日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ジビエ皮革×刑務作業=ブランド化

2021-10-14 19:23:26 | ビジネス

昨日、Yahoo!のトピックスを見ていたら、「こんな人が、こんな商品を買うのか?」と、驚くトピックスがあった。
J-Cast News:河野太郎氏「愛用の革靴」明かす 意外な値段にネット驚き、製造元「感謝しております」

河野太郎氏と言えば、先日の自民党総裁選で、岸田さんに敗れた。
その後の組閣人事では、「報復人事」のようなこともささやかれた。
そのような「話題が少なくなりそうな時」+本日衆議院の解散が決まった、というタイミングで河野さんが、愛用されている革靴を、ご自身のSNSで公開された。

記事にある通り、愛用されている革靴は刑務作業品として、販売されている商品のようだ。
時折、更生を目的として刑務作業でつくられる商品等とテレビのニュース等で、取り上げられることはあるが、刑務所ごとに作られている商品が違うらしく、テレビのニュース等で紹介されても「へ~~、そうなんだ」程度の関心しか持てないコトも多いのでは?
折角、通販サイト等も持っているのに、広く知られていないというのは、残念な気がする。
刑務作業品サイト:CAPIC~キャピック 心をこめた手作りの逸品

刑務作業品は、企業が販売する商品とは違い、服役している人たちの更生が目的なので、値段的にもリーズナブルでそれなりの商品が作られれば、とても魅力的な商品となる可能性がある。
例えば、害獣被害対策として進められている、ジビエ等を上手く使うことで、より特徴的な商品となるのでは?と、考えられる。

実際「ジビエ料理」の認知度は、徐々に高まってきており地方の地域活性化の一つとして、位置付けている地域もあるようだ。
「ジビエ料理」として活用されるようになると、問題となるのは処理をした皮ということになる。
まだ全国規模では無いようだが、「ジビエ」を地域活性化の一つとして考えている所では、「ジビエレザー」も扱うようになってきている。

とすれば、このような国内の「ジビエレザー」の企業と刑務作業所が提携し、特徴のある商品化をしていくことで、価格以外の魅力的な商品となるのではないだろうか?
事実、通販サイトでは「手作りの逸品」と、謳っているいるのだ。
「一般市場と競合しても、魅力ある製品をつくれる」という自信は、刑務作業に従事している服役者に、大きな自信にもつながるだろうし、「クラフトマン」として更生する機会になるかもしれない。
そこに、河野さんのような社会的影響力のある方が、積極的にPRされると認知度も上がり、ブランド化できると思うのだ。


賃金の上昇と雇用の関係-2021年ノーベル経済学賞-

2021-10-13 20:12:59 | ビジネス

先日発表された「ノーベル賞経済学賞」。
今年も、米国の研究者が受賞した。
CNN:ノーベル経済学賞、「自然実験」に貢献の米大3教授に授与

ノーベル賞の経済学賞に関していえば、ほぼ米国の研究者の独占状態となっているので、米国の受賞は珍しくもない。
これまでと違う、と感じさせたのは「シカゴ学派」と呼ばれる、シカゴ大学出身の研究者が受賞していない、という点と「経済」という生活者にとって、遠いと感じさせる分野において「賃金と雇用」という、生活者にとって身近なテーマを「自然実験」の貢献としたコトかもしれない。

これまで「不況」になると、「雇用調整」という名の「リストラ」がされてきた。
「従業員に支払う給与が、企業にとって大きな負担となる」というのが、その大きな理由だった。
代わりに雇用されたのは、有期雇用と呼ばれる「アルバイトやパート」最近では「派遣社員」という、正社員に比べ労働賃金が安く、当然福利厚生等についても企業負担が少ない(あるいは、企業負担が無い)非正規雇用者が、担うということになっていた。
実は、バブル経済崩壊後、日本の経済が復活しないのはこの「非正規雇用者」が急激に増えたためではないか?という、指摘もされたいた。

しかし、「企業そのものの経営体力がないのに、正規雇用者の維持をするのは、経営上難しい」という理由から、「非正規雇用者」が急激に増え続けている。
日本で問題になりつつある「高齢の親が、無職の子どもの生活を支えている」という、世界的に見てもやや変わった家族関係が出てきたのも「就職大氷河期」と呼ばれた世代以降だと認識している。

