勧請縄は村の境などに吊るして悪霊や疫病が入ってこないように、呪物などを付した縄を張る習慣で滋賀県では湖東・湖南地方に多く見られる民俗信仰です。
勧請縄に一定の決まりはなく、集落ごとに特徴のある勧請縄にトリクグラズと呼ばれる呪物が付けられることが多いのですが、集落によってトリクグラズは様々な形をしています。
勧請縄が吊るされる時期は年末であったり、年が明けてからであったりでバラバラではありますが、日野町の勧請縄はおそらく吊るされたであろうと予想して日野町を訪れました。
最初に「馬見岡綿向神社」へ参拝し、「熊野神社」に参拝した後、道筋に藁の奇妙な飾りを見つけましたので、さっそく立ち寄ってみました。
見妙な藁の飾りが祀られていたのは「山の神」で「金峯神社」という神社の境内にありました。
金峯神社は「蔵王権現」と称し、綿向山西明寺等一山の山伏が大和吉野より勧請したと伝えられているという。
この神社でも綿向山の修験道との関係の濃さを伺い知ることができ、この地における綿向山への信仰の深さが分かります。
綿向山は別称「大嶽」「朝日山」「綿面山」と呼ばれ、野洲川や日野川の水源地であるとともに山岳信仰の霊山とされてきたという。
前回の「馬見岡綿向神社」や「熊野神社」も同じでしたが、綿向山と吉野山(奈良)や熊野(和歌山)の修験道の影響が強く感じられ、綿向山の霊山としての信仰される姿が感じられます。
山の神には藁の輪のようなものが吊るされていますが、どのような由来を持つものか分からず、結界や神域を示すものなのか?お祀りするための何かか?
本殿は石段の上の高い場所にあり、戦国時代に兵火で炎上した際の記述から相当大きな社屋を持っていたと考えられています。
また、明治29年には山崩れにより埋没したとされますが、直ちに復旧現在に到るとされています。
本殿への石段の前には人工的と思われる滝が池につながっており、かつては滝行が行われた清めの場だったのでしょうか。
確かに人ひとりが座するには収まりのいい感じの場所ですが、池の部分にネットが張られていることからすると、鯉でも飼っているのかもしれません。
金峯神社と山の神に参拝した後は「西明寺」という集落の勧請縄を探しに行きます。
西明寺とはいっても湖東三山の西明寺ではなく、綿向山の山麓にある県境最後の山村のような集落で、山麓には綿向山の登山口があります。
西明寺には集落の西と東の境に勧請縄が吊るされるそうですが、発見できたのは谷へとつながる東の勧請縄だけでした。
勧請縄は「道切り」とも呼ばれ、この奥に墓地があるとのことから谷への道を切る意味も含まれていると考えられます。
勧請縄は主縄に小縄を12本吊るし、主縄の上にシキミの木を割った小幣を立てている。
トリクグラズは主縄の上にシキミの枝で小さな輪を作ったものを付けており、このトリクグラズは月を表すといいます。
勧請縄の下には仏の名が書かれた七角形の木が置かれており、毎年新たに作られるが処分はされないようで、かなり朽ちた木もある。
木には十三仏の名が書かれているといい、十三仏とは亡くなった後の初七日から三十三回忌まで導いて下さる仏様ですので、西明寺の勧請縄は仏教色の濃い信仰となっているように思います。
谷への道から戻ると道の脇には湧き水が流れ出ている場所がありました。
車で乗り付けて沢山のペットボトルに水を入れている方がおられましたので、知る人ぞ知る名水なのかと思います。
国道まで戻って北脇という集落を目指すと「諸木神社」の勧請縄が見えてきます。
諸木神社の勧請縄はまだ今年は架け替えておられず、昨年見た勧請縄がそのまま吊るされていました。
主縄は太く、頭は大きく枯れ木に吊るされていることもあって見応えのある勧請縄で、小幣や小縄はありません。
トリクグラズは割竹で丸に十を作り、シキミの枝を掲げますが、ほぼ1年間吊るされたシキミからは葉は落ちて枝だけになっています。
「諸木五社大明神」の扁額のある拝殿には正月らしい注連縄が掛けられており、松の内が明けたら取り外す正月の注連縄と1年間吊るされる勧請縄とは元々違う信仰のものといえます。
藁で編んだ縄と言う意味で勧請縄と注連縄は似ていますが、正月に架けて明ければ取り外す注連縄と正月が終わってから吊るす勧請縄では思想が違うということです。
諸木神社の御祭神は句句廼馳命 金山彦命 罔象女命 迦具土命 埴安彦命の5柱。
後に合祀されて5柱になったのではなく、古くから祭神五座を祀る神社だったようで、仁徳天皇12年草創の古社との記録もあるようです。
日野町の勧請縄の最後は、北脇の道切りと野神さんです。
ここには畦道に道切りが吊るされ、その下にはこんもりとした土盛りの上に竹矢来。
右手の森側には同じく土盛りと竹矢来があり、プリミティブな印象を受ける神標が注連縄で結び付けられています。
一見、山の神のようにも見える土盛りの前には明らかに祭場と思われる場所がある。
道切り(勧請縄)にはトリクグラズも小幣も小縄もないが、村の境界にある道を切るという意味でも勧請縄と言えると思います。
勧請縄を吊るしている木とポールの下には土盛りの上に竹矢来があり、その前には山の神が祀られているかのような男と女を模した股木が祀られている。
勧請縄は頭と尾があり頭の房は大きい。
すぐ近くにある諸木神社の勧請縄とはトリクグラズがあるかないかの違いはあるが、形状は良く似ています。
勧請縄を吊るす木の下には昨年吊るされていたと思われる縄が取り外されて置かれています。
土に炭のようなものが見られますので、ある時期にお焚き上げされるのではないでしょうか。
野神さんの祭場には独特の形をしたヒトガタのようなものが巻き付けてあり、男女の結合のような印象を受けます。
山の神を思わせる股木も祀られていることから、子孫繁栄の願いが伝承されているとも考えられます。
北脇の野神さんでは、御神木の前で子供の奉納相撲が行われるといい、道切り(勧請縄)や野神さん・山の神・注連縄とヒトガタなどいろいろな要素を含んでいます。
言い方を変えると、古くからの信仰の形には複数の要素があり、ここではそれが原型に近い形で残っていると言えるのではないでしょうか。
勧請縄に一定の決まりはなく、集落ごとに特徴のある勧請縄にトリクグラズと呼ばれる呪物が付けられることが多いのですが、集落によってトリクグラズは様々な形をしています。
勧請縄が吊るされる時期は年末であったり、年が明けてからであったりでバラバラではありますが、日野町の勧請縄はおそらく吊るされたであろうと予想して日野町を訪れました。
最初に「馬見岡綿向神社」へ参拝し、「熊野神社」に参拝した後、道筋に藁の奇妙な飾りを見つけましたので、さっそく立ち寄ってみました。
見妙な藁の飾りが祀られていたのは「山の神」で「金峯神社」という神社の境内にありました。
金峯神社は「蔵王権現」と称し、綿向山西明寺等一山の山伏が大和吉野より勧請したと伝えられているという。
この神社でも綿向山の修験道との関係の濃さを伺い知ることができ、この地における綿向山への信仰の深さが分かります。
綿向山は別称「大嶽」「朝日山」「綿面山」と呼ばれ、野洲川や日野川の水源地であるとともに山岳信仰の霊山とされてきたという。
前回の「馬見岡綿向神社」や「熊野神社」も同じでしたが、綿向山と吉野山(奈良)や熊野(和歌山)の修験道の影響が強く感じられ、綿向山の霊山としての信仰される姿が感じられます。
山の神には藁の輪のようなものが吊るされていますが、どのような由来を持つものか分からず、結界や神域を示すものなのか?お祀りするための何かか?
本殿は石段の上の高い場所にあり、戦国時代に兵火で炎上した際の記述から相当大きな社屋を持っていたと考えられています。
また、明治29年には山崩れにより埋没したとされますが、直ちに復旧現在に到るとされています。
本殿への石段の前には人工的と思われる滝が池につながっており、かつては滝行が行われた清めの場だったのでしょうか。
確かに人ひとりが座するには収まりのいい感じの場所ですが、池の部分にネットが張られていることからすると、鯉でも飼っているのかもしれません。
金峯神社と山の神に参拝した後は「西明寺」という集落の勧請縄を探しに行きます。
西明寺とはいっても湖東三山の西明寺ではなく、綿向山の山麓にある県境最後の山村のような集落で、山麓には綿向山の登山口があります。
西明寺には集落の西と東の境に勧請縄が吊るされるそうですが、発見できたのは谷へとつながる東の勧請縄だけでした。
勧請縄は「道切り」とも呼ばれ、この奥に墓地があるとのことから谷への道を切る意味も含まれていると考えられます。
勧請縄は主縄に小縄を12本吊るし、主縄の上にシキミの木を割った小幣を立てている。
トリクグラズは主縄の上にシキミの枝で小さな輪を作ったものを付けており、このトリクグラズは月を表すといいます。
勧請縄の下には仏の名が書かれた七角形の木が置かれており、毎年新たに作られるが処分はされないようで、かなり朽ちた木もある。
木には十三仏の名が書かれているといい、十三仏とは亡くなった後の初七日から三十三回忌まで導いて下さる仏様ですので、西明寺の勧請縄は仏教色の濃い信仰となっているように思います。
谷への道から戻ると道の脇には湧き水が流れ出ている場所がありました。
車で乗り付けて沢山のペットボトルに水を入れている方がおられましたので、知る人ぞ知る名水なのかと思います。
国道まで戻って北脇という集落を目指すと「諸木神社」の勧請縄が見えてきます。
諸木神社の勧請縄はまだ今年は架け替えておられず、昨年見た勧請縄がそのまま吊るされていました。
主縄は太く、頭は大きく枯れ木に吊るされていることもあって見応えのある勧請縄で、小幣や小縄はありません。
トリクグラズは割竹で丸に十を作り、シキミの枝を掲げますが、ほぼ1年間吊るされたシキミからは葉は落ちて枝だけになっています。
「諸木五社大明神」の扁額のある拝殿には正月らしい注連縄が掛けられており、松の内が明けたら取り外す正月の注連縄と1年間吊るされる勧請縄とは元々違う信仰のものといえます。
藁で編んだ縄と言う意味で勧請縄と注連縄は似ていますが、正月に架けて明ければ取り外す注連縄と正月が終わってから吊るす勧請縄では思想が違うということです。
諸木神社の御祭神は句句廼馳命 金山彦命 罔象女命 迦具土命 埴安彦命の5柱。
後に合祀されて5柱になったのではなく、古くから祭神五座を祀る神社だったようで、仁徳天皇12年草創の古社との記録もあるようです。
日野町の勧請縄の最後は、北脇の道切りと野神さんです。
ここには畦道に道切りが吊るされ、その下にはこんもりとした土盛りの上に竹矢来。
右手の森側には同じく土盛りと竹矢来があり、プリミティブな印象を受ける神標が注連縄で結び付けられています。
一見、山の神のようにも見える土盛りの前には明らかに祭場と思われる場所がある。
道切り(勧請縄)にはトリクグラズも小幣も小縄もないが、村の境界にある道を切るという意味でも勧請縄と言えると思います。
勧請縄を吊るしている木とポールの下には土盛りの上に竹矢来があり、その前には山の神が祀られているかのような男と女を模した股木が祀られている。
勧請縄は頭と尾があり頭の房は大きい。
すぐ近くにある諸木神社の勧請縄とはトリクグラズがあるかないかの違いはあるが、形状は良く似ています。
勧請縄を吊るす木の下には昨年吊るされていたと思われる縄が取り外されて置かれています。
土に炭のようなものが見られますので、ある時期にお焚き上げされるのではないでしょうか。
野神さんの祭場には独特の形をしたヒトガタのようなものが巻き付けてあり、男女の結合のような印象を受けます。
山の神を思わせる股木も祀られていることから、子孫繁栄の願いが伝承されているとも考えられます。
北脇の野神さんでは、御神木の前で子供の奉納相撲が行われるといい、道切り(勧請縄)や野神さん・山の神・注連縄とヒトガタなどいろいろな要素を含んでいます。
言い方を変えると、古くからの信仰の形には複数の要素があり、ここではそれが原型に近い形で残っていると言えるのではないでしょうか。
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