日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

友愛のキス-ベネトンの広告ー

2011-11-17 21:09:54 | CMウォッチ
Yahooなどのトピックスなどでも取り上げられていた、ベネトンの広告。
ベネトン広告・スライド(ロイター発 注意:始まりと終わりに音声があり)

ベネトンの広告といえば、1980年代後半から相当尖がった社会を批判するような広告で、物議を呼んだ広告が多かった。
当時の広告を担当していたオリビエロ・トスカーニが向けていた社会批判というのは、偏見や差別、人権といった社会性が高いモノであったがためだが、一企業の広告としては相当社会性が高かっただけではなく、批判も多くあった。
特に宗教関係者からの批判は、特に強かったように思う。

その後、トスカーニが広告担当を降り、その話題性というのは少し減ったような気がしていたが、今回の広告は久々に「ベネトンらしさ」を感じるモノだった。
「ベネトンらしさ」というよりもトスカーニの意思を引きついた、ベネトン広告スタッフの今という世界に対するメッセージというモノを感じたのだった。

冷静に考えれば、ベネトンはイタリアのアパレルメーカーなのだから、何も「社会性の高い広告」を打つ必要は無い。
まして、物議を呼ぶような広告などは、アパレルメーカーとしてはご法度だろう。
特に、イタリアという国において宗教を取り上げるということは、半ば自殺行為的なところもあるのでは?
それでも、あえて(というべきか?)このような、痛烈に社会を批判し、受け手に考えさせる問題提議をする広告を作り続けるというのには、ベネトンという企業の理念があるからだろう。
あくまでも想像だが、「(ベネトンの服を着ることに)制限があってはならない」というコト。

トスカーニが初めて注目されたベネトンの広告というのは、末期のエイズ患者とその家族だった。
その後も、ボツニアの紛争で亡くなった若者が、銃撃されたときに来ていた血だらけのTシャツと迷彩色のパンツの写真も「そこまで見せる必要があるのか?」と、広告以上に話題になり、「広告のあり方」そのものにまで話題が発展したこともあった。

そして今回の「世界の相反する首脳たちのキス」だ。
このスライドを見ている限り、トスカーニほどの強烈な社会批判を私は感じない。
もちろん、当事者たちからすれば決して気持ちの良いものではないと思う。
当事者ではない私でさえ、「それはチョッと・・・見たくない」というモノも確かにある。
しかし、今問題となっている様々な事柄が互いの思惑ではなく、世界的な視野からみた利益から考えれば、キスは無理でも握手くらいはできるのではないか?と、思わせることに十分成功している。
そして、多くの人たちはそのことを望んでいるのではないだろうか?

「キス」という皮肉な合成写真ではあるが、自己益ばかりを求める社会は「制限のある社会」なのかも知れない。
センセーショナルではあるが、いろいろなことも考えさせるベネトンらしい広告だと思う。

今年のグッドデザイン賞

2011-11-16 20:42:40 | トレンド
今朝の新聞に、今年のグッドデザイン賞が特集されていた。
大賞を受賞したのは、ホンダの「東日本大震災でのインターナビによる取り組み『通行実績情報マップ』」だった。

今年の受賞作品全体の印象は、「エコ・環境」という部分を評価されているモノが、とても多いという印象。
もちろん、震災を受けたことで「緊急性の高いモノ・コトを運ぶ」という視点で作られた作品も多い。
その一例が、積水成型工業の「折りたたみ式ワンウェイ液体輸送容器『ロンテナーシリーズ』」だろう。
ポリエチレン製の容器は、通常は折りたたみができ、必要なときに液体容器になる。
その容器の形も立体三角形。
そのため、1パックで持ち運べる量は、これまでの容器よりも減ってしまうが、上手に組み合わせれば、少量の液体を数多く運ぶことができる。
医療の現場などでは、むしろこのような形態のほうが、便利だろう。

そして「住まい」という点でも、変化が起きていると感じるものがあった。
三井ホームリモデリングの「マンションの前面リフォーム」だ。
ご存知のように、今でも新築マンションの販売というのは続いている。
しかし、少子高齢化でこれまでに建てられたマンションそのものに、空きが目立つようにもなってきている。
確かに、「新しいモノを手に入れる」というのは、うれしい気持ちがある。
現実問題として、建築年数の経ち空きが多くなったマンションを建て直すにしても、建築費用などの問題が出てくる。
一番手っ取り早い方法というのは、「リノベート」という方法だ。
これまでは中古の戸建て住宅が中心だったが、最近ではマンションそのものの躯体を大きく壊すことなく、部屋数を減らしたり、間取りを変えたりするコトも普通に行われるようになってきたようだ。