このような今まで言われていて、なんとなく企業だけではなく社会全体が納得していた「賃金と雇用」の関係が、どうやら違うらしい、という指摘をしたのが今回のノーベル賞経済学賞の対象となった「自然実験」の結果の一つなのだ。
「賃金を増やした結果は、製品や商品に価格転嫁を行っている為、企業の利益そのものは変わることが無い上、雇用調整そのものも必要が無くなる」ということが、判明したからだ。

とすると、これまで「いざという時の為」という理由で、企業がため込んできた「内部留保」そのものも、「そのいざという時」は、どんな時なのか?
雇用に手を付ける前に、内部留保の一部を雇用に振りあてるコトで、雇用そのものが守られれば、働く人たちは安心して「モノ・コト消費」をするのでは?ということになるのでは?という、考えも出てくるだろう。

拙ブログでも何度か指摘させていただいているのだが、日本がバブル経済崩壊後30年余り、生活者の収入は減り続けている。
リーマンショックで大打撃を受けたはずの米国であっても、日本より生活者の収入は伸びている。
もちろん、米国内にくすぶっている「差別による生活格差」という問題はあるが、社会全体の経済状態が浮上するなくただただ時間だけが過ぎて行っているのは、日本だけなのだ。

そう考えると、今回のノーベル賞経済学賞の受賞理由となった考えは、日本の経済政策はもちろん企業が行ってきた経営の在り方そのものにも大きな一石を投じることになるのでは?
と同時に、「定年まで一つの企業で勤め上げる」という考えから、「積極的な働く人達の流動化」を経済界も考える必要が出てきているのではないだろうか?
それは「45歳定年」という乱暴な言い方ではない、生活者の不安を取り除くような流動性のある人事システムである、ということは言うまでもない。


ファッションは、トレンドよりも自分らしさ

2021-10-12 20:22:17 | ライフスタイル

秋と夏の間で、体調と崩していたようだ。
PCに向かうも、言葉が出ず空回りをしていたため、お休みをさせて頂いた。

それでも、ニュース等のチェックは欠かさずHuffpostに、面白い記事があった。
Huffpost:「好きなものを着なさいよ。80年間の保証付きよ」ファンキーな祖母の声で”呪い”が解けた。朝日夜さんのマンガに反響

拙ブログにこられる方は、ご存じだと思うのだが、ファッションについてのエントリをさせて頂くことも多い。
その時は「時々のトレンド=流行」をテーマに書くことが多いのだが、トレンド=流行=それらのファッションをしなくてはいけない、という流れで書いているつもりはない。
どちらかというと、デザイナーが表現したい時代感のようなものに注目しながら、エントリをさせて頂いているつもりでいる。

とはいうものの、ファッションを追いかけることが悪いコトだとは思っていない。
問題だと感じるのは「自分に似合う?」という疑問を持ちながら、ファッションを楽しむのではなく、「流行りだから。このファッションじゃないと、時代に乗り遅れて恥ずかしい」という感覚を持って、トレンドを追いかけることだ。
ファッション業界では、このような感覚でファッションを追いかける人達のことを「ファッション・ヴィクティム=ファッションの犠牲者」と呼んでいる。
残念なことに、今の日本のファッション業界はこの「ファッション・ヴィクティム」と呼ばれる人たちに、支えられているという現実は否めない。

その理由の一つが「安心感」だ。
周囲の人たちと似たようなファッションでいる、という「同調性」から起きる「仲間意識」的な安心感と言えば分かりやすいかもしれない。
似たようなファッションをすることで、一つのグループを形成し、その中で互いに安心感を得ようとする傾向が、日本は強いように感じている。
特に若い世代では、このような「ファッションによるグループ形成」という現象が、起きやすいのかもしれない。
「ヤンキー」と呼ばれる若者たちの服装やライフスタイル等と言えば、分かりやすいかもしれない。
自主的ではないが、「制服」等は「帰属意識」を着る人に持たせ、るツールと言えるかもしれない。

そのようなグループ形成の「アイコン」としてのファッションが、「社会人らしさ」とか「年相応」という言葉に、置き換えられた上にファッション誌等で紹介されるスタイルを求めてしまっている、という現実があるのでは?ということなのだ。
その傾向が一番出るのが、「就活ファッション」だろう。
誰もが同じ色のスーツを着、似たようなカバンを持ち、ヘアースタイルもほぼ同じ。
雑誌等で紹介された「就活ファッション」からはみ出ると、就職活動が上手くいかない、という呪縛にとらわれていると感じることが多々ある。

