朝日新聞のWebサイトを見ていたら、40数年ぶりに聞いたフレーズの見出しがあった。
朝日新聞:「記憶にございません」10連発 盛山文科相、教団接点巡り答弁迷走
盛山文科相の言った「記憶にございません」というフレーズをすぐに思い出すことができるのは、50代後半くらい以上の年齢の方たちだろう。
この言葉を国会の場で初めて言ったのは、ロッキード事件で追及された小佐野賢治だった。
小佐野賢治と聞いても、「誰?」と思う方の方が多くなっていると思うのだが、戦後のフィクサーとも呼ばれた政財界に名をとどろかせた実業家だった。
フィクサーと呼ばれるにふさわしく、小佐野賢治の交友関係はとても広く特に金丸信や中曽根康弘と言った当時の自民党幹部とは懇意であった、と言われている。その中でも時の総理であった田中角栄とは親しかった、と言われており、「ロッキード事件」では、小佐野賢治と田中角栄の贈収賄等の疑惑が、獲り沙汰されることになったのだ。
その後「ロッキード事件」については、米国の陰謀説等も言われるようになったが、この事件が発覚した当時は、小佐野賢治だけではなく、日商岩井等の商社の社長等も「証人喚問」として呼ばれ、その宣誓書にサインをするときは、緊張のあまり手(だけではなく腕まで)が振るえ、サインができなかったという人物もいた。
それほど、国会で証人喚問されるということは、緊張感のあるものだったのだ。
最近の「証人喚問」の映像とは全く違う張り詰めたものがあった。
だからこそ、「記憶にございません」という、逃げの言葉に対しても喚問する側はしつこく、言葉を選びながら丁々発止を繰り返していた、と記憶している。
それに比べ、最近の国会での「記憶にございません」という言葉の軽いこと。
今回の盛山文科相の答弁も「記憶にございません」という言葉で、物事をうやむやにしてほとぼりが冷めるのを待っているように感じた。
小佐野賢治の場合は、フィクサーと言えども国会とは関係のない一般人に対して、今回の盛山文科相は通い慣れた場所という違いがあったにせよ、とにかく緊張感がないように感じるのだ。
もしかしたら、この軽さは「本当にこの人大丈夫?」と感じさせる答弁だからかもしれない。
勿論、質問力という技量の問題もあるとは思うのだが、のらりくらりと「埒の開かない」答弁に、イライラしてくる。
そしてもっと驚くことは、このような人物を更迭せずにいる、岸田首相の政治家としての感性だ。
かつての自民党は、このような不祥事が起きると、すぐさま離党させていたような印象がある。
自民党という政党を守るためには、このような手段も辞さない、という首相の意思を感じさせたのだ。
それが、岸田首相に限っていうなら、様々な疑惑が指摘されても、その重大性が理解できないのか?あるいはまったく関心がないのか?「我関せず」という態度なのだ。
それが、内閣支持率低下という状況になっても、続いていることに、岸田首相の政治家としての感性の不思議さを感じる。
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