日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「政治と宗教、お金」に対する、見方が変わってきた

2022-07-15 22:12:53 | アラカルト

丁度先週の金曜日、安倍元総理が銃撃をされ亡くなられた。
銃撃された直後には、犯人が逮捕されたということもあり、この1週間で随分社会的な雰囲気が変わってきたように感じている。
もちろん、安倍元総理に対する追悼の念というものには、大きな変化があったわけではない。
それは日本人が「情緒性の高い」ということも、大きく影響しているかもしれない。

大きく見方が変わった、というのは「政治と宗教、そしてお金」という関係についてだ。
逮捕された直後から、犯人の男性は「政治的な思いではなく、自分の家族を崩壊させた宗教に対する恨み」ということを、話していた。
その宗教が、韓国を発祥としたキリスト教系の「カルト宗教」であった、ということに端を発し、その「カルト宗教」のイベントに安倍元総理が祝辞等のビデオメッセージ等を送っていたことから、犯人は「宗教と深い関係がある」と、認識をし犯行に至った、という経緯が明らかになったからだ。

「カルト宗教」の特徴として、高額な献金や霊感商法といわれるものがある。
特に犯人の母親がのめり込んでいる「カルト宗教」は、随分前から「霊感商法」と呼ばれる法的に問題のある方法で、お金を集め献金をさせていた。
当然のごとく「高額な献金をしなければ、救済は無い」と、信者を煽り不安を抱かせ、財産を奪い取るようなこともしている。
ただし、信者にとっては「お金を差し出すことで救済される」と、信じ込んでいるので、財産をすべて差し出すことに抵抗感がなく、それが原因で家族が崩壊しても「まだまだ自分の信仰心が、足りないからだ」と、納得されられている。
だからこそ、全財産を失ってもその「カルト宗教」にすがるしかないのだ。

ではそのようにして集められたお金は、どこに流れていったのか?
このような「カルト宗教」にありがちなのは、その宗教の教祖や教祖に近い人の贅沢な生活を支えているだけではなく、政治家に対する献金へと使われている。
だからこそ、このような「カルト宗教」のイベントに、名のある政治家たちがこぞって祝辞のビデオメッセージを送ったりしているのだ。
このような「政治・宗教・お金」という構図が、見え始めた1週間でもあった。

まして、日本では宗教法人に対しての課税は、対象外とされており、高額な献金や霊感商法で集められたお金は、全て宗教団体のものとなっている。
何となくだが、犯人はそのようなお金の流れも、感じていたのではないだろうか?
だからこそ、母親が全財産をささげた「カルト宗教」だけではなく、安倍元総理にもある種の恨みのようなものを、抱いたのではないだろうか?

とすれば、問題の解決としては
①政治家は、全ての宗教との関係を明らかにし、イベント等への祝辞や参加はもちろん、宗教団体や関連企業・団体からの献金等を受けない
②すべての宗教団体及び関連団体に対する、会計報告の義務付けと政治献金の禁止
③(檀家が少なく、収入の少ないお寺等があるのも事実である、という点を踏まえ)累進課税の導入
等を国会で検討すべきなのでは?
もちろん、このような案は公明党から大反対が起きるのでは?と、想像するのだが、「政教分離」という視点で考えれば、このような法的改正等を含め政治家自身が行わなくては、国民の政治不信が今以上に強くなっていくだろう。
果たして、先日当選をした参議院の議員さんたちを含め、このような議論をすることができるのだろうか?


「コロナ禍」と人の気持ち

2022-07-14 20:15:38 | アラカルト

朝日新聞のWebサイトに、「新型コロナ」に対する心理変化についての記事が掲載されていた。
朝日新聞: 「しょせん人間は…」コロナ禍の心理、阪大教授が調査し続けるわけ

掲載記事は有料会員向けなので、全文を読むことはできないが、J-Stageのサイトにこの記事の基となったデータが、公開されている。
J-Stage:コロナ禍における日本人の社会心理 (注意:PDFファイル)