もちろん、TPOは大切だが、昨今の「マナー講師」による訳の分からない、ご高説にとらわれることなく、若い方たちは「自分が着たいもの」と向き合って欲しい、と考えている。
何故なら、ファッションそのものは「表現」の手段であり、「あなたらしさ」を伝える方法だからだ。




偉人に学ぶ

2021-10-09 19:48:02 | アラカルト

和楽Webに「その昔、日本で検疫システムを短期間でつくり上げ、成果を出していた」という、記事があった。
和楽Web:23万人の検疫を2か月で実現!迅速な感染症対策に震災復興。今必要なのは「後藤新平」だ

現在放映されている大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公は、「日本資本主義の父・渋沢栄一」だ。
ドラマの内容はともかく、明治・大正・昭和と活躍した実業家であり、近代日本資本主義の指導者である、ということはご存じの方も多いと思う。
渋沢栄一一人で、近代日本資本主義をカタチづくったわけではないにせよ、原動力となった人物である、ということには変わりないだろう。

その渋沢と「近代日本の礎をつくった」と言われるのが、後藤新平である、ということは歴史小説等がお好きな方ならご存じだろう。
その後藤新平の功績として挙げられるのが、東京市長(現在の東京都知事)として、都市計画を策定している。
東京市長退任後に「関東大震災」が起きるのだが、「復旧ではなく復興を目指す」等、今の災害復興の基礎となる考えを打ち出している。

何より、目を見張るのは和楽Webで紹介されている、短期間で20万人以上の検疫を行っていた、という点だ。
今では、「感染症の感染拡大を防ぐ」ために行われている方法が、今現在でも有効である、という点だと思う。
「新型コロナ」の感染拡大が懸念されるようになって、当時の菅総理は「気合と根性」そして「自助」という言葉で、政府が積極的に感染に関わるということが無かったように感じている。
もちろん、ワクチンの数量を確保に関しては、政府による各製薬企業との交渉があったからだとは思うのだが、それ以外の感染拡大防止策となると、どうなのだろう?

それだけではなく、第1波の時に「新型コロナ」の封じ込めに成功した台湾は、かつて後藤新平が赴任した土地でもある。
その台湾での封じ込めの基本となっていたのは、後藤新平が打ち出した「短期間で感染者の隔離」だったのでは?という気がしている。
もちろん、台湾のIT担当大臣のオードリー・タンさんの様に、IT技術を積極的に使うと同時に情報公開も並行して行うことで、台湾の人たちは大きなパニックになることもなく、終わっている。

そのように考えると、「未来の為に過去から学ぶ」ということも、必要なのでは?という、気がしてくるのだ。
何よりも、成功事例が日本にはあったのだ。
「気合と根性、自助でがんばれ」ではなく、科学的でありながら柔軟な発想をする後藤新平のような人材が必要だったのではないだろうか?

何より、後藤新平自身は「国の医師になる」という志を持っていたようだ。
今の日本で、「(バブル崩壊後30年経過しても)経済が好転する気配も感じられず、実質賃金が下がり続け、日本全体が貧しくなっている」ことをどれだけ冷静に受け止め、言葉と行動ができる政治家が、どれだけいるのだろう?


「脱炭素社会」こそ、その国に適したものを

2021-10-07 21:42:40 | ビジネス

3年ほど前から「SDGs」という言葉が、一般的に使われるようになってきた。
「SDGs」そのものは、「脱炭素エネルギー」だけではなく、ジェンダーギャップや子供の権利等、様々な分野をカバーする考え方なのだが、注目項目となると「循環型エネルギー」「脱炭素エネルギー」が取り上げられることが多いような気がしている。

その理由の一つは「生活インフラに関わる」ということと「ビジネスチャンス」という2つの点があるからなのでは?と、いう気がしている。
特に「ビジネスチャンス」という視点で考えるとき、「循環型エネルギー」ということになり、「太陽光発電」や「風力発電」と言った「自然エネルギー」をビジネスチャンスととらえている傾向が強いように感じられる。
結果として一昨年だったか?山の木を伐採して設置した「太陽光発電パネル」が、大雨により土砂崩れを起こし、しばらくそのまま放置されていた、ということもあった。
確かに「エネルギー事業」そのものは、「上下水道」と並んで「生活インフラ」の中でも、重要度が高いものだろう。
だからこそ、「ビジネスチャンス」と思えば、企業規模関係なく参入しようとする企業があるのだ。

