このところ、日テレ系の年末番組の「黒塗り」が、何かと話題というか問題になっている。
確かに、欧米では社会的批判を受けての仕方のないことだと思う。
日本国内における「黒人」に対してのイメージが、欧米とはずいぶん違うということも、考える必要があるようにも思う。
要は、どの立ち位置でこの問題を考えるのか?ということなのかもしれない。
一つ言えることは、以前は問題視されなかったコトが、今では欧米を中心に問題視される、ということだろう。
それがたとえ、日本国内向けのテレビ番組であったとしてもだ。
そのような問題が起きている最中に、「これはダメでしょう」という広告があった。
H&Mの子供向けのトレーナーの広告だ。
Huffpostに写真とともに、記事が掲載されている。
Huffpost:H&M、「人種差別」との批判を受け謝罪 ゛猿”と書かれたパーカーに黒人少年を起用
問題を整理する必要があると思うのだが、「人種差別」と指摘された理由は見出しにある通りだろう。
しかし、例えば白人の少年がこのパーカーを着ていたら、「人種差別」とならなかったのか?というと、それもまた疑問な気がする。
今度は「子ども」に「猿と書いたパーカーを着せるのか?」という、指摘がされるのではないだろうか?
そう考えると、このパーカーの一番の問題は、胸に書いてある「ことば」なのでは?ということになる。
例えば「猿」ではなく、「ライオン」だったら?「トラ(タイガー)」だったら?他の動物だったら、どうなのか?
おそらく「猿」は、人間と近い動物であるがために、このような批判が起こりやすいのだと思う。
「ライオン」や「トラ」のような、強く人間と遠い動物であれば、このような問題は起こりにくいと思うのだ。
言葉から想像されるその動物のイメージが、強いとかカッコ良い、あるいは可愛らしい、愛嬌があるなどのイメージの良い動物で、人とは遠い存在であることが、このような場合重要なのだと思う。
できれば、可愛らしいイラストなどがあれば、よりパーカーを着ているモデルの少年とは、無関係な印象が持てたと思うのだ。
そう考えると、今回のH&Mの商品カタログの写真だけではなく、商品企画そのもの(マーケティング)が、残念なものだったのではないだろうか?
ただ個人的には、胸の猿と言う言葉とモデルの黒人少年は結びつかない。
むしろ、胸の「猿」と言う言葉と黒人の少年を結びつける潜在意識の中に「差別」があるのでは?という、気もしている。