週末、勉強会の資料づくりのために、以前読んだ本を引っ張り出して再読している。
ドラッカーなどはもちろんなのだが、コピーライティングという視点でも考えてみたい、と思い引っ張り出してきた本が、岩波新書から発刊されていた「キャッチフレーズの戦後史」だった。
既に廃刊となってしまった本だが、再読してみるとなかなか興味深い。
例えば、昭和30年はじめ当時の通産省が考えた「日本の大衆車」の大枠のようなものがある。
価格は25万(当時の貨幣価値から考えれば、今の小型車くらいの価格だろうか?)、最高時速100㎞以上、走行距離リッターあたり30㎞。
走行距離以外は、今のクルマは十分クリアしていると思う。
しかし、走行距離だけは今現在の軽自動車でも難しいのでは?
当時は「ハイブリッド車」という発想はないので、走行距離だけを見ると60年くらい前の理想を、超えてはいないと言うコトになる。
それよりも気になったのは、昭和50年代に入ると広告の世界で盛んにいわれる様になってきた「成熟した社会での消費」という点だ。
「バブル経済」で、すっかり忘れ去られた感があるが、「バブル」という時代の前から「生活者の消費行動が大きく変化している。成熟した市場では、欲しい!と思うモノがなくなる。代わりとなる生活者の感性にフィットするコト型消費に変わっていくのでは無いか」という、指摘がされていると言う点だ。
もう一つは、情報化された社会の中で移りゆく生活者行動、と言う指摘だった。
今から25年近く前から指摘されているコトが、今でもその回答を見つけるコトができず、企業は右往左往している。
そう考えると、IT等の発達によって「情報」そのものを使うツールは、PCだけでは無くスマートフォンなど増えているが、生活思考そのものは大きく変化をしていないのかも知れない。
そして「右肩上がりの経済成長を望む」という思考も、変わっていない様な気がした。
とすれば、そろそろ本格的にGDPのような数字を生活の豊かさの尺度として見るのでは無く、「幸福度」のようなこれまでとは違う尺度が、グローバル尺度として必要になってきているように考えるのだった。