“いつか行きたい”と思っていた比叡山延暦寺へ縁があってお参りすることができました。
延暦寺は滋賀県の大津市にありますから、行こうと思えばいつでも行ける寺院ですが、初めて訪れることが出来ましたので“やっと縁がつながった”ということでしょうか。
延暦寺は言わずと知れた天台宗の総本山で開祖は最澄。平安時代の初期(788年)に最澄が薬師如来を本尊とする草庵を建てたのが始まりといわれています。
最澄のことを「伝教大師・最澄」といいますが、この伝教大師というのは諡号で、「貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名」として最澄の死後に清和天皇から贈られたとされています。
比叡山というと歴史上有名なのは織田信長による焼き討ちがありますね。
この信長の焼き討ちについては、腐敗した僧兵や僧が持つ武力や権力を弾圧したとの説がありますが、これに関しては諸説あるようです。
比叡山ドライブウェイの工事の時の発掘調査では信長の焼き討ちの時のものといえる建物は「根本中堂と大講堂」だけで、全山が火の海というよく知られている話とは少し違っているようです。
根本中堂は比叡山の第一の仏堂として創建されたものの信長の焼き討ちにより焼失してしまい、現在は徳川家光により再建された(1642年)もので国宝になっています。
靴を脱いで回廊に沿って歩いて本堂へ行くと、堂内は多くの僧侶とお参りの方が読教の最中で物々しい雰囲気となっておりました。
後で知ったのですが、この日は「恵心僧都1000年御遠忌」として天台真盛宗法要が営まれていたため、多くの僧侶と信者の方が読教されていたようです。
恵心僧都は平安時代の天台宗の僧で往生要集(おうじょうようしゅう)を書かれた方で、浄土真宗では7高僧の一人で「源信大師」とされているそうです。
根本中堂は比叡山最大の仏堂で全景が見渡せる場所はありませんので、石段の上から見ていると...何か始まる。
先程、堂内でお経の導師をされていた方が付き添いの僧侶に支えられて出てこられました。
この高僧の方は「森川宏映探題大僧正」でしょうか。別の方かもしれませんね。
昨年の12月に先代の座主の死去に伴い、第二五七世天台座主に上任された座主の方がおられますが、257世ってとてつもなく長い歴史になりますね。
天台宗座主というのは延暦寺および天台宗で最も偉い方ということで、参拝に行った日の10日前に「伝灯相承(でんとうそうじょう)式」という最澄の教えを受け継ぐ儀式を終えられたそうです。
僧侶の長い行列が続き、中堂の参道を後にされていきます。
偶然にして堂内で1000年大法要という歴史的な法要を見ることができましたが、これも縁なんでしょうね
縁についてはもう一つあって、この根本中堂は今年度より10年間の工期をかけて大改修されます。
工事で建物が養生されてしまうと寺院の全景が見られなくなってしまうでしょうから、工事が始まる前に全景を見ることができたのも縁だったりするかもしれませんね。
延暦寺は滋賀県の大津市にありますから、行こうと思えばいつでも行ける寺院ですが、初めて訪れることが出来ましたので“やっと縁がつながった”ということでしょうか。
延暦寺は言わずと知れた天台宗の総本山で開祖は最澄。平安時代の初期(788年)に最澄が薬師如来を本尊とする草庵を建てたのが始まりといわれています。
最澄のことを「伝教大師・最澄」といいますが、この伝教大師というのは諡号で、「貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名」として最澄の死後に清和天皇から贈られたとされています。
比叡山というと歴史上有名なのは織田信長による焼き討ちがありますね。
この信長の焼き討ちについては、腐敗した僧兵や僧が持つ武力や権力を弾圧したとの説がありますが、これに関しては諸説あるようです。
比叡山ドライブウェイの工事の時の発掘調査では信長の焼き討ちの時のものといえる建物は「根本中堂と大講堂」だけで、全山が火の海というよく知られている話とは少し違っているようです。
根本中堂は比叡山の第一の仏堂として創建されたものの信長の焼き討ちにより焼失してしまい、現在は徳川家光により再建された(1642年)もので国宝になっています。
靴を脱いで回廊に沿って歩いて本堂へ行くと、堂内は多くの僧侶とお参りの方が読教の最中で物々しい雰囲気となっておりました。
後で知ったのですが、この日は「恵心僧都1000年御遠忌」として天台真盛宗法要が営まれていたため、多くの僧侶と信者の方が読教されていたようです。
恵心僧都は平安時代の天台宗の僧で往生要集(おうじょうようしゅう)を書かれた方で、浄土真宗では7高僧の一人で「源信大師」とされているそうです。
根本中堂は比叡山最大の仏堂で全景が見渡せる場所はありませんので、石段の上から見ていると...何か始まる。
先程、堂内でお経の導師をされていた方が付き添いの僧侶に支えられて出てこられました。
この高僧の方は「森川宏映探題大僧正」でしょうか。別の方かもしれませんね。
昨年の12月に先代の座主の死去に伴い、第二五七世天台座主に上任された座主の方がおられますが、257世ってとてつもなく長い歴史になりますね。
天台宗座主というのは延暦寺および天台宗で最も偉い方ということで、参拝に行った日の10日前に「伝灯相承(でんとうそうじょう)式」という最澄の教えを受け継ぐ儀式を終えられたそうです。
僧侶の長い行列が続き、中堂の参道を後にされていきます。
偶然にして堂内で1000年大法要という歴史的な法要を見ることができましたが、これも縁なんでしょうね
縁についてはもう一つあって、この根本中堂は今年度より10年間の工期をかけて大改修されます。
工事で建物が養生されてしまうと寺院の全景が見られなくなってしまうでしょうから、工事が始まる前に全景を見ることができたのも縁だったりするかもしれませんね。
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