ただそのような状況を見て感じるのは、欧米で主流となっている「循環型エネルギー」をそのまま日本で展開することは、どうなのだろう?ということなのだ。
上述した通り、「太陽光発電」に関しては、一時期的ブームの様な「設置ラッシュ」があった。
結果として「太陽光発電パネル」を設置するのには、適していないような場所にまで設置する事業者が、出てきた。
その結果が、大雨による土砂崩れの要因となった、とも考えられるのだ。

そのようなコトを考えてみると、「地域や国にあった『脱炭素エネルギー政策』」が、必要なのでは?と考えるのだ。
今話題となっている海上風力発電等は、台風が来る日本向きなのだろうか?
全国各地にある温泉の熱を利用した「地熱発電」や都会であれば「下水道処理」の副産物として発生するメタンガスを利用した発電や、「アンモニア」を処理する過程で水素と窒素を分離することで、水素エネルギーを取り出すことができるのでは?と言った、その国や地域に合わせた「循環型エネルギー」ということを考えることの方が、良いのでは?ということなのだ。
日経XTECH:水素社会は実は”アンモニア社会”、用途の広さで浸透

「循環型エネルギーシステム」を新たに建設するのではなく、今ある「産廃」となりそうなものから、エネルギ―を取り出すことの方が、SDGsと言う考えを満たすように思うのだ。



「同調性」と「寛容性」

2021-10-06 21:43:33 | アラカルト

今週は、ノーベル賞各賞の受賞者が発表される、一週間だ。
日本でも「今年は、日本人受賞者はいるのか?」と、メディアが書き立てる一週間でもある。
そして昨夜、ノーベル物理学賞に米・プリンストン大の真鍋淑郎氏が、受賞した。
これで、日本人受賞者が出て、なんとなく一安心、という雰囲気が今朝の新聞紙面から感じたのだが、真鍋氏の国籍は日本ではなく米国になっている、という。

確かに、日本で生まれ・育ち大学院まで日本で過ごされた方だが、米国に渡って既に60年以上経っている。
国籍も日本ではなく、米国である、ということを考えると手放しで「日本人受賞」と、言えるのか?という、気がしてくる。

その真鍋氏が、受賞後のコメントに注目が集まっている。
「何故、日本に戻らなかったのか?」という質問に対しての、回答だ。
Jcast ニュース:真鍋淑郎氏が「日本に戻りたくない」理由 受賞後の言葉に「切実」「どう受け止めればよいのか」

真鍋氏が海外へ渡った頃、「頭脳流出」と言われ日本の大学等では、「世界的に活躍できる研究者を育てられるのか?」ということが考えられ始めたのでは?という、気がしている。
その頃の努力が実り、2000年代にはいると自然科学等の分野で日本人がノーベル賞を受賞することが、多くなったのでは?と、考えている。
しかしここ数年言われるようになったのは、「若い研究者が育っていない」ということだった。

一つは、研究室にとどまっても「ポスドグ」と呼ばれる、任期付きの研究者に離れても、生活そのものが不安定で任期が終わればどうなってしまうのか?という状況にある、ということが言われている。
だからと言って、企業に就職しようとしても、研究したい分野の研究が続けられるのか?という、不安や問題もある。
そもそも日本の企業は、大学院卒を積極的に採用する、傾向が低いと言われている。

それだけではなく国立大学の法人化によって、研究費を大学が捻出しなくてはいけない、という状況になっている。
そのため企業から寄付を得やすい研究に重点が置かれるようになり、基礎研究や企業がその時に求めないような研究にはお金がかけられない、という状況になっている(と言われている)。
この「企業から寄付を得やすい研究」というのが、真鍋氏の言う「ポピュラーな研究」ということになるだろう。

今回真鍋氏の受賞理由となった「温暖化予測」等は、今はとても重要な研究とされているが、真鍋氏が研究し始めた頃は、おそらく「何故、そんな研究をするのか?」と言われるような時代だったはずだ。
時には「そんな研究ではなく、皆が取り組んでいる研究に加わるように」ということを言われたコトが、あったかもしれない。
この「皆が」という、何気ない言葉のニュアンスの中に「同調性」のようなものが求められると、研究者の個性として潰されることがあるのだろう。
ここ10年位の間で、日本人ノーベル受賞者の研究を見てみると、「研究していた頃は、少し外れた基礎研究」だったような印象も受ける。
そこに「同調性」を求めるのではなく、「寛容に見守る」ような研究の雰囲気があったのではないだろうか?