そして意外なことに、JALが「木製車椅子」で受賞をしている。
経営破たんをし、窮地に追い込まれているJALだがこのような、介護用品を作っているとは知らなかった。
考えてみれば、空港には様々な人が集まる。
当然、身体的ハンディのある方もいらっしゃるだろう。
身体的ハンディのある方が、金属製の車椅子を利用していては、金属探知機などに反応して不自由を迫られるということから、この「木製車椅子」が作られるようになったようだ。
考えてみれば、当たり前といえば当たり前のようなコトだが、その「当たり前」のコトに、気づかないことのほうがはるかに多い。
今回JALがこのような「木製車椅子」を作ったということは、JALの体質が変わりつつあるということなのかも知れない。

今回大賞を受賞したホンダの作品は、具体的な形のある商品ではない。
いわゆる「サービス」と呼ばれるモノだ。
そのような「サービス」がデザイン大賞を受賞する、という意味を考えると「決して具体的な形の商品がデザインではない」というコトに気がつく。
「デザイン」とは、生活を豊かにするための一つの提案やアイディアであり、それを目に見えるカタチにするコト、という考え方に変わってきたのかも知れない。





新しい百貨店のあり方?

2011-11-15 18:41:01 | ビジネス
ご存知の方も多いと思うのだが、「小売の雄」といわれてきた百貨店に元気が無い。
「元気が無い」と言っても、ここ2,3年の話ではない。
バブルが崩壊して以来、ズッと「元気が無い」といわれ続けてきた。
その百貨店の元気が失われてから、大手スーパーやコンビニが、小売の主役となってきた。
しかしながら、それらの「小売の主役」もあまり元気が無いように感じている。

そんな百貨店だが、毎週のように定番の新聞折込は入ってくる。
その多くは、バーゲンや物産展などの催事のお知らせだ。
ただ最近、ちょっと変わった内容が掲載されるようになってきた。
それが「(百貨店内)コラボレーション弁当」

「(百貨店内)コラボレーション弁当」というのは、百貨店の地下食料品売り場のお惣菜屋さんやデリカ、おにぎりやおこわなどのお店が、それぞれ「旬のもの」を持ち寄って、一つのお弁当を作る、という企画。
価格設定も「ワンコイン・500円」のものもあれば、高級惣菜店が中心になって作る「行楽弁当2,000円以上」のものまである。

これまで百貨店の地下のお弁当というと、入っているお店ごとのお弁当だけしかなかった。
「このおにぎりに、あのお惣菜とそっちの揚げ物」という組み合わせをしようとすると、お店を渡り歩き、必要以上の量を買い、それぞれのお店の包みを百貨店の袋に入れて持ち帰るという方法しかなかった。
でも、このような「コラボレーション弁当」であれば、「食べたい分だけ、食べたいお店のものが食べられる」。
理想としては、お弁当箱持参で本当に少しづつお店を渡り歩きながら、自分の食べたいものを集めて「自分のお弁当を作る」と言う方法だが、それでは衛生面で問題があるだろうし、百貨店そのものも受け入れがたいだろう。

考えてみれば、百貨店の魅力というのは「ワンストップで、ものが揃う」というコトなのではないだろうか?
たとえば、アパレルのフロアーには様々なブランドのお店が入っている。
でも、買う側としては「このブランドのスーツに、あちらのブランドのブラウス、靴はお気に入りのブランドがあるから、そこで!できれば、バッグも見たいな~」と考えていても、それを一緒になって選び、コーディネートのアドバイスをしてくれるようなシステムにはなっていない。
なっていない、というよりもバブル期以降、百貨店には各ブランドから派遣された社員さんが常駐しているため、違うブランドの商品を選びたくても選べない、選びにくい、という状況になっていて、それがとても買い物し辛い状況をつくりだしていたのではないだろうか?

「(百貨店内)コラボレーション弁当」のチラシを見ながら、本当の百貨店の魅力って?というコトを改めて考えさせられたと同時に、ブランドや売り場の垣根を越えた顧客一人ひとりに向けた提案力のある販売、という百貨店本来の姿に戻る必要があるように思う。

企業のSNSのお手本?

