昨日だったか?石破首相が何やらぼやいているそうだ。
産経新聞: 「新聞は褒めてくれない」「ネットを見たら悲しくなる・・・」石破首相ガボヤキ節
この記事を読んだとき、「あ~~、石破さんが首相で良かったかもしれない」という気がした。
確かに、故安倍首相に比べ、強いリーダーシップが感じられない、というのは多くの有権者が感じていることだろう。
そして「強いリーダーを求める」という社会の現状もわかる。
というのも、生活者が社会に対して「不安定感」を感じる時に、「強いリーダー像」を求めやすい傾向があるからだ。
今の日本は、経済は衰退の一途をたどり、社会保障費も実質的には下がり続けている。
多くの生活者は、日々の生活の中に「不安」を持ち、その「不安」が「不満」へと変わりつつある、と感じている。
「失われた30年」と言われ続け、その闇のようなトンネルから、いつまでたっても抜け出せそうな雰囲気すらない。
にもかかわらず、様々なモノが値上がりし、その上増税の話まで出てきている。
生活者の暮らしは、日々お金のやりくりの戦いなのだ。
この状態の時に、生活者にとって「起死回生の一打」となるような政策が打ち出せれば、良いのだろうが、今の政治も官僚にもそのような政策を打ち出すことができていない。
だからこそ、「褒めてくれない」し「SNS等で批判的内容」を、数多く見ることとなり「悲しくなる」のだろう。
おそらくご本人は、「こんなに一生懸命にやっているのに!」という思いがあるからこそ、このようなボヤキが出てくるのだと思う。
だからこそ、多くの国民の声に耳を傾ける、ということが必要なのでは?
「褒められない」という現状を無視して、生活(者)を犠牲にするような強引な政策を推し進めるような国のトップを、誰も望んではいないのだ。
まずそのことを、石破首相には考えてもらいたいのだ。
政治が強引に推し進められようとするとき、社会ではどのようなコトが起きるのか?と言えば「全体主義」的な思考が、自由でイノベーティブな考えを押しつぶしてしまう。
そのような事例は、歴史を見ればいくつもある。
そしてその結果「独裁者」を生み、一つの国だけではなく周辺諸国を巻き込むような、悲劇を引き起こすことになるのだ。
日本の「失われた30年」から脱却するためには、まず風通しの良い政治が必要だと思う。
その第一歩として、石破首相は「褒めてもらう」ことを考えるのではなく、「褒められる為には何が必要なのか?」ということを考えてもらいたいのだ。
それはとりもなおさず、「国民の声を聞く」ということであり、それこそが「民主主義」の始まりなのでは?
自由闊達な社会から、社会を変革するようなイノベーションが起きてくる、ということは過去の事例を見ればわかることだ。
その為には、「平和な民主主義」社会でなくてはならない。
その基本というか、原点に戻るつもりで「褒めてくれない」ことに、耳を傾けることをされてみてはいかがだろう。