子供の頃、風呂屋へ行くのが嫌いだった。何がいやだったのか、今ではもう思い出せない。自宅に風呂がなかったので、15分くらい歩いて風呂屋へ行くのだが、母親に手を引っ張られても、柱にしがみついて抵抗したらしい。
最近、風呂屋へはついぞ行かないので分からないが、昭和30年代の風呂屋と現在でも大きくは違わないのではないだろうか。
入口ののれんをくぐると、左右に男性用入口と女性用入口がある。その手前で下駄を脱いで、ずらりと並んだ下駄箱に入れ番号板を抜く。最近居酒屋などで時々見かけて懐かしくなる。私はいつも、川上哲治の16番に入れていた。
引き戸をあけて入り、番台にお金を払う。板の間に並んでいる籠に着物を入れ、その籠を戸棚に入れて小さなアルミ板の鍵を抜く。最近では公共施設などの入口にある鍵がかかる傘たてのような鍵である。確か、鍵にゴムひもがついていて、腕にはめて風呂に入ったと思う。
洗い場は今でも旅館などにあるタイプと同じであるが、湯船は深くて熱いものと、浅くて適当な温度のものと二つ並んでいた。熱い方は子供ではちょっとジンジンして我慢できないくらいだった。「ぬるい風呂になんか入れるか。こちとら江戸っ子だい」と言ったような年寄りが一人くらい入っていて、子供が入ると、ジロリとにらんだ。今思うと、お湯が動いて熱くなるからだったのだろうか。手前にある大きな蛇口をひねって水を出して薄めたところから入ると、「熱いんだったら、そっちに入りな!」と怒鳴られた。
そういえば、当時、家の近所で、男だか女だか分からない子供心にも美しい人を何度か見かけた。一体、男なのか、女なのか気になっていた。あるとき、その人が洗面道具を抱えて家の前を歩いて行くのを見た。これだと思い、後をつけた。風呂屋ののれんをくぐって入っていくのをドキドキしながら覗き込んだ。男湯に入った。男性であるのを確かめ、一安心した。今でも私は、あの人は美輪明宏(当時は丸山)ではなかったのかと思っている。不思議なほど美しい人であった。
会社員になっても風呂嫌いは変らなかった。結婚するまでは外風呂であり、忙しいこともあって風呂に行くのは1週間に一度、土日のどちらかであることが多かった。下手すると、土日とも他の用でつぶれると、2週間ぶりとなるフランス人並みであった?? もっとも、この間、シャワーも浴びず、下着も代えないのだが。
しかし、変れば変るもので、退職した今や、24時間風呂を設置したので、夏の暑い日など、寝起きに入り、庭仕事して入り、夜寝る前に入りと、日に3回入ることもある。