PDFファイルなので、PCなどで読むには大変なところがあるのだが、この論文とは別に大阪大学のResouというコンテンツがあり、なかなか興味深い内容だった。
大阪大学 Resou:コロナ禍で”変容する私たち”心を動かす「状況の力」を紐解く心理学

J-Stageのデータも大阪大学のResouの記事も、今年のものではないので、心理的社会変化はあったとは思うのだが、それでも「日本人らしいな~」と感じる部分が多々ある。
例えば、Resouの中にある「自業自得と考える日本人」という部分。
「新型コロナ」の感染が流行し始めた頃から、「感染した人」に対して何等かの理由を見つけては「〇〇だから、自業自得」と、突き放すような社会的雰囲気があった。
それは自分にとって身近な人物だけではなく、テレビ等で活躍をするタレントさんたちにも向けられてきた。
例外的に言えば、コメディアンの志村けんさんのような方に対しては、「コロナ禍で経営が厳しくなった飲食店に、連日のように出かけていたからな~」というような、一種の同情のような社会的雰囲気もあった。
その基準となるのは、対象となっている人が社会的影響力があり、多くの人に親しまれてきたかの違いのような気がしている。
言い換えれば「自分に対して親近感がある、近しい関係」であれば、「自業自得」という言葉は使わないが、その関係が薄いあるいは無い相手の場合「自業自得」と思いやすいだけではなく、言葉として言ってしまうという傾向があるのだと思う。

「自業自得」というだけであればまだしも(これだけでも、随分問題だと思うのだが)、感染者に対して差別的な言葉や態度を示す、ということもあったはずだ。
「自分の周囲からの排除=感染への恐怖」だったとしても、極端な行動に出る人達も数多くいた。
それが「マスク警察」等と呼ばれた人たちだ。
「感染症は、どれだけリスク管理をしていたとしても、感染するときにはする」という考えが、日本の社会には浸透していないということなのだと思う。

理由として考えられるのは、国民性ということもあると思うのだが、それ以外にあるとすれば「政府から示されるデータ」と「メディアの不安を煽るような報道」だったのでは?という気がしている。
政府から示されるデータというのは「感染者(あるいは「陽性者」)数」しかない、という点が大きいような気がしている。
統計として重要視しなくてはならないのは、「数字を分析したデータ」だ。
例えば「感染者数に対して、重症者数、入院患者数、死亡者数」に加え、世代別の同じデータの公表が必要なはずなのだ。
そのような「判断基準」となるデータを示すことなく、この約2年半過ごしてきたことは、日本の社会や経済に大きなダメージを与えていると思う。
何故なら、「判断基準が示されない」ことで、国民の多くは「いつまでこんなコトが続くの」と、「コロナ禍疲れ」という状態になっているからだ。
ワクチン接種にしても「コロナに感染しない為」という理由だと思っている方が、身近に多いコトに驚くのだが、「ワクチンを接種する意味と目的」をもっと丁寧にすべきだったのでは?と感じるコトも多々ある。

結果として「陽性者となるコトが悪」のような社会的雰囲気が強くなり、何時まで経っても「新規陽性者」となった人たちが、肩身の狭い思いをし続けなくてはならないような一面があるのでは?
それが、逆に「ちょっと体調不良だけど、下手に病院に言って陽性者だとわかると、周囲に迷惑がかかるから風邪薬を飲んで、仕事をしておこう」という人を潜在的に生み出している、ということはないだろうか?

大阪大学大学院の三浦麻子教授のレポートを読みながら、そのようなコトを考えてしまうのだ。


世界を魅了する、日本の伝統技術

2022-07-13 11:20:31 | マーケティング

世間が騒がしい。
選挙後ということもあるのだが、やはり先日起きた安倍元総理銃撃死亡事件が、あとを引いている気がしている。
「政治と宗教」という問題は、今に始まったことではないし、日本だけの問題でもない。
これから先、政治家自らが「お金と票を提供してくれる宗教」とどのように付き合っていくのか?ということを、明らかにしていく必要があるだろう。

