Huffpostに、年末に放送されたある番組につい記事があった。
Huffpost:「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安
この番組を見ていないので、タレントの浜田さんが黒塗り以外ではどのようなコントをされたのか、知る由もない。
ただ、日本人が思っている以上に海外では「肌の色」が、社会的問題になりやすい、ということだと思う。
「肌の色」=「人種」ということにもつながっていく問題でもあるのだが、そもその「人種による優越」というものはあるのだろうか?
このお正月休みに、遺伝子医療に関する本を読んだ。
今や様々な病気の治療、予防の基となるのが「遺伝子=ゲノム」である、と昨年から盛んに言われ始めたことなどがあり、読んでみたのだった。
その中に「人種とゲノム」という章があった。
ご存じの方も多いと思うのだが、人類の始まりはアフリカという説がある。
これは「ミトコンドリア」をたどっていった結果として、学術的にも支持されていることだ。
そう考えると、アフリカという大地に住んでいる人たちを祖先として、ヨーロッパやアジア、北南米大陸へと移動していく中で、自然環境に合わせて「肌の色」も変わっていった、ということになる。
事実、白人に比較的多い「黒色メラノーマ」という悪性度の高い皮膚がんは、肌の色が黒いアフリカの人たちにはほぼ関係が無い。
日本人にもこの「黒色メラノーマ」という皮膚がんの罹患者は、とても少ないのが現状だ。
寄り道になるが、3年ほど前に高額ながんの治療薬として話題になった「オプジーボ」という、「免疫チェックポイント阻害剤」は、この「黒色メラノーマ」の治療薬として承認された為、年間で家1軒分くらいの高額な薬価設定がされたのだった。
では、この「人種」という概念が出来上がったのは、いつの頃からなのか?というと、18世紀のカール・フォン・リンネが、4つの「アメリカヌス、エウロペウス、アジアティクス、アフリカヌス」というタイプ分けをしたのが始まりだという。そのタイプをその当時(=18世紀)の感覚と偏見で特徴づけた考えが今でも、そのままの「人種のイメージ」になっている、というのだ。
その頃は、横並びの偏見であったのが、ヨハン・ブーメンバッハという医師が、縦並び(=優劣をつける)ように組み替えたことで、「人種差別」の基をつくったという。
そもそも「人種」という概念は、17世紀ごろからの「分類学」的な考えでつくられ、その当時の偏見をそのまま今に至るまで受け継いでいる、ということのようだ。
そもそも「遺伝子」というレベルで人を見た時、完全な人はいないという。
人はだれしも、「(細胞分裂の時に、)コピーミスをした遺伝子」を持っており、それが人の進化にもつながっている。
上述した「肌の色」にしても、白人が「黒色メラノーマ」に罹患しやすいのは、アフリカから北ヨーロッパへ移動していく際に、遺伝子がその環境に合うようにコピーミスをしたために起きた遺伝子の異常なのだ。
そう考えると、「人種」による差別そのものが、ナンセンスなことになる。
「人権」は人が生きる為の権利だが、その前に「人権」を阻害している問題を考えることも、大切なのではないだろうか?