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政治と宗教

2022-07-09 20:04:26 | 徒然

昨日のお昼に突然「安倍元総理撃たれる」という、ニュースが飛び込んできた。
最初は信じられなかったのだが、次々と速報が流れ、犯人逮捕の映像等から「あぁぁ、そうなんだ」と、理解することができた。


安倍元総理が撃たれたのが、左胸と首であったことから、おそらく殺害ということを狙っていたのでは?という気がする。
ただ、逮捕された犯人がま動機として話しているのが「安倍元総理」という政治家というよりも宗教団体の広告塔として、狙われ銃撃されたようだ。
逮捕後、犯人は「政治家としての安倍元総理に対する政治的信条ではなく、安倍元総理が関係しているある宗教団体によって家族が離散したことへの恨み」という趣旨の話をしているからだ。
読売新聞:母親が宗教団体の信者「多額の寄付で破産」「絶対に成敗」…安倍氏には「つながりがあると思った」

この犯人の言葉に対して、一番恐怖心を覚えたのは与党である公明党だったかもしれない。
いくら「政教分離」ということが言われていても、公明党の支持母体が創価学会という宗教団体である、ということは公然の秘密となっている。(「幸福の科学」という政党と同じ名前の宗教団体もあるが、政治的影響力という点では、創価学会には及ばないだろう)
一説には、創価学会の婦人部にそっぽを向かれると、選挙が戦えないとすら言われるほど、強力な支持母体だからだ。
この犯人の家族が破産にまで追い込まれた宗教団体が、どのような宗教なのかはわからないが、おそらく安倍元総理からすると「票田の一つ」位しか考えておらず、どれだけ熱心な信者であったのか?という点については、疑問を感じる部分がある。

様々な理由で宗教にのめり込み、破産や一家離散に陥ってしまう、というご家族がいるというのも事実だろう。
いわゆる「カルト宗教」と呼ばれる類が、そのような傾向が強いと感じている。
逆にそれほど、信者がのめり込むほどの宗教団体であれば、信者となっている人たちは、従順に「票田」となるコトに抵抗感はないはずだ。
何故なら、信じているモノが全てだからだ。

一方、かつての日本では、政治と宗教はとても近い関係にあった、ということも理解する必要があると思う。
現在、全国各地にある「国分寺」という地名。
日本史を勉強した方ならご存じだと思うのだが、この「国分寺」は聖徳太子の時代に国を安定させる目的で、政治的に仏教を広め、その中心となる寺院を全国各地に造ったことに由来する。
その後も宗教と権力をめぐる戦いは、日本でも起きている。
むしろ明治以降「政教分離」の考えが取り入れられた、と考えたほうが自然だ。

海外に目を転ずれば、イスラム諸国は当然「宗教の戒律=生活の規範」となっているのは、ご存じの通りだ。
そのため、同じイスラム教であっても、宗派が違うと考え方も違い、同じイスラム教の中でもイザコザが起きている。
キリスト教はどうなのか?と言えば、米国のように「政治と宗教の関連がない」ような印象のある国でも、選挙に大きく影響を与えるキリスト教の宗派がある。
それが「福音派」と呼ばれる人たちであり、「福音派から支持を得られないと、大統領選は厳しい」と言われるほどだ。
米国のように、基本的な宗教がキリスト教であれば、今回のような「一家離散にまで追い詰める宗教」にのめり込み、総理大臣経験者を射殺するようなことは、逆に起こりにくい。
日本の文化として、宗教との付き合い方が「一神教」ではなく「八百万の神様」である為に、様々な宗教が誕生しやすい、ともいえるかもしれない。
そして、新しい宗教ほど「様々な宗教の良いとこ取り」となり、時には信者を強く否定し、時には優しく肯定し宗教が受け入れる、ということを繰り返して行くようだ。
その結果として、その宗教にのめり込み、時には思考を停止させ、言われるがままになってしまう。
もしかしたら、犯人の母親も同じような状況であったのかもしれない。

そのようにして「つくられた政治」というのは、決して多くの国民にとって幸せなことではない。
「政治と宗教」は、日本では関係のないモノではなく、宗教を票田として考えている政治家と票田を提供することで、自分たちの主張を政治に盛り込みたい、という宗教と関係している、ということ自体「政教分離」の考えに反している。
そのようなことに注目して、明日を含めた今後の選挙を考えていく必要があると思う。