2011-11-14 19:16:24 | ビジネス
テレビを見ない生活になってから、テレビCMに近い存在となっているのが「バナー広告」といわれるモノ。
特にYahooのようなポータルサイトのトップページにあるモノなどは、時々アクセスして、見てしまうことがある。

アクセスをして見て、がっかりというケースのほうが多く、WEB広告の難しさというモノを感じることのほうが多い。
それ以上にがっかりするのが、実は企業のSNSのサイトだ。
ツイッターやfacebook、ミクシー、最近ではgoogle+などを使って、生活者を企業側へと引き込もうといろいろな策を練っているのはわかるのだが、「参加してみたい」という部分では「・・・」という気がするのだ。

そんな中、オヤ!と思った企業SNSがあった。
ネスレサイト内にある「ネスレゆずりば」だ。
「いらなくなった物をサイト内に登録し、欲しい人に譲る」、譲り合うために使うのがfacebookというシステム。
ネスレ自体は、「譲り合う場所」を提供しているに過ぎず、譲る方も譲り受ける方も、ネスレとは関係はない。
利用している側としては、「ネスレのサイト」というコトを気にして参加しているという意識は低いと思う。

しかしこれが、企業側にとって大きなメリットがあると思う。
その理由は、facebookというSNSの特徴にある。
ツイッターやミクシーなどは、匿名性が高く「モノを譲り合う」というツールには適さない。
逆にfacebookに登録をし、「ゆずりば」を利用するということは、ネスレ側としては利用者の名前や世代、居住地域などが、ある程度把握できる。
それだけではなく、個人が譲りたいモノをサイト上に出すことで、譲りたい人の趣味性や家族構成のようなものもある程度把握できるはずだ。

これまで、企業のSNSといえば「企業⇔個人」という関係だった。
そこに「企業⇔個人⇔個人」という三角形の関係ができることで、企業側は一つの「譲るもの」に対して、2つの情報を得ることができる。
利用者側がどれだけ、そのような関係を感じ利用しているのかは別にして、facebookというツールをこれまでとは違う使い方で、人を集めようとしているという点では、企業のSNSのお手本の一つのような気がする。

今度の週末は・・・

2011-11-13 21:19:40 | 徒然
今日「B-1グランプリ」が、開催されたようだ。
第1回、第2回のグランプリを受賞した「富士宮焼きそば」の大ヒットで、地域の観光と活性化の二役を負うほどの、地方活性化の切り札となった感のある「食のイベント」だ。
その影響力は、一部では10億を越す経済効果がある、と言われている。
そのため、様々な自治体がこぞって「地元のB級グルメ発掘・新作」に余念が無い。

そして今年は、岡山県の「ひるぜん焼きそば」が、グランプリを受賞したようだ。
岡山県北部に位置する蒜山高原と言っても、関西方面の方にとっては親しみがあっても、とても全国区という知名度は無い。
中国自動車道から米子へ通じる「米子道」ができてから、やっと関西方面からのお客さんが集まりだした、という印象がある程度だった。
10年ほど前からは、蒜山高原で飼育されている「ジャージー牛」を使った、ヨーグルトやスィーツが人気になっているようだが、他には?と聞かれると、チョッとした遊園地のような施設はあるが、基本的には自然豊かな場所としか言いようが無い。
おそらく私も母の実家が無ければ、行くような機会は無かったと思う。

そして、今回「B-1グルメ」のグランプリを取った「ひるぜん焼きそば」だが、私の遠い記憶の中では、ジンギスカンの後、シメとして食べていたような気がする。
と言っても、30年以上も前の記憶で申し訳ない(HPによると、ジンギスカンの後のシメではないようだ)。
そのため、印象と言ってもほとんど無く、最近の「B級グルメ」人気で話題になったり、高速道路のPAやSAにおいてあるフリーペーパーなどで、その存在を知ったのだった。
だからこそグランプリ受賞と聞いて、「え!」という驚きのほうが強い。

この季節、紅葉も見ごろだし、近くには温泉もある。
どうぞ、今度の週末は焼きそばだけではなく、紅葉も温泉も満喫をして帰ってください。
あと、ジャージー牛乳もぜひ!