それが、徐々に研究テーマそのものが「ポピュラーな研究」という「同調性」が求められるようになると、自由な発想は生まれてこなくなる。
予定調和のような研究をしても、ノーベル賞へは届かないし、社会を変革するような研究にもならないはずだ。
ノーベル賞云々ではなく、社会を変えるような研究者を育てるためには、チョッと変わった研究に対しても寛容であることなのではないだろうか?

いつの頃からか?「平等」という名の元「みんな一緒でなくてならない」という、心理的な縛りが社会を覆うようになってきたように感じている。
「みんなと違っても、興味のあること」に寛容な社会や企業風土が、これから大切になっていくように思うのだ。






新閣僚の心中はいかに?

2021-10-04 19:30:54 | 徒然

今日、予定通り自民党の岸田総裁が、首相として就任することが決まった。
毎日新聞:岸田文雄氏、第100代首相に選出 (動画あり)

首相が決まれば次に決まるのは、新閣僚ということになる。
その「新閣僚」だが、既に昨夜の内に一部新聞等では報道済み、という状況になっていた。
岸田さんが首相になるのは、ほぼ確実だったとはいえ、新閣僚名簿のようなものが前日に大々的に報道される、ということは珍しいような気がする。
日刊スポーツ:岸田氏「全員野球内閣」/起用が固まった岸田新内閣の閣僚

しかし、この新閣僚の皆さんは今月末の衆議院選挙の結果によっては、その任を外されるかもしれないのだ。
というのも、ご存じんの通り今月19日に公示、31日投開票という岸田さんの意向があるからだ。
日経新聞:衆院選19日公示ー31日投開票 岸田氏意向、解散は14日

麻生さんの様に、経験があり現在要職に就いている議員なら、「安泰」という気持ちにもなるだろうが、今回の新閣僚は13人の新人閣僚がいる。
「フレッシュさ」をアピール、ということかもしれないのだが、10日後には解散、約2週間後に公示、今月末に投開票、というスケジュールでは「閣僚になった」という、肩書はつくかもしれないが、閣僚としての仕事をするような時間はほぼ無い、と言っても良いと思う。

そう考えると、岸田さんが今回選んだ新閣僚さんたちは、どんな気持ちなのだろう?
閣僚としての仕事をするモチベーションは、あるのだろうか?


「品格」という「本質」

2021-10-02 20:35:12 | ライフスタイル

昨日、正式に秋篠宮家の眞子内親王の結婚の日取りが決まった。
婚約内定から4年近く経っての、結婚ということになるのだが、この4年間眞子内親王だけではなく、秋篠宮家に対しても世論はとても厳しいものがあった。
もちろん、一番厳しかったのは婚約内定者である小室さんとその母親であったコトには、変わりない。

別段驚くことでもないのかもしれないのだが、この4年間に違い時間、小室さんとその母親は、問題解決を一切してこなかったことが、益々厳しい世論をつくっていった、ということになる。
そのコトを理解しているのか、いないのか?全く分からないまま、正式な結婚の予定が発表されたのだ。
当然、世論は今まで以上に厳しいことを言いはじめる結果となっている。
当事者と世論とこれほど行違う考えが起きる、ということ自体とても珍しいコトだと思う。
そこにメディアの「ロイヤル忖度」ともいえるような、結婚への祝福と批判的世論を抑え込もうとする「圧」が加わっている、というのが今の状況かもしれない。

そのような状況を見越したようなエッセイが、和楽Webにあった。
和楽Web:激動の時代を生きた徳川慶喜の孫娘たち。品格を持ち続けた「お姫様」の人生をたどる

徳川慶喜の孫娘の内の一人は、故高松宮宣仁親王妃喜久子殿下だ。
やはり、やんごとなき方々はやんごとなき社交の世界で出会うのだな~、という気がするのだが、喜久子殿下のお言葉には、今でも通じるような「(女性の)生き方」を示す言葉が幾つもある。
エッセイの中にもあるが「何でも自分のことは、自分でせよ」という言葉は、今でも十分女性が自立するためには必要最低限なコトだと思う。
しかしそれは「何でも自由に自分のことは、自分で」という意味ではない。
「ひとりの人間として、自分は何をすべきなのか?」ということなのだ。

それを表す言葉が、喜久子殿下の妹・喜佐子さんの
「人にかしずかれ労せずして暮らしていける身分にある者には当然の義務というものがあって、自由は望んではならない、常に人への配慮を忘れてはならない、自分を律することに厳しくなければならない、と思っている。」
と述べられている。
そして末妹・久美子さんの
「(お付きの者には)行儀や言葉の遣い方はもちろん、人としてあるべき姿や品格も厳しく躾けられました。「やりたくない」「嫌い」「美味しくない」といった人に不快な思いを抱かせるような言葉も決して口にしてはいけませんでした。」
という一文だ。

この徳川慶喜の孫娘である3人の「お姫様」の言葉には、「人としての品格」とは何か?ということを、指し示しているように感じるのだ。
そしてその「品格」とは、その人自身の「本質」なのではないだろうか?

社会的に「セレブ」と呼ばれるような社会的地位にあっても、その人自身の本質である「品格」や「品性」と言ったものが、全く感じられない時、メディアがいくら持ち上げても、人はその社会的地位の高さでその人を見ることは無い。
逆に社会的地位に左右されず、「人としての本質的品格」を持っている人の姿には、ある種の敬意を持つのではないだろうか?

今回の内親王の婚約内定から結婚スケジュールの発表までの過程を見ていて、これから先の日本人に必要なことは「人としての本質的品位を身につけることではないか?」というきがしている。



「フィクサー」になりたがる人が多すぎる、自民党

2021-10-01 19:49:10 | アラカルト

自民党総裁が終わり、岸田文雄氏が次の総裁と決まった。
そして昨日から、自民党執行部が次々と発表され、今日新執行部が発足した。
NHK News:自民 岸田総裁 党の新執行部発足

新執行部の顔ぶれをみて既に「3A」取り込み、というニュース記事が出ている。
産経新聞:岸田総裁、「3A」取り込み 衆院選へ党内基盤強化

この「3A」と呼ばれる人たちとは、「安倍元総理、麻生福総理兼財務大臣、甘利税調会長」のことを指しているらしい。
甘利氏が幹事長と聞いた時、「贈収賄か何かで大臣を辞めた人だよね?」ということが気になった。
Huffpost:甘利明・経済再生相が辞任を表明 現金授受の事実認める(2016年1月28日)

5年半以上前の事件のことなので、既に「禊が終わった」ということなのかもしれないのだが、大臣という権力を持つ人が一部企業から現金をもらっていた、という事実は変わりはなく、むしろ政治家としての資質の問題が問われるようなことだったはずだ。
日本の企業は「減点主義」と言われているように、一つのミスがその後の出世に大きく影響を及ぼす、と言われている。
既に「出世が詰んだ人」が甘利さんということになると思う。
にもかかわらず、党幹部に起用された、ということは岸田さんの「党内に複数いるフィクサーの顔色を窺った」という気がするのだ。

その「フィクサー」の一番手となるのは、やはり安倍元総理だろう。
安倍さんは、総裁選の時に高市さん支持を早い時点で表明をしていた。
高市さんの総裁選での公約は、正に安倍路線を引き継ぐような内容だった。
安倍さんからすれば、高市さんは「ジェンダーギャップ」を解消すべくアピールとして、恰好の人物だったはずだ。
何よりも、安倍路線をそのまま引き継ぎ、自分の思いの通りになる、と考えているのだと思う。
その高市さんを厚遇した人事ということを考えると、「岸田さんの顔をした安倍内閣」という印象を持たれても、当然かもしれない。
TBSNews:自民人事に野党側「岸田さんの顔をした安倍内閣」

そこには安倍内閣で重要ポストにいた麻生さんが加わり「3A」ということになるのだが、この3人の他にも自民党内には二階さんという人物もいる。
いずれも岸田総理という人物を使って、自分の政治力を強めたいという野望?を持っているのでは?と、感じる人達ばかりだ。
このような状況になると思い出す諺がある。
「船頭が多くして船山に登る」だ。
船頭=フィクサーになりたい人達が多すぎて、とんでもないところに行ってしまうのでは?ということなのだ。
とんでもないところに行くのも困るが、昨日エントリしたように、日本経済がこれ以上低迷し続けると、生活者の生活基盤が弱体化し、国力そのものが無くなってしまう。
フィクサー気取りで政治に口を挟むのだけは、辞めてもらいたいし、それを許すのであれば、自民党という政党は誰がやっても変わらない「昭和の政党」と思われるようになるだろう。

野党が政権奪回を目指すのであれば、フィクサー気取りの人たちの「疑惑や疑念の追求」と現実的な「whitコロナ時代」の経済ビジョンを示すことだと思う。