そんなザワザワした中で、VOUGEがとても興味深いファッションコレクションレポートを、記事にしている。
2022AWコレクションだ。
その中で特に目を引いたのが、「フェンディ」だ。
「フェンディ」というファッションブランドを知らない方は、ほとんどいらっしゃらないだろう。
日本でも人気の、世界的イタリアのファッション・ブランドだからだ。
VOUGE Japan:フェンディは京都の着物生地をドレスに採用。現代のラグジュアリーを再考して。【2022AWクチュール速報】

VOUGEでは「京都の着物の記事」となっているが、おそらく柄の感じから「京友禅」を中心とした着物の生地だろう。
この記事を読んで思い出したコトがある。
日本が江戸から明治という元号に代わり、上流社会では一斉に洋装が励行されるようになった頃だ。
いわゆる「鹿鳴館時代」と呼ばれる、華やかな社交が行われた頃、日本では洋服を仕立てる為の幅広の生地が生産できなかった。
そのようなこともあり、社交界の華として活躍した良家の子女たちは、それまで着物用としてつくられてきた生地を使い、ドレスに仕立て直していたのだ。
Google Art & Culture:ファッションのジャポニズム

手の込んだ日本刺しゅうや友禅等の染めの技術等、それまで欧州の人たちが目にすることがほとんどなかった日本の服飾文化が、海外にも紹介され、その後、当時の日本の主要輸出産業となる「絹」の生産にまで、影響を及ぼすということになる(のでは?と考察している)。
今回のフェンディのコレクションは、カタチを変えた「新たな日本服飾文化」に対する敬意と憧れのように、感じられたのだ。

京友禅のような繊細な柄付け染め、生地の染、ところどころに見られる絞り…これほど1枚の布に様々な技術を必要とし、表現されている「生地」というのもは、世界にも稀に見るもののように感じる。
もちろん、それだけではなく着たときの柔らかな肌触り、指がスベるような感触…という織りの技術等も着物という「生地の凄さ」かもしれない。
上記で紹介をした「ファッションのジャポニズム」を見るとわかるのだが、単にきものの「生地」としての魅力だけではなく、ラグジュアリー感もまた欧州のファッションを魅了したのが「日本の着物」だったのだ。
その視点で考えれば、「着物」というジャポニズムは、元祖Cool Japanなのかもしれない。

一つ思いだしたのだが、フェンディの前のデザイナー、カール・ラガーフェルドはコレクションの発表の最後に登場するとき、いつも黒の扇子を持っていた。
「黒の扇子=カール・ラガーフェルド」であった。
その視点で考えれば、フェンディが着物という日本文化に魅了されるのは当然なのかもしれない。



「比例代表」という制度を、見直す時期かもしれない

2022-07-11 11:31:08 | 徒然

昨日行われた、参院選。
結果については、既にご存じの通りだ。
安倍元総理が銃撃され、亡くなったことで「弔い選挙」となれば、自民党の圧勝という予想をされた方は、多かったのではないだろうか?
「弔い選挙」となったか否かは、わからないが結果としては自民圧勝だった。

そして、当選された候補者の顔ぶれを見て「本当にこの人は、政治家としてやっていく気があるのだろうか?」と、選挙戦の時から感じていた人達が当選を果たしている。
当選できたのは「比例代表」という制度があるからだ。
いわゆる「政党の名簿上位」になれば、当選の確率は格段に上がる。
今回のように、自民党に票が集まれば、相当下位であっても当選する可能性がある。

その意味で「比例代表」という制度は、政党の都合の良い人が名簿の上位になりやすく、有権者が一票を託したいという相手とは限らない、ということになる。
その結果として、いわゆる「タレント議員」と呼ばれる国会議員が数多く誕生する、ということになってしまうのだ。

「比例代表」という制度そのものが悪い、と言い切ってしまうコトはできない。
政治への参加意識が高くても、様々なハンディがある為選挙区で活動ができないという人を名簿上位に持ってきているのであれば、一票を託す意味がある、と考えられるからだ。
もちろん、その政党に対して共感することができなければ、意味がない。
その一方で、組織票が強い政党にとっては、名簿順位を工夫すれば立候補者自身が政治意識が低くても、何となく当選するコトができる。
それは「頭数」を増やす為の策でもあり、立候補者自身の政治意識を問われるコトではない。
結果として、いわゆる「タレント議員」が数多く誕生する、ということになる。