場外が面白そうな野球

2011-11-12 21:46:57 | 徒然
地デジ化でテレビを見なくなっても、案外生活に支障をきたさないモノだな~と、感じるようになってきた。
趣味兼仕事の「CMウォッチ」ができないことは、本当に残念なのだがそれ以外ではあまり不自由を感じない。
特に野田さんが総理大臣になってからは、新聞を見ても前日どのような発言をしたのか?というニュースもほとんど無いため、テレビのニュースでも野田総理の発言を見ることはほとんどないのだろう、と思っている。

しかし、昨夜はどうしてもテレビを見たくなるようなコトがあった。
それは、プロ野球・読売巨人の清武代表の記者会見。
今朝の新聞やWEBのニュースなどを読むと、親会社である讀賣新聞社の主筆である渡辺さんを、痛烈に批判した記者会見をされたという。
「巨人軍の代表である人物が、親会社の主筆を批判する」というコト自体、前代未聞という気がするのだが、それを記者会見という場所を設けての批判だとすれば、相当な覚悟をされてのコトだろう。
痛烈に批判された渡辺さんからすると、「飼い犬に手を噛まれる」という気分だったのでは?

以前からとても不思議に思っていたのだが、讀賣新聞社という一つのメディアの主筆が政治やスポーツにまで口を出し、さも「私の言っていることが正しい」という態度をなんとなく認めてしまう社会的な雰囲気があった。
スポーツと言っても子会社のプロ野球チームのコトだけに口を出すだけならまだしも、いろいろなところでご自分とそりの合わない人を批判したり、フィクサー気取りで政治家とつるんだりする姿というのは、メディアという中立的立場からすれば、問題があるはずなのだが、一向に問題視されることも無く続いていた。

頭の良い方なのだと思うのだが、頭が良い人物であれば自分の立場を考え、政治とも距離を置き時には批判をしたり、支持をしたりするのが普通だと思うのだが、どうやら政治とメディアを使って自分の主張を認めさせてきた、という印象ばかりが強い。
その印象は、メディアという立場からすれば、決してプラスではないはずだ。
それでもあえて権力に近づき、自分を社会にPRし続けるのは何故なのだろう?

そして今日になって「清武君は、私に謝罪すべき」と、主筆である新聞社ではない新聞社のインタビューに答えている。
この状況を、どう理解したらよいのだろう?
自分の新聞社ではない、新聞社にインタビュー記事を掲載される、というコトは自分の新聞社では掲載できない何かがあるということだろうか?
それもまた、不思議な気がする。
ただ、この一件はプロ野球の日本シリーズよりも、話題性があり面白そうな気がする。
もちろん、日本シリーズで戦うホークスとドラゴンズには、見ごたえのある試合をしてもらいたい。
しかし残念なことに、日本シリーズよりもメディアの扱いはこちらの「場外」のほうが大きいような気がする。

「食文化」の違い

2011-11-10 17:11:41 | ライフスタイル
昨日、所要があり大きな展示会へ出かけた。
その中で、いろいろな地域の「まちおこし」の展示がいくつもあった。
おそらく10年以上も前なら、「まちおこし=地域の産業」だったと思う。
しかし、今では「まちおこし=食文化の発信」と、なりつつあるようだ。

もちろん、様々な地域文化に根付いた「食文化」は、とても興味深いものがある。
食べ物一つをとってみても、その地域性など背景にあるものは何だろう?と、考えるとなかなか深いモノがありそうな気がする。

ところで「一宮モーニング」というモノをご存知だろうか?
愛知県下、特に尾張地域にお住まいの方であれば、ご存知だと思う。
それほど「一宮モーニング」は、有名だ。
現在愛知県・一宮市ではその「モーニング」をまちおこしとして、一生懸命アピールをしている。
「一宮モーニング」公式HP

愛知県以外に住んでいらっしゃる方々にとって、喫茶店の「モーニング」というモノはどのようなモノなのだろう?
名古屋の喫茶店で朝「モーニング」を注文すると1杯のコーヒー代で、厚切りトースト(半分)+(小ぶりの器に入った)サラダ+ゆで卵1個などが、もれなく付いてくる。
たとえ「コーヒーだけ」と注文をしても、これらのセットが付いてくることが多い。
その豪華版ともいえるのが「一宮モーニング」なのだ。
名古屋モーニングのようなセットは当然、喫茶店のなのに、おにぎりや炊き込みご飯、おこわ(+ミニ茶碗蒸し付きという所もあり)といった「和食メニュー+コーヒー」という喫茶店もある。
もちろん、「モーニング」といっている限り、「コーヒーが主役の朝メニュー」だ。

