昨夜、寝る頃にスマホの通知音が鳴り、何ごと?と思い画面を見ると、韓国大統領が「非常戒厳令」を出した、という内容だった。
その時は、「非常戒厳令」が出されたという事実だけで、その詳細が分かっていなかった様だったので、そのまま寝てしまった。
そして今朝、「あれからどうなったのだろう?」と思って、スマホのニュースを見ると、「非常戒厳令」が解除されていた。
思わずスマホの画面を見ながら「どういうこと???」と、つぶやいてしまったのだが、海外で「非常戒厳令」が出される時というのは、国内事情が大混乱に陥っている時に限られていた(ように思う)。
例えば、未曾有の大災害が起こり、都市機能が失われ、市民生活が大混乱に陥り政府も統制することが難しいと判断した時や、クーデターが起きた時だ。
とすれば、今回の「非常戒厳令」が出されたということは、韓国内でクーデーターでも起きたのか?ということしか、思い浮かばなかった。
その割には、翌朝には解除されるということも、異常な状況のように感じていた。
時間が経つにつれ、この「非常戒厳令」が出された背景が見えてきたのだが、それにしてもこの宣布の判断は早急過ぎたのでは?という気がしている。
朝日新聞:韓国大統領が「非常戒厳」を宣布 官僚の弾劾訴追で「行政府がまひ」
良く知らなかったのだが、現在の韓国は少数与党対野党、という状況になっているようだ。
与党が圧倒的多数であれば、強硬的な政治運営ができるし、それだけ大統領の政治的力も強くなる。
しかし少数与党という状況は、何事においても「野党との話し合い」が不可欠となる。
何故なら、それが「民主主義」の基本だからだ。
そこに、与党にとっての重要な後ろ支えとなる官僚が弾劾訴追を行う、ということになれば、一時期的でも政治は混乱するだろう、ということは暗に想像することができる。
問題なのは、だからと言って簡単に「非常戒厳令」を出す必要があるのか?という点だ。
実際、今回の「非常戒厳令」は国会で「解除要求決議」を突き付けられ、宣布後わずか6時間で解除されている。
深夜の宣布だったこともあり、おそらく韓国国内の生活者は、大きな混乱もなく今も過ごしているのでは?と、思っているのだが、「非常戒厳令」そのものは、軽々しく宣布するものではない。
上述したように、諸外国の例のように「国民(あるいは市民)の生活基盤が、自然災害で失われるような状況」か「クーデーターが起きた時」のような、国としての機能が失われ、国民(あるいは市民)の生活が危機的状況に陥った時、に宣布されるものだからだ。
尹大統領からすると、自分自身の政治家生命に対する危機的不安があったのかもしれないし、その官僚による弾劾訴追を支持していたのが韓国軍だったのかもしれない。
尹大統領からすれば「軍によるクーデーターが、企てられた」という、気がしていたのかもしれないのだが、それにしてもヒステリックな判断だったのではないだろうか?
ご存じの通り日本の政治も「少数与党vs野党」という状況になっている。
政治評論家の中には、「国会運営がスムーズにいかず、心配される」と言われる方もいらっしゃるようだが、「少数与党vs野党」という構図だからこそ、国会という場で現在日本が抱える様々な問題を真剣に議論できるのでは?
以前のような「自民一強」という政治は、民主主義という視点から考えれば、決して健全なモノではなかったのでは?
今回の韓国の尹錫悦大統領の「非常戒厳令」の宣布は、勇み足だったというだけではなく「民主主義とは何か?」ということを、改めて考えさせられる出来事だったように思う。