日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

いつから「新学期」が、辛い日になってしまったのだろう?

2017-08-31 19:17:27 | 徒然

明日から、新学期が始まる地域も多いコトだろう。
そして、長い休み明けの初日、特に9月1日は自死を選ぶ子供たちが多い日でもある。
昨年、ある図書館が「学校が嫌なら図書館においで!」という趣旨のことを呟いたところ、様々な反響があった。
もちろん「学校に行かないことを肯定するのか?!」という内容のコメントから、「学校に行きたくないくらい悩んでいる子どもたちにとっては、良いメッセージ」という意見まであったように記憶している。

どの意見も、大切な考えを述べていると思う。
いじめに合い、学校に行くコトに辛さを感じている子どもたちにとって、「新学期」は大きく変化することを期待する半面、変化がなかった(=いじめが継続されていた)場合、本当に落胆するのはわかる気がする。
学校という狭い社会の中で「逃げ道がない」と感じると、その狭い社会から逃げ出す方法が見つからず、見つけた方法が自死というのであれば、それはとても悲劇的なことだからだ。

ただ一つ気になっていることがある。
「新学期」というのは、毎年やってくる日だ。
私が子供の頃にも「新学期」はあった。
しかし、自死を選ぶ子供たちは今よりも遥かに少なかったのでは?という、ことなのだ。
私の小学生時代と今の子供たちを取り巻く環境が、同じだとは思わない。
「昭和の頃は、子どもたちがのびのびとして良かった」などと、ノスタルジックなことを言う気はない。
思わないが、「なぜそのようなことが起きる社会になってしまったのか?」という、コトに目が向けられていないような気がするのだ。
様々な複合的要素が重なり、何より社会の変化スピードが速く大人が付いていけなくなってしまっている、ということもあるとは思うのだが、「なぜ?」という原因となるモノが分からなければ、本当の意味で子どもたちを救う手立てとはならないのでは?という、気がするのだ。

ネット上では、「学校に行きたくないなら、逃げなさい」ということが言われている。
昨年ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の中の台詞にあったように、「どんなに恥ずかしい逃げ方だったいいじゃいか。大切なのは生き抜くことで、その点においては異論も反論も許さない」ということは、真を突いていると思う。
「自死を選ぶ程なら、逃げなさい!」と私も伝えたい。
「ただ、自分の人生からは逃げないで欲しい」と思っている。
でも、それで終わらせることにも、疑問を感じるのだ。