おそらくこれほど「豪華なコーヒー主役の朝メニュー」を出す喫茶店というのは、愛知県下くらいなのではないだろうか?
実は、尾張一宮に対抗するかのように豊橋の「モーニング」も、なかなかの豪華版(こちらは、パンなどが食べ放題パターンが多いようだ)だと聞いたことがある。
とすれば、この「喫茶店の豪華朝メニュー」は、愛知の産業と何かしら関係があるのかも?と、考えるととても面白い。
一宮市は、以前繊維の町として栄えたこともあり、その職工さんたちが喫茶店で食事を済ませる過程で、独特の「喫茶店文化」として「モーニング」が発達(というのか?)したのかも知れない。

「一宮モーニング」のパンフレットを見て初めて知ったのだが、名古屋などでは一般的な喫茶店の「コーヒーチケット(回数券のようなモノ)」も、愛知独特のモノらしい。
大須育ちの友人は、東京や大阪には「コーヒーのおかわり」が無いことを、とても残念がってたというコトもあった(名古屋にある昔からの喫茶店では「コーヒーのおかわり」は、当然のサービスでもある)。

「食文化」を考えるコトは、その地域の社会的背景を考えるコトなのだな~と言う気がしてくる。


バブルのツケ

2011-11-09 20:01:21 | ビジネス
オリンパスが、大変なことになっている。
ご存知の方がほとんどだと思うこの問題、少しづつ明らかになってきたことは「コトの始まりがバブル崩壊からだった」というコト。

「バブル経済の崩壊」といえば、20年ほど前の話。
バブル真っ盛りの頃は、多くの企業が本業とは関係のない事業に手を出していた。
その多くが投資目的で、その当時は「本業だけに熱心な経営者は経営センスがない」様にいわれていた。
その中でもゴルフ場経営や不動産などが多く、バブル崩壊後はそれらの資産が不良債権となり、本業は順調なのに、バブル期に投資した事業で倒産した企業もあった。
この東海地域で言うと、「日東あられ」などが思い浮かぶ。

かつては、亀田製菓と並ぶあられやおせんべいの製菓会社として、全国的知名度もあった企業だった。
その「日東あられ」が、バブル期にゴルフ場などの不動産経営に乗り出し、バブル経済が崩壊後は本業である製菓部門の利益をつぎ込んでも、不動産部門の赤字を補填することができず、「粉飾決済」をし、刑事事件にまで発展。
結局は、サンヨー食品の支援を受け、製菓部門の建て直しを図ったが、今年新会社である「日東あられ新社」も廃業を決めた。

そんな経緯を知っていると、オリンパスの再建はとても難しいような気がしてくる。
オリンパスがバブル期に負った、負債の原因はいったいなんだったのか?というコトも、これから明らかになっていくと思うが、20年近くバブルのツケを先送りしたことで、そのツケは当初のツケとは比べ物にならないほどに膨れ上がってしまったのでは?と、想像するのだ。

オリンパス自体が持っている、光学技術というのはとても高いと思う。
世界で初めて「胃カメラ」を作ったのはオリンパスだし、私もお世話になっている「マンモグラフィ」などは、富士フィルムやペンタックスといったライバル企業とともに切磋琢磨した結果、海外でも評価されるほどのデジタル画像が撮れるようになってきた(と言っても、技術者+診断医の力量の確かさが必要ではあるが)。
世界的にも評価が高い光学技術を持っているだけではなく、それらの事業部門での収益はとても高いはずなのだ。
確かに、デジカメなどの事業は大変厳しい状態だとは思うが、それを十分にカバーできるだけの事業があるはずだと思っている。

とすれば、一体何による損失だったのだろう?
バブルのツケだとしても、それを隠し続けなくてはならなかった理由やその額がとても気になるし、すばらしい光学技術を持っていながら、倒産してしまうのでは?という心配もしている。
それにしても、20年間に及ぶバブルのツケの先送りは、様々な意味で大きすぎる気がする。

企業のもう一つの使命

2011-11-08 20:17:47 | ビジネス
新聞各社のWEBサイトに、ホンダの「アシモ」の記事と動画が掲載されている。
ご存知の通り「アシモ」は、世界で初めて2本足で立ち、歩くことができた人型ロボット。
その原型は、もちろん「アトム」であろうというのは、想像できることだろう。

その「アシモ」の登場によって、自動車メーカーだけではなく様々な製造メーカーが「人型ロボット」の開発に乗り出した。
時期的には、丁度バブル全盛~崩壊へと向かう頃だったような記憶がある。
その後、バブルが崩壊しても企業の多くは「人型ロボット」の研究・開発を続けていたようで、5年ほど前に開催された「愛知万博」では、相当リアルな会場案内をするロボットや楽器演奏ができるロボットなどが、デモンストレーションとして登場し、話題にもなった。

そんな中でもやはりホンダの「アシモ」の存在は、とても大きいような気がしていた。
やはり「世界に先駆ける」という、企業のチャレンジ精神を具現化しているからだろう。
そんな「アシモ」の成長は、実は様々な技術開発の集積でもある。
そして、今日ホンダが発表した「災害時用アームロボット」は、その「アシモ」の成長過程で作られた技術でもあった。

このように考えると、企業の使命の中には「未来をつくる」というコトもあるのでは?という、気がしてくる。
もちろん、企業として「生活を豊かにする」とか「社会に貢献する」といったことは、とても大切なことだ。
それによって、企業は収益を上げ、企業そのものが存続できるのだから。

しかし、それとは別に「未来をつくる」とか「夢を描く」といたことも、とても大切な使命という気がしたのだ。
考えてみれば、日本の企業はその高い技術力と開発力で、世界をリードしてきた。
しかし今、一番ワクワクさせる企業の一つは、appleだろう。
スティーブ・ジョブズを失ったことは大きいが、それでも今のところappleほどワクワクと未来を感じさせてくれる企業は見当たらないような気がする。
「appleの魅力」と言っても過言ではないと思う。
だからこそ、今の日本の企業にかけている使命という気がするのだ。

「夢で飯は食えない」というコトは十分わかるのだが、その夢が描けないことで企業内だけではなく、市場も社会全体も沈滞ムードになってしまっているのではないだろうか?
「アシモ」の開発における技術開発や研究は、決して「人型ロボット」を作るという目的だけではないと思う。
現に、ホンダが今まで手がけていなかった、「災害用アームロボット」の開発へと結びついている。
手話ができたり、水筒から紙コップにジュースを注ぐなど、人が当たり前にできることをロボットがすることで、様々な場面でのロボットの活用が見込まれるはずだ。
とすれば、「夢を描く」コトで広がるモノ・コトがたくさんあるはずなのだ。
と同時にそれは、その企業の大きな魅力となっていくのではないだろうか?
日本の企業が生き残るためのモノ・コトを、今日の「アシモ」が見せてくれたような気がする。

「ライブドア」がなくなる

2011-11-07 21:05:20 | アラカルト
新聞のWEBサイトをチェックしていたら、「ライブドア」の名前がなくなる、という記事が掲載されていた。
経営としては、既に韓国のネットサービス会社の子会社となっていて、「ライブドア」という名前だけが残っていたようだ。
確かに、「ライブドア」という名前でブログをはじめとするネットサービスは、今でも残っており利用されている方も多いはずだ。

その「ライブドア」は、ご存知のように堀江貴文さんが創業をした企業だった。
ネットサービス会社として、急成長を遂げ「時代の寵児」として話題に事欠かない人物でもあった。
特に、「プロ野球の近鉄とオリックスが合併する」という問題が起きたとき、いち早く買収に手を上げた。
当時は堀江さんの服装などから、プロ野球の重鎮というかプロ野球を仕切っている(?)某新聞社主筆から、猛反対を浴びた。
結局は、同じIT分野の企業である楽天が新しいチームを作るような形で、一件落着したのだが、この一連の出来事で、「ライブドア」という企業名と共に堀江さん自身が時の人となった。
堀江さんの仕掛けた「プロ野球買収」はできなかったが、「ライブドア」という企業名は、それまでインターネットなどとはまったく無関係な生活を送っていた人にまで認知させるということに、成功したとも言える。
実際、そのようなコトを言う方もいらっしゃったようだ。
その後も、フジテレビとの買収工作など実際のネット事業ではなく、マネーゲームに近いような経営手ばかりが報道されるようになっていった、という過程はよくご存知の方も多いと思う。

その後は上述したとおり、本業となるネット事業に関しては韓国の企業に買収され、完全子会社となってしまった。
しかし日本での「ライブドア」という名前の価値は、それなりにあったのだろう。
なぜなら、堀江さんが社長を退いてからも「ライブドア」という名前で、様々なネットサービスが展開できたのだから。

その「ライブドア」という名前がなくなる、というコトは「ライブドア」という名前の価値が薄れてきた、というコトもあるだろうし、時代が変わったということもあるだろう。
何より堀江さん自身、既に過去の人となってしまった感もある。

ただ「ライブドア」という名前の企業の始まりから終わりまでを見てみると、一つの企業の成長と終焉をよく表しているようにも思える。
そんなところから、何か学べるコトがあるような気がする。