにとって、福島県に住むことや、県産の食材を食べることで、将来、大きな危険を招くのは間違いない。

この札幌の旧友が、この先15~20年後まで生きておれば、福島の子どもたちが、たいそう悲惨なことになっているのを目にすることになる。

そんとき、はっきりと「恥を知れ!!」と言ってやるのでござる。それまで恥を知らずに生きておれ!! 大ばか者!! と申しておきましょう。

以前も書きましたけど、ニセコで脱原発のデモがあったとき、ある農家が書いたプラカードにはこうあった。

「農家は畑を持って逃げられません」。いまも胸に突き刺さる言葉でござります。

きょうの写真は、そのクラス会で行われたクイズでゲットした賞品の入浴剤。おバカな感じ、好きです!!