「タレント議員」そのものは、国会での活動よりも選挙活動での人寄せに効果がある、ということを考えているのでは?という気がする議員も少なからずいる。
例えば、当選インタビューで「これから勉強をしていきたい」という趣旨の答えをするタレント議員は、「政治に対する目的意識が低い」のでは?という気がするのだ。
「何のために、何を目的として政治家になりたいのか?」ということが、立候補者として問題意識もなく立候補をした、ということに過ぎないからだ。
そのような立候補者が当選し、「これから勉強します」となると、その勉強代を税金で賄う、ということになる。
しかも、月に支払われる額は、様々な経費を含め100万円を優に超える。
国家財政が厳しく、赤字国債を発行し続けている中で、勉強代を支払うほどの余裕はないはずだ。
だからこそ、赤字財政と国会議員の歳費の関係を考える必要もあるはずだ。

そう考えると「票集め・頭数の為のタレント議員」という存在は、国民にとって有益なのだろうか?
それを可能とする「比例代表」という制度を見直しても良いのでは?という気がするのだ。


政治と宗教

2022-07-09 20:04:26 | 徒然

昨日のお昼に突然「安倍元総理撃たれる」という、ニュースが飛び込んできた。
最初は信じられなかったのだが、次々と速報が流れ、犯人逮捕の映像等から「あぁぁ、そうなんだ」と、理解することができた。


安倍元総理が撃たれたのが、左胸と首であったことから、おそらく殺害ということを狙っていたのでは?という気がする。
ただ、逮捕された犯人がま動機として話しているのが「安倍元総理」という政治家というよりも宗教団体の広告塔として、狙われ銃撃されたようだ。
逮捕後、犯人は「政治家としての安倍元総理に対する政治的信条ではなく、安倍元総理が関係しているある宗教団体によって家族が離散したことへの恨み」という趣旨の話をしているからだ。
読売新聞:母親が宗教団体の信者「多額の寄付で破産」「絶対に成敗」…安倍氏には「つながりがあると思った」

この犯人の言葉に対して、一番恐怖心を覚えたのは与党である公明党だったかもしれない。
いくら「政教分離」ということが言われていても、公明党の支持母体が創価学会という宗教団体である、ということは公然の秘密となっている。(「幸福の科学」という政党と同じ名前の宗教団体もあるが、政治的影響力という点では、創価学会には及ばないだろう)
一説には、創価学会の婦人部にそっぽを向かれると、選挙が戦えないとすら言われるほど、強力な支持母体だからだ。
この犯人の家族が破産にまで追い込まれた宗教団体が、どのような宗教なのかはわからないが、おそらく安倍元総理からすると「票田の一つ」位しか考えておらず、どれだけ熱心な信者であったのか?という点については、疑問を感じる部分がある。

様々な理由で宗教にのめり込み、破産や一家離散に陥ってしまう、というご家族がいるというのも事実だろう。
いわゆる「カルト宗教」と呼ばれる類が、そのような傾向が強いと感じている。
逆にそれほど、信者がのめり込むほどの宗教団体であれば、信者となっている人たちは、従順に「票田」となるコトに抵抗感はないはずだ。
何故なら、信じているモノが全てだからだ。

一方、かつての日本では、政治と宗教はとても近い関係にあった、ということも理解する必要があると思う。
現在、全国各地にある「国分寺」という地名。
日本史を勉強した方ならご存じだと思うのだが、この「国分寺」は聖徳太子の時代に国を安定させる目的で、政治的に仏教を広め、その中心となる寺院を全国各地に造ったことに由来する。
その後も宗教と権力をめぐる戦いは、日本でも起きている。
むしろ明治以降「政教分離」の考えが取り入れられた、と考えたほうが自然だ。

