ハリウッド女優のエマ・ワトソンのファッションと発言が、話題になっている。
ロイター:胸露出写真はフェミニズムに反さず、女優エマ・ワトソンが批判一蹴
問題となったのは、エマ・ワトソンが着ていた服で、雑誌・ヴァニティフェアに掲載された写真だ。
Vanity Fair:大人のエマ・ワトソンの新境地?もうプリンセスだけではない
表紙の写真ではなく、記事掲載をされているページに掲載されている、レースのチョーカーに白い太いニットで編まれたボレロをトップレスにまとっている写真が、話題となっているのだ。
確かに、ハリーポッターシリーズに出演していた頃のような、少女の面影はない。
しかし考えてみれば、アイビーリーグのブラウン大を卒業した、成人した女性なのだ。
エマ・ワトソン自身が、常に社会から注目されているという自覚があるからこそ、自分の発言力の大きさ、ということを理解し、様々な場面で社会的発言をしているのだと思う。
今回のエマ・ワトソンのファッションに噛みついた(?)、「自分たちこそ、フェミニズムについて社会を動かしている」という意識で発言している女性たちの姿を想像すると、1970年代の「ウーマンリブ」の活動をしていた女性たちの姿と重なるような気がするのだ。
日本でもやたらと男性を攻撃する「ウーマンリブ」のグループがあったが、彼女たちの姿というのは「男性と対等である」ということをPRするために、あえて男性的なファッションをする傾向があった。
それがカッコイイ!というのであれば、問題ないのだが、どこか無理をしている感があったような気がする。
時代は変わり、ファッションの世界では「女性的・男性的」という枠は徐々に無くなりつつあるような気がする。
そんな中で、エマ・ワトソンのヴァニティフェア誌の写真を見て、「彼女はフェミニストではない!」と、目くじらを立てる女性たちの姿は、上述した1970年代どまりという気がするのだ。
1970年代、新鮮な印象だったモノ・コトは、今では「懐かしさ」へと変わり、価値観そのものも大きく変化してきた。
そう考えると、エマ・ワトソンのファッションに噛みついた女性たちは、「女の敵は女」ということを表しているような気がしてくるのだ。
明日、3月8日は「国際女性DAY」。
1970年代ではない、今をファッショナブルに・しなやかな感性を持って生きる女性たちの活躍を考える切っ掛けとなれば素敵だと思う。
1970年代、ウーマンリブの最中に全米No.1ヒットとなったヘレン・レディの「I am Woman」を見ると、女性の思いが40年以上経っても変わっていないコトには、驚くのだが・・・。
ヘレン・レディ「I am Woman」(Youtube)