心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

one for all all for one

2017年02月28日 | 雑感・愚見

「one for all all for one」は、

ラクビ―のチームプレイ精神を表す時に

よく使われている言葉ですが、

この訳は、「一人は皆のために、皆は一人のために。」と

訳されていたように思います。


この言葉を誰が言い出したのか知りませんが、

ラクビ―に当てはめると何となく違和感があるのが、

皆は一人のための部分で、

好意的に考えると最後にトライをする一人のために

皆の力を結集すると考えることが出来るのですが、

それはちょっと回りくどく感じてしまうので

いっそのことONEを、

一つの勝利のためとか、勝利のためにチームが一つになると訳した方が、

しっくりくるのは私だけでしょうか。


one for all all for oneの解釈がどうであるのかは、

置いておいて、


一人の芸能人が芸能活動から引退して

出家したことを伝える少しばかり世間を揺るがした

ニュースがありました。


宗教に疎い私の勝手な理解からなのですが、

本来、一人(宗教、仏様、神様)は

皆(大衆、民衆)のためであって


皆が一人のためにあるものでは無いと思っています。


お釈迦様は、

人の苦しみや悲しみはどこから来るのか、

そして、どうあれば人はその苦しみや悲しみから解放され

幸せに生きられるかを説いた人で、

その教えが仏教だと理解しています。


ですが、お釈迦様が到達した境地は

天才的な頭脳と精神を持つお釈迦様であったからこそ

到達した境地なのですから

仮に、知識として全てを学び取れたとしても

それを体現することは容易くありません。


なにせお釈迦様は、

その境地に到達した地上唯一の人らしいですから。

 

また修行とか学問とか小難しいこと、

しんどいことはしたくないけれども

「救ってくれるんだろう。救われるんだろう。救ってくれよ。」で

自分の責任を丸投げにして求める人も

少なくないのが世の常です。


で、困った救う側に立つちょっと頭の切れる人が考え出したのが、

本来は、仏様へのお辞儀や挨拶、敬いや畏敬の念を表す形であった

お念仏を拝借して「念仏を唱えれば救われ極楽浄土へも行ける。」


私としては、かなり力づくなものであっても

ここまでは「なるほどなるほど。」と

これが受け入れられれば、

いくらばか苦しみや悲しみから救うことの一助となるので

肯定的に捉えることが出来るのですが、


頭に立つ人そのお人が、

お釈迦様の域に達していないばかりか、

煩悩を一杯抱え持っている人であった場合、

人が集まり、集団が出来、権威やお金を持ち始めると

最初の志は素晴らしいものであったとしても

趣旨が変遷をし始める団体があります。


「念仏を唱えなければ無間地獄に落ちる。」

「仏様に帰依しなければ無間地獄に落ちる。」

「宗教から離れると無間地獄に落ちる。」

「宗教に尽くさなければ無間地獄に落ちる。」

 

そして、

皆は(大衆、民衆、信者たち)は、

一人(宗教団体、指導者)のためにです。


現代では、中東で起きている問題もそうですし、

昔の日本でも宗教によって収める国を造ろうとした

一向一揆もそうで、戦いに際して

指導者から「進めば極楽、退かば地獄!」と鼓舞され

信徒たちは、念仏を唱えながら戦わされた歴史があります。


自分が信じていることや愛しているもののためにと

その敵と称されたものと戦っている時には

自分の存在意義を感じたり、

恍惚の状態であるのかもしれませんが、

お釈迦様の説いた幸せとはそんなものでは無いはずですし、

己の身を投げ出し御仏のために戦うことで

極楽に行けるなんて

もう論理が破綻しているとしか思えないのです。


だって如来様は、悟りを開いた方々であり、

阿弥陀様なんてのは極楽浄土の主であり、

お釈迦様の師匠なんですから

大衆や民衆に服従も犠牲も助けも求めるはずがありませんし、

救いの押し売りもする訳がない。


カウンセラーが、

クライアントの悩みに上手く解を見出せないような場合でも

宗教だからこそ解を見出せるケースもあると思いますし、

その逆もあるかと思います。


既存の宗教だけでなく新興宗教であっても

一人は皆のためであり続けて欲しいと願うばかりです。

 

催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計


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