海外に目を転ずれば、イスラム諸国は当然「宗教の戒律=生活の規範」となっているのは、ご存じの通りだ。
そのため、同じイスラム教であっても、宗派が違うと考え方も違い、同じイスラム教の中でもイザコザが起きている。
キリスト教はどうなのか?と言えば、米国のように「政治と宗教の関連がない」ような印象のある国でも、選挙に大きく影響を与えるキリスト教の宗派がある。
それが「福音派」と呼ばれる人たちであり、「福音派から支持を得られないと、大統領選は厳しい」と言われるほどだ。
米国のように、基本的な宗教がキリスト教であれば、今回のような「一家離散にまで追い詰める宗教」にのめり込み、総理大臣経験者を射殺するようなことは、逆に起こりにくい。
日本の文化として、宗教との付き合い方が「一神教」ではなく「八百万の神様」である為に、様々な宗教が誕生しやすい、ともいえるかもしれない。
そして、新しい宗教ほど「様々な宗教の良いとこ取り」となり、時には信者を強く否定し、時には優しく肯定し宗教が受け入れる、ということを繰り返して行くようだ。
その結果として、その宗教にのめり込み、時には思考を停止させ、言われるがままになってしまう。
もしかしたら、犯人の母親も同じような状況であったのかもしれない。

そのようにして「つくられた政治」というのは、決して多くの国民にとって幸せなことではない。
「政治と宗教」は、日本では関係のないモノではなく、宗教を票田として考えている政治家と票田を提供することで、自分たちの主張を政治に盛り込みたい、という宗教と関係している、ということ自体「政教分離」の考えに反している。
そのようなことに注目して、明日を含めた今後の選挙を考えていく必要があると思う。




多様な自然エネルギーシステムの運用が、リスクを軽減する

2022-07-08 16:34:55 | アラカルト

今日のお昼に起きた、安倍元総理銃撃事件について、関心が高いのでは?と思うのだが、逮捕された犯人が何も語っていない状況でエントリするのは様々な問題があると思われるので、犯行の目的や理由等が判明してからのしたいと思う。
ただ、「暴力で政治を変える事はできない。変える事ができるのは投票だけであり、政党の重鎮だろうと選挙に落ちればただの人」ということだけは、言っておきたい。
そして、「政党の重鎮」と言われる人に忖度するような政治は、未来に向けた政治ではないし、このような事件を受け自民党に対して同情票を入れる必要もない、という点も心にとめておいてほしい。

さて、今日の朝日新聞のWebサイトに、「自然エネルギーの在り方」について考えさせられる動画ニュースがあった。
朝日新聞:風力発電の為に300年の森を破壊?「失われる価値が大きすぎる」

このニュース動画を見ながら、10年ほど前の「太陽光発電ブーム」を思い出した。
当時は、「太陽光発電による売電」によって儲かる、という話があり、全国各地で「太陽光発電パネル」がいたるところに設置された。
昨年起きた、熱海の盛り土の土砂崩れ現場の脇にも、太陽光パネルが数多く設置されていたはずだ。
他にも山を削って設置した「太陽光発電パネル」が大雨によって、土砂崩れと共に流れ落ちるという場所もあったように記憶している。

このように、日本では「〇〇で儲かる」とか「✕✕がブーム」とメディアいうと、「右へならえ」で全国いたるところに、同じようなものが設置される傾向がある。
自然エネルギーの場合、「太陽光発電」の次は、風力発電ということらしい。
しかし、本当に現在の大きなプロペラの風力発電は、日本向きなのだろうか?と、常々思っている。
設置場所も、洋上から山までいろいろなところでの建設が予定されている。
台風が年々大型化し、被害も増え続けているような日本で、果たしてあの大きなプロペラ型の風力発電は、向いているのだろうか?
そのような、当たり前の議論もないままブームのように、風力発電のブームが起きているような気がしてならないのだ。

