御朱印蒐集の2枚目は長浜駅近くの豊國神社となりました。
この神社には十日戎で参拝したんだけど、その時は御朱印帳がまだ準備できていなかったので1週間遅れてやっと頂くことが出来ました。
社務所に人の姿がなかったので呼び鈴を鳴らして出てきていただきましたが、“御朱印を頂けますでしょうか?”と聞くと、すぐに書いていただけましたよ。
御朱印を書かれる様子を見るのは5カ所目で「書」のことはよく分からないのですが、書かれる方は書の鍛錬をかなり積まれておられるのだろうなと感じます。
境内は先週の十日戎の時に組んだ矢倉や縁起物販売所の解体工事などが入り雑然とはしていましたが、参拝は可能でした。
参道の写真は十日戎の時のものですが、神事が終わってまさに祭りが終わった後の静けさでありました。
さて、豊國神社は事代主(えべっさん)・豊臣秀吉公・加藤清正公・木村長門守公を御祭神として祀っていますが、江戸時代は秀吉信仰を隠して恵比寿神を祀っていたそうです。
よほどの秘密主義で信仰していたのか、幕府が庶民の信仰に鷹揚だったのかは分かりませんが“表は恵比寿、裏は秀吉”の神社のようです。
太閤秀吉が長浜城主だったの3年ほどだったにも関わらず、こういった秀吉信仰や曳山祭りなどが根付いていて、長浜と秀吉は結びつきが深いですね。
本殿横には出世稲荷神社があり、見事な天井絵が描かれています。
十日戎の時は人が多くて写真を撮るのが憚られましたが、この日はパチリ!格天井の絵は京都の絵師 徳力富吉郎という方が描かれた四季の花鳥図だそうです。
旅先や遊びに行った時に寺社に立ち寄ったり、素通りしてしまったりすることがありますが、そんな時の楽しみの一つになりそうです。
出かけるときはカメラと御朱印帳を忘れずに!ってとこですかね。
この神社には十日戎で参拝したんだけど、その時は御朱印帳がまだ準備できていなかったので1週間遅れてやっと頂くことが出来ました。
社務所に人の姿がなかったので呼び鈴を鳴らして出てきていただきましたが、“御朱印を頂けますでしょうか?”と聞くと、すぐに書いていただけましたよ。
御朱印を書かれる様子を見るのは5カ所目で「書」のことはよく分からないのですが、書かれる方は書の鍛錬をかなり積まれておられるのだろうなと感じます。
境内は先週の十日戎の時に組んだ矢倉や縁起物販売所の解体工事などが入り雑然とはしていましたが、参拝は可能でした。
参道の写真は十日戎の時のものですが、神事が終わってまさに祭りが終わった後の静けさでありました。
さて、豊國神社は事代主(えべっさん)・豊臣秀吉公・加藤清正公・木村長門守公を御祭神として祀っていますが、江戸時代は秀吉信仰を隠して恵比寿神を祀っていたそうです。
よほどの秘密主義で信仰していたのか、幕府が庶民の信仰に鷹揚だったのかは分かりませんが“表は恵比寿、裏は秀吉”の神社のようです。
太閤秀吉が長浜城主だったの3年ほどだったにも関わらず、こういった秀吉信仰や曳山祭りなどが根付いていて、長浜と秀吉は結びつきが深いですね。
本殿横には出世稲荷神社があり、見事な天井絵が描かれています。
十日戎の時は人が多くて写真を撮るのが憚られましたが、この日はパチリ!格天井の絵は京都の絵師 徳力富吉郎という方が描かれた四季の花鳥図だそうです。
旅先や遊びに行った時に寺社に立ち寄ったり、素通りしてしまったりすることがありますが、そんな時の楽しみの一つになりそうです。
出かけるときはカメラと御朱印帳を忘れずに!ってとこですかね。