2008年 エジプトの最高行政裁判所は、
「コプト教会は信者の再婚を認めるべし。」
と言い渡しました。
ところが再婚を禁じているコプト教会が
その判決に強く抗議したことで
裁判所は、その判決を凍結したとのことです。
日本でのコプト教会の活動は、
2016年に京都府木津川市の
カリスチャペル京阪奈の会堂を譲り受け、
聖母マリア・聖マルココプト正教会が
開設されているようです。
木津川市と言えば、以前に訪れたことがある
国宝の本堂と三重塔、史跡・特別名勝の庭園がある
浄瑠璃寺が思い出されます。
コプト正教会は、
エジプトで発展したキリスト教の一つで
エジプト国民の約1割がコプト正教会の信者。
エジプトの憲法では信教の自由を保障していて
多数派のムスリムと少数派コプトの人達の
諍いのようなものはないとのことですが、
2011年には、
コプト教会前で自動車爆弾が爆発して
約100名を超える死傷者を出す事件が発生。
犯人は、外国勢力ともみられていますが、
その事件に対する抗議デモに参加した
約1000人が暴徒化したことから
ムスリムの人達とコプトの人達との間に
何らかの社会的不信感や不満が
燻っているようにも思われます。
そのような背景の中で
今回の最高行政裁判所の判断。
良い悪いは別にして
国の法律は、自国をどのような社会にするのかの
国家が国民に対する規則で
全国民に平等に科せられているもののはずで、
一部の事柄についてではありますが
宗派の理念が最高行政裁判所の判断よりも
優るのは柔軟な法律の適用とも言えますが、
どうなんでしょうかね。
一旦下した判決を凍結する位なら
最初から再婚の是非については、
各家族、各宗派の理念によって判断するもので
国の行政機関が関与するべきものではないが、
再婚を拒む者に再婚を強要したり
再婚を望む者の再婚を阻むために
個人や集団から強圧的、暴力的、
脅迫行為が行われた場合には
犯罪行為として認定し
法律的に処罰される的な表明の方が
良かったかもと思ったりします。
今回のケースについて思うことは、
エジプトの国家は再婚を禁じていないので
再婚を優先するのならば改宗すれば解決だし、
教会の信者であることを優先するなら再婚をしない。
で終わることだと思うのですが、
再婚もしたいし信者でもありたいとする
個人の気持ちを通そうとして
問題が起きているのかなと。
つまり自分が変わるのではなく
国の力を借りて教会の理念を変えようとして
問題が起きたのだと思うのですが、
細かな点についてならまだしも
教会の理念の根幹に関わるような事柄を
個人にとって都合が良いからと
ひと騒動を起こすのはどうなんだろうと。
人一人の命は地球より重しと誰かが言いましたが、
だからと言って1人の気持ちを丁寧に尊重しすぎるのは、
どうかと思ったりします。
自分がドリブルが下手なので
バスケットボールを脇に抱えて
好きなだけ走らせろって言っている感じがして
もうそれはラクビ―ですから
バスケットボールの破壊になりますからね。
ルールを変えること自体は、
悪いことだとは思いませんが、
大多数の人が納得している段階で
個人の都合で集団の在り方を変化させるには
かなりの無理があります。
個人がそれまでの価値観とは違う価値観へと
急激に変化することは
まだ難しくはありませんが、
集団全体に浸透した価値観や感覚を
変えるには天地が激震するほどの
とんでもなく大きな事が起きるか、
長い時間が必要かと思われます。