そもそも「自然エネルギー」のシステムは、これまでのような送電システム向きではない、と考えている。
「自然エネルギー=地産地消型エネルギー」であるために、「太陽光発電」のように全国各地に「太陽光発電パネル」を設置する必要があるのだ。
これまでのような、火力発電や原子力発電のように「Not in My Backyard」という意識の基、自分たちの生活圏外に設置し大量発電ができる、というものではない。
「自然エネルギー」を受け入れる、ということはその意識も変えていく必要があるのだ。
とすると、おのずと見えてくるコトがあるはずだ。
電力を大量消費する場所で「自然エネルギーによる発電を行う」ということが、一番効率が良いということになり、大量消費する場所に住む人たちがそれらの施設建設を受け入れる必要がある、ということでもあるのだ。

とすれば、「太陽光発電だけ、風力発電だけ」では心もとなく、先月末から今月初め東京電力管内で、注意喚起されたような「電力の制限」が日常的に行われるという可能性が高くなる、ということでもある。
そのような事態を避ける為にも、「エネルギーの地産地消」についての理解を深め、「自然エネルギーの複合システム」を構築する必要がある、ということなのだ。

少なくとも、山の上にあの風力発電のプロペラを設置する、というのは自然を破壊するということはもちろんだが、単純に風景を大きく損ねる、ということを考える必要があると思っている。



「Cool Japan」の柱となる産業とは

2022-07-07 20:00:39 | ビジネス

父が「眼瞼内反症」の手術をする為の検査付き添いの為に、今週帰省をしていた。
遠距離介護、というほどではないのだが、やはり手術や何かの申請となると、付き添いとして帰省する必要が出てくる。
これが、「遠距離介護」のスタートなのかもしれない、と実感している。

さて、そのような生活をしていたのだが、「マツコの知らない世界」でアニソン(=アニメの主題歌)の特集があり偶然見る事ができた。
ご存じの方も多いと思うのだが、「マツコの知らない世界」というのは、いわゆるオタクといわれるようなある分野に対して特化した知識と経験を持っている方が、タレントのマツコデラックスさんに「自分の愛してやまない世界をプレゼンテーションする」という趣旨の番組だ。
今回は、「アニソン」が好きすぎてイタリアから日本に移住までしてしまった、というコスプレイヤーさんが登場した。

私たち日本人の多くは「アニソンね~」と、やや冷めた見方をしているような気がしている。
ところが、海外では日本のアニソンは巨大市場を有する、最強コンテンツ産業ということのようだ。
しかも、最近のアニソンだけではなく、1970年代のアニソンも人気だという。
随分前だが、アニソンを数多く歌われている方が、海外公演をしたら大人気で国賓扱いだった、というニュースを見たような記憶はあったのだが、現実としてそうらしい。
番組でもマツコさんが盛んに「日本における世界最強のコンテンツ」という趣旨のコトを、何度か話されているのだが、映像で見る限りとんでもないほどの市場を持ち、しかもほぼ独占市場である、という点について、国も本腰を入れて考える必要があるのでは?という気がしたのだ。

と同時に、以前拙ブログでも指摘をさせていただいている「クールジャパン機構」の損失融資309億円の使い道そのものが、間違っているのでは?という気持ちを改めて感じたのだ。
上述したように、日本の「アニメ」そのものは、独自の世界観を持っているコトで、世界でも唯一無二の存在となっている。
そしてカテゴリーそのものもSFものから変身もの、「セーラームーン」のように少女が主人公となり悪を倒す、というジェンダーギャップが153か国中121位の日本とは思えないような、アクティブな少女の姿が描かれ、フランス等を中心に人気が定着している、と言われている。
それを引き立て、物語をより印象付け世界観を表しているのが「アニソン」ということになるだろう。
それだけではなく、「アニメ」→「アニソン」→「ゲーム」へと、様々な展開をしている、というのが日本の「アニメ」産業の強みなのではないだろうか?

政府の「クールジャパン機構」は、「クールジャパン」の定義を十分理解していなかった、ということにもなる。
「クールジャパン機構」に限らず、どのようなビジネスでも「柱となる事業」をしっかりと育て、そこから関連事業をつくっていく、というのが基本なのだと思う。

それにしても「マツコの知らない世界」に出演されていた、イタリア人コスプレイヤーさんの分析力の凄さには、感服した。