小学校2年か3年であろうか、学校への道の途中で宿題を持ってくるのを忘れた事に気がついた。家へ戻ると完全に遅刻してしまう。
まだ学校をサボることなど考えもしなかった頃なので、「ああ!」と、パニックになった。ただ呆然として、「ああ、もう駄目だ。すべてが終わった。どうしようもない。きっとこれは夢だ。夢にちがいない」と思った。
この世の終わりだと思ったこれが多分最初の経験である。
中学生になり身体はきゃしゃだが、腕が太く腕力がついてきて、鉄棒での懸垂が50回程できるようになると、鉄棒にこるようになった。逆上がりはもちろん、蹴上がり、腰を鉄棒につけての連続前回転、後回転など一応何でもできるようになった。
よしとばかり、大回転に挑戦し、練習を重ねた。跳びあがって鉄棒にぶら下がり、蹴上がりの要領で前後に大きく身体を振らせる。ブランコのようにどんどん振れを大きくしてゆく。足が水平よりさらに上に上がり、前に大きく振れた瞬間、手が鉄棒から離れた。身体は水平のまま前方に大きく跳んでそのまま地面に背中から叩きつけられた。
息がとまり、呼吸ができない。「ああこのまま死ぬのだ。今見えているこの世は終わるのだ」と思った。しかし、このときはなぜか冷静で、死ぬまえには、過去に出会った人の顔が走馬灯のように目の前を過ぎていくと聞いたが、ちっとも浮かんでこないなと考えていた。
そのうちに少しづつ息ができるようになり、「生き返った」と思った。実際に少しずれて首から地面に叩きつけられれば、死んでいただろう。
この後も、何度かこの世の終わりと思うパニックになることがあった。自分が死んだあとは、自分にとってはこの世はないも同然だ。したがって、若い頃は、私が死ぬときが、すなわちこの世の最後だと思っていた。
しかし、妻や子供ができたあとでは、危険な場面や消してしまいたい恥ずかしい場面に遭遇したとき、これは夢であって欲しいとは思っても、この世の終わりとは思わなくなった。そして、年取るとそんな場面にも遭遇しなくなった。実際の死に直面するときにはどのように感